第82話
「俺は不要な人間だ。だから表に出る事を許されていない」
今にも消えてしまいそうなジェラルド。彼に腹が立ったのは自分を不要だと諦めてしまっているのが悲しかったから。
彼がどんな生き方をしていたのか知らない。
どれだけ辛い思いをしてきたのかも分からない。
それでも彼を必要としている人は居るはずだ。
「貴方は馬鹿なのですか?」
「え?」
「この世に不要な人間は居ません。誰か一人くらいは貴方を必要としてくれる人が居るのではありませんか?」
私は家族にも婚約者にも大切にされて育っていた。
薄汚れた世界を知りながら幸せに満ちた生温い環境で育っていたからこそ出てきた言葉だ。
ジェラルドは目を大きく開いて、そして気不味そうに逸らす。誰かの事を思い浮かべたのだろう。
「その様子だといるみたいですね」
「あぁ、そうだな」
肯定の言葉に安堵したのも束の間の事。ジェラルドは「でも…」と言葉を続ける。
不穏な続きに嫌な予感がした。
「その人は本当の意味で俺を必要としていないだろう」
悲しそうな表情をするジェラルド。意味あり気に「ふぅん」と呟いたのは彼が誰かに必要とされる事を諦めていないと悟ったからだ。
諦めていないならまだ助けられると身の内側に隠れた正義感が表に出てくる。何を思ったのか焦ったように口を塞ぐ彼に確認の質問を投げ掛けた。
「ジェラルド皇子は誰かに必要とされたいのですか?」
もしも必要として欲しいと願うなら。
偽善だと思われても私は彼の願いに応えてあげたい。
それなのにジェラルドは「……分からない」と首を横に振った。
分からないと答えさせてしまうくらい彼は劣悪な環境に居たのだろう。詳しい事は分からないがそれだけは知る事が出来た。
このまま過ごさせたら彼は本当に人から必要とされる事を諦めてしまう。それを見過ごせる私じゃなかった。
今の私に出来る事は……。
考えたところで一つしか思い浮かばなかった。手を叩き合わせると乾いた音が響いた。驚いた表情をこちらに向ける彼に微笑みかける。
「ジェラルド皇子、私と友人になりませんか?」
私はジェラルドを外に連れ出してあげる事も出来ないし、彼の取り巻く環境を変えられる力も待ち合わせていない。
友人となり、彼を必要とする。
気休め程度に思われるかもしれないが今の私に出来る精一杯の事だった。
「友人?」
「はい、友人です」
ジェラルドは戸惑った表情を見せた。
まるで友人が何か分からないような反応だ。
もしかしたら私は選択を間違えたのかもしれないと不安な気持ちに駆られていると「俺は訳あって部屋から出られない…」と悲しそうに返してくる。
「君と二度と会う事も出来ないかもしれないぞ」
「関係ありません。私がジェラルド皇子を、皇子が私を友人と思っている限りは私達の友人関係は不滅です」
大切なのは思い合う事だ。
「ジェラルド皇子、私と友人になってください」
目の前に立って手を差し出すとジェラルドは戸惑った表情で自身の手を見つめた。
私に触れる事を躊躇するような動作に胸が痛くなる。
「ガブリエル、俺は…君と友人になっても良いのだろうか?」
「貴方がそれを望んでくださるのなら」
無理強いをするつもりはない。
ジェラルドを救いたいと願ったのはただの自己満足。
過去にジゼルを助けた時と同じく辛い目に遭っている人を放っておけない我儘なのだ。
ゆっくりと壊れ物に触れるかのように彼は私の手を握り締めた。
冷たくて骨張った手から微かに伝わってきたのは彼の苦難。手にはその人の生き方が現れるというが正しくその通りだと思った。
「ジェラルド皇子、今から貴方は私にとって必要な人です。だからもう自分を不要と言わないでください」
「あぁっ…」
今まで溜め込んできたものが溢れ出してきたかのように涙を流すジェラルド。乱雑に袖で拭う彼に家紋の刺繍が入ったハンカチを差し出した。
彼は要らないと首を横に振る。
「友人の証です。受け取ってください」
「良いのか?」
「これは私が刺繍を入れた物ですから、是非」
友人の証としてハンカチを渡すのはアンサンセ王国の古い慣習だ。
自分の刺繍入りの物であると永遠の絆を意味する。
決して貴方を忘れないという思いを受け取って欲しかった。
おずおずとハンカチを受け取ってくれるが使わずにじっと見つめるだけのジェラルドに苦笑する。
「涙、拭いてくださいよ」
「嫌だ。これは大切な物だから使わない」
我儘を言うように返してくるジェラルド。
彼がそうしたいというのならもう止める権利はない。
「ありがとう、ガブリエル」
「……ジェラルド皇子、私達はもう友人なのです。どうか私の事はエルとお呼びください」
親しい人は皆そう呼ぶ。
軽い気持ちで言った言葉にジェラルドは戸惑う。おそらく友人がどのようなものなのか知らないから呼ぶ事を躊躇したのだ。
「友人とは愛称で呼び合うものですよ」
緊張するような事でもないのに深呼吸を繰り返すジェラルド。最後は小さく「よし」と気合を入れた。
「え、エル」
吃ってしまった彼が可愛くて頰を緩ませる。
くすくすと笑い声を出すと「エル、笑うな」と顔を顰めるジェラルド。
今度はすんなり呼ぶ事が出来たわね。
「ごめんなさい。それでジェラルド皇子に愛称はありますか?」
尋ねると首を横に振られてしまう。
私が勝手に付けて良いのだろうか。もし嫌がられたら普通に呼ぶ事にしよう。
「ならば、ジェドと呼ばせてください。良いでしょうか?」
「エルが呼んでくれるなら何だって良い」
「ジェド様」
愛称で呼び合う。
今まで当たり前のようにやってきた事だった。喜ばれるような事ではなかったはずなのに嬉しそうに笑顔を見せるジェラルドに胸の奥が熱くなる。
折角出来た友人なのだ。もう少し話して居たかった。しかしそれが叶う事はないらしい。
「エル?どこだ?」
愛おしい人の声が遠くから聞こえてくる。
「シリル殿下」
ジェラルドの奥を見ると私を探すシリル殿下の姿が目に映る。
おそらく給仕から私がここに居ると聞かされて迎えに来てくれたのだろう。
彼の優しさに愛おしさが募る。
「ジェド様、ごめんなさい。私、もう行かないといけないみたいです」
シリル殿下を放置するわけにはいかない。
頭を下げると「あ、あぁ…」と悲しそうな声が響いた。
「貴方は必要な人間ですからね、それだけは忘れないでください。また会いましょう」
彼は二度と会う事が出来ないかもしれないと言ったが私はそう思わない。
お互いの事を忘れなければまたいつか会えるはず。
忘れないように念押しするとシリル殿下の元に駆けて行った。
「探したよ、エル」
「ごめんなさい」
「ここで何をしていたの?」
「……大切な思い出作りをしていました」
訳が分からないと首を傾げるシリル殿下に「また今度ゆっくりお話します」と笑いかける。
戸惑いながらも笑顔で頷いてくれる彼に寄り添って歩き始めた。
「また会おう、エル」
後ろから小さく聞こえた声に「またいつか」と心の中で返事をした。
これが私とジェラルドの出会いだ。
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