5分間の日常

『――だから僕は、好きだなんて絶対に言わない――』


「……はぁ、やっと書けた」

 鱗卯木ヤイチはパソコンの前で少し伸びをしてから、左右に首を振って肩を鳴らした。たった三千文字程度の短編だが、書き始めてから既に3時間以上の時間が過ぎていた。

 しかしこれで終わりではない。推敲して、誤字、余分な個所、わかりにくい表現などを修正していく作業が残っている。

 これが終われば風呂に入って酒が飲めると、ヤイチは自分を鼓舞して、書き上げたばかりの短編小説をまた最初から読み返した。


「んー、こんなところかな?」

 ヤイチは何度かの推敲を終えたところで作業を終えた。それなりに満足のいくものに仕上がった気がした。あくまでも現時点では、だったが。時間を空けて読み返すと気になる部分がまた数多く見つかるのだが、気にしていては切りが無いのである程度の見切りは必要だった。

 ヤイチは小説投稿サイトを開き、書き上げた小説の投稿準備をする。

「えーと、タイトルはどうするか……。うん、『好きだなんて絶対に言わない』かな」

 投稿サイトに小説のタイトルやその他の情報を入力する。

「よし! 今度は多くの人に読まれますように!」

 手を二度ほど叩いてから、ヤイチは投稿ボタンを押した。

 あとは読者からの感想を待つだけなのだが、これが面白いくらいに反応が無い。読まれていて感想が無いのならば、つまらなかったのだなと、諦めもつくのだが、そもそも読まれた形跡がほとんど無い事が残念でならなかった。

 しかし、100万近い作品が投稿されている中で、ほんの僅かな人でも自分の書いたものを読み、感想を述べてくれるだけでも、とてもありがたいことなのだとヤイチは思っていた。


「それにしても、思ったより書いたなぁ……」

 ヤイチはこれまで書いた短編を改めて見てみた。現在書いている小説は「5分間の日常」と言う短編集である。

 1話完結の5分以内で読めるようになっている。これまで20話分を投稿しており、それぞれの話は独立しており、ジャンルもバラバラだった。その方が読む人も読みやすいだろうと思ったし、何より自分の修行にもなると思ったからだ。

 コメディもあれば恋愛もの、ヒューマンドラマ、ホラーやスポーツものもある。

 表現方法も変える様にしており、一人称、三人称はもとより、ラノベ風の表現、三人称風だが実はある登場人物の一人称視点などを挑戦してみたりもした。

 また、ある物語の登場人物が別の物語の脇役として出てくるなどの小ネタも仕込んでいたりしたが、そんなものは読者に気づかれるわけもなく、完全なヤイチの自己満足に過ぎなかった。


 これまで書いてきた話には色々な登場人物が出てきた。

 若者や中年や老人、男や女、善人、悪人、正常者、異常者、中には人間でない登場人物もいた。ヤイチはそれらの登場人物も愛しく思っていた。彼らはヤイチの一部であり、分身であった。

 彼らはヤイチによって作り出され、ヤイチの思うように行動し、そして最後はヤイチが決めた結末へと向かう。彼らは自分達がこの先どの様になるかも知らずに、小説の中でヤイチが決めた通りの流れに従って物語の終わりへと向かう。それはあたかも神が決めた運命に流されてゆく人間たちの様であった。とても愛しく、そして愚かな者達だとヤイチは思った。

 この短編集を書き続けるにつれ、ヤイチは自分が神になったかの様な万能感を感じ始めていた。そしてその感情はいつしかヤイチの心の中に仄暗い悦びの炎を灯した。


「……次の話はどうしようかな。……やっぱり、また登場人物を死なせちゃおうかな。その方がきっと盛り上がるし」

 ヤイチは自分が笑っている事に気づいていなかった。口角を上げ、半開きに開いた口からは涎が垂れていた。ヤイチは目を大きく見開きながら、次の作品のプロットをテキストファイルにタイプしていく。

「うん、いいね。ここでコイツを殺しちゃおう! どうせならもっと残酷にして……。あぁそうだ、主人公を女にしよう! そしてレイプされて殺されるようにしちゃおうか! ふふふ」

 自分の想像にヤイチは息を荒くした。

 そしてプロットをタイプしながらも、器用に左手を自分の股間へと伸ばしていった。




「……あー、駄目」

 河口早苗はそこでタイプする手を止めた。

 素人作家を主人公にした小説を書こうしたものの、どうも今ひとつピンと来なかった。

「話が面白くないし……。そもそも主人公が……キモイ!」

 早苗は渋面を作ると、文書ファイルを閉じた。そしてそのままDeleteキーを押す。

 吸い込まれるような音と共に、書き途中の小説はパソコン上から消えた。

 鱗卯木ヤイチは日の目を見ることもなく、この世から姿を消した。

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5分間の日常 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021

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