最後の使命
「これでお別れだな……」
思わずそんな言葉が私の口をついて出た。本当はもっと別の事を言いたかったはずなのに、伝えたかった言葉は何も頭に思い浮かばず、逆に伝えたくなくてもいい言葉ばかり思い浮かんでしまう。
「……」
そんな私の子供じみた言葉に、傍らにいる芽衣子は沈黙で応えた。
芽衣子とは長い付き合いだった。しかしついに、このような日が私達の間にも訪れてしまった。どこにでもよくある話ではあるが、寂しくなんかはない、と言い切る事は、私にはとても出来そうになかった。
芽衣子と過ごした日々が、それを押しとどめようとする私の意志に反して、自然と、勝手に頭に想い浮かんでくる。
これまで芽衣子には散々振り回された。
芽衣子が私の前に突然現れてからと言うもの、私の人生は一変した。
それまで自分の好きなように日々を過ごしていた私だったが、突然、全ての事が芽衣子を中心として回り始めた。自由奔放に動き回る芽衣子の傍らで、まるで芽衣子の衛星の様に私はくるくると周り、召使いの様にかしずいた。他人から見れば、私の姿はさぞ滑稽であり、道化の様だったに違いない。
芽衣子の機嫌はコロコロと変わった。機嫌が良いと思えば、急に泣いたり、怒ったりしたりした。四六時中私に付きまとう時があるかと思えば、急に私の事を避けたり、口を利かなくなったりもした。
頑固な芽衣子と言い争いになることもしょっちゅうだったし、それがエスカレートして喧嘩になることも何度もあった。
我ながら良くこれまで我慢してきたなと、今になってしみじみ思う。
しかしそんな芽衣子に、私が夢中になっていたのもまた事実だった。
芽衣子が微笑むだけで私は有頂天になったし、芽衣子が悲しんでいる時には私の心は激しく揺れた。芽衣子が楽しそうにしている時は、私も心が弾んだし、芽衣子が怒った時は私も怒りに打ち震えた。
芽衣子は、私の心をまるでジェットコースターの様に上へ下へと揺り動かし、私を振り回し続けた。しかしそのおかげで、私の無味乾燥で何の代わり映えもなかった日常は、鮮やかな色彩を帯びた特別な毎日へと変わったのである。
芽衣子は本当に私の全てであった。
だが、それもこれも今日で終わりである。
「そろそろだな」
誰に言うともなく、私は呟いた。
我々の時間はもうすぐ終わりを告げる。
「……お父さん。……今まで本当にありがとう……」
芽衣子は震える声でそう私に告げた。
「……っ……っ」
『親なのだから当たり前だ』、そう私は応えようとしたが、そうすることは出来なかった。
今、口を開いてしまえば、みっともない姿を芽衣子に見られてしまいそうだったからだ。
父とは常に、堂々としていなければならない。
ドア一枚隔てた向こう側から声が聞こえた。
私達の目の前にあった教会の祭壇へと続く扉が、今ゆっくりと開いた。
皆が花嫁の姿に注目する。
当然だ、私の娘だ。
赤い絨毯の先には、白いスーツに身を包んだ青年が、芽衣子を見つめている。これから芽衣子が人生を共にする伴侶だ。あぁ、彼は良い青年だ。彼なら芽衣子を委ねることが出来る。
私に課された、最後の使命を果たす時も近い。
それなのに……。それなのに私は、その使命を必ず果たさなければならないのに私は、何故か視界がぼやけてしまい、前を満足に見る事すら出来ない。
そんな不甲斐ない私に、芽衣子が静かに私の肘に手を添えた。
そうだ、前が見えていようがいまいが、関係は無い。私はなんとしてでも、芽衣子を、彼のもとまで、無事に、連れてゆかねばならない。
なぜならそれが、私が娘にしてやれる、最後の使命なのだから。
パイプオルガンの音と共に、私と芽衣子は、同時に足を踏み出した。
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