幕間29 ジゼル視点

エル様の侍女になると決めた日から一週間。

私は働く事を許されていなかった。

碌に飲まず食わずに痩せ細った私を主人が許可してくれなかったのだ。結果、丁重に扱われている。

平民として貧しい生活を送る事に慣れていた私は手厚い扱いにむず痒い毎日を送っていた。


「エル様…」

「どうしたの?」

「私はいつから働けるのでしょうか?」

「ジゼルが健康な身体を手に入れてからよ」


侍女がベッドで主人が椅子に腰掛けているという謎の構図は何度体験しても慣れない。

それに見ていて不安になる光景が繰り広げられている。


「エル様、それ貸してください」


私のお見舞い品として林檎を持って来てくれたのは良いけど剥くのが下手過ぎて見ていてられない。

手を差し出して受け取ろうとすると「駄目よ!」と拒否されてしまう。


「見ていて不安です。怪我でもされたらどうする気ですか?」

「魔法で治すわ」


そう言われても魔法について詳しくない私には不安が残ってしまう。じっとエル様を見つめると「うーん…」と唸り声を上げて私と林檎を交互に見始める。

めげずに見続けていると深い息を吐いて諦めたような表情を見せてきた。


「林檎は譲ってあげるけどベッドから出ちゃ駄目よ」

「分かっています」


基本的にはエル様が側に居るし、彼女が淑女教育などで居ない時は使用人達が交代で見に来るのだ。

出ようにも出られない。

林檎を譲り受けた私は軽々と剥いていく。


「慣れているのね」

「母の手伝いをしていましたから」


母の亡骸の行方はすぐに分かった。

誰にも悪戯されないように公爵家が安全な場所に移動させてくれていたのだ。

丁重に弔うようにお願いしてくれたエル様と公爵家には感謝しかない。


「あの、エル様…」

「今度はどうしたの?」

「私の借金はどうなったのでしょうか?」


この一週間聞きたくて聞けなかった事だ。

私は自分に課せられた借金が後どれくらい残っているのか知らない。

早く働きたいと思っているのはそれもあるのだ。

エル様はきょとんとした表情を浮かべたかと思ったら「あぁ!」と声を荒げた。


「ご、ごめんね。ちゃんと伝えていなかったわ」

「はい?」

「ジゼルに借金は無いわよ」


言われている事の意味が分からなかった。

動揺しているとエル様は分かりやすく全てを話してくれた。

父を嵌めて殺した貴族は博打で莫大な借金を抱える事となった。その返済をする為に平民を嵌めて借金を負わせ搾取するという非道な行為を繰り返したそうだ。

被害者は父だけじゃなかった。その貴族のせいで家を潰された平民は多いのだ。

平民を狙ったのは貴族を嵌める事が困難であると分かっていたから。弱い者を食い物にしていたのだ。

オリヴィエ公爵家が全てを明らかにした。

父が引き起こしたとされる事故も再調査が入り冤罪が確定したのだ。


「許せない」


両親を殺した貴族に憎悪の念を抱いた。

叶う事なら自分の手で殺してやりたいと思った。


「ジゼル、ごめんなさい」


布団を握り締めた私の手を握ったエル様は申し訳なさそうに謝った。


「どうしてエル様が謝るのですか…」

「私達貴族のせいで貴女の家族を滅茶苦茶にしてしまったからよ」


エル様の責任感が強い事をよく理解していなかった私はその言葉を上手く飲め込めなかった。

首を横に振って「エル様は悪くありません」と言うが彼女は悲しそうな表情を浮かべるだけだ。


「もう少し早く貴女を助けてあげられた良かったのに」


両親は亡くなってしまった。それでも私は今生きている。

命を救って貰えた上に居場所まで与えてくれた。

エル様は私にとって救世主だ。


「ああ、そうだわ。明日は一緒に出かけましょうね」

「お出かけですか?」

「連れて行きたい場所があるの」


にこりと微笑むエル様に首を傾げた。



次の日、エル様に連れて行かれたのは見晴らしの良い丘だった。

町を一望出来るそこは平民達の墓所。ただ訪れたのは初めてだ。

犯罪者として扱われた父の墓はここに建てる事を許されなかった。母と二人で暮らしていた家の近くに小さな墓を作ったのだ。


「ジゼル、こっちよ」


エル様の後ろをついて行くとある一つの墓前で立ち止まった。その墓を見ると刻まれていたのは。


「お父さんとお母さんの名前…」


墓石に刻まれていたのは母と父の名前だった。

どうして二人のお墓があるの?

混乱している私の肩を掴み、笑いかけてくるのはエル様だった。


「本当はジゼルの許可を得るべきだと思ったのだけど出来るだけ早く用意してあげたくて、迷惑だった?」


不安気に尋ねてくるエル様に首を横に振った。

迷惑なんてあるわけがない。

私一人だったら二人を一緒の墓に入れてあげる事はおろか墓を作る事すら出来なかったのだから。


「ありがとうございます…」


私は何度この人に感謝すれば良いのだろうか。

どうしたら感謝の気持ちを伝えられるのだろうか。

今の私に出来る事は少なかった。

片膝を立てて、心臓の上に手を乗せて、エル様を見上げる。


「ガブリエル・ド・オリヴィエ様。私ジゼルは亡き父と母に誓って貴女に一生の忠誠を捧げます」


公爵邸の使用人から聞き齧った程度の子供のごっこ遊びのような拙い忠誠の立て方だった。

それでも私の真剣さはエル様に伝わったらしく穏やかな微笑みを向けられる。


「ありがとう、ジゼル」


頭を撫でてくれる手が優しくて無理やり止めた涙が出て来そうだった。


「じゃあ、私からもお返しを」

「え?」


首から掛けられたのは小さな宝石が嵌ったペンダントだった。

子供が見ても高級品に見えるそれは後で聞いたところによると魔法無効化の付与が施された物らしく。貴族の爵位が買える程の価値を持っているそうだ。

流石に貰えないと拒否しようとする私に合わせて彼女は口を開いた。


「それは私の侍女だって証よ。別の意味もあるけどね」

「別の意味?」

「今日はジゼルの八歳の誕生日でしょ」

「どうしてそれを…」

「公爵家で雇うのよ。悪いけど色々と調べさせて貰ったわ」


素性の分からない人間を雇えるわけがない。

子供でもそれくらいは分かった。

母が亡くなり、もう二度と誰にも祝って貰えないと思っていた誕生日。自分よりも大切な人に祝って貰えた事が嬉しくて我慢していた涙が溢れ出た。


「ジゼル、お誕生日おめでとう」


向けられた笑顔に何があってもこの人に忠誠を誓い続ける。

改めて決意を固めた。

こうして私はエル様の侍女となったのだ。

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