幕間27 ジゼル視点

オリヴィエ公爵邸を抜け出すと向かったのは城下町にある自分の家。

幸い公爵邸と城下町の距離はあまり開いておらず子供の足でも日暮れには到着する事が可能だった。

ただ問題があるとしたら何も食べず裸足で出てきてしまった事だろう。食べられそうな雑草で空腹を凌ぎ、ズキズキと痛みを感じながらようやく自分の家に辿り着くとそこには驚きの光景が広がっていた。


「お母さん?」


今朝までベッドに横たわっていたはずの母の亡骸が消えていたのだ。

死んだ人間が生き返る事はないし、歩くわけがない。誰かが亡骸を持ち出した事は明白だった。

母はどこに連れて行かれたのだろうか。

縋る場所が失った私は一人呆然と立ち尽くしかなかった。



夜が更けていき、そして日が昇るまで母が居た場所を見つめ続けた。

せめて父と同じ墓に入れてあげたかったがそれも叶わない事となってしまった。


「働かないと…」


子供でも雇ってくれる場所はあるのだろうか。無くてもどうにか見つけないといけない。

エル様に助けて貰った恩を返すまでは生きないと。

フラつく身体を起こして家を出る。路地裏を歩き続け雇ってくれる場所を探してみたが子供では相手にされない。


「ようやく見つけたぞ」


昼を過ぎた頃、目の前に現れたのは昨日追いかけ回された借金取り達だった。

血走った目付きは鋭く、歪んだ表情。身に纏う雰囲気も怒りで満ちている。

身体が竦み上がり、涙が溢れ出てきた。


「お、お母さんをどこにやったの!」


ふと頭に浮かんだ母の事を思い出して尋ねると借金取り達は顔を見合わせて首を傾げた。


「知らねーよ」


リーダー格の男性が言葉を返してきた。

この人達が知らないとなると母の亡骸はどこに消えたのだ。

動揺する私の事なんてどうでも良い借金取り達は声を荒げた。


「クソガキが逃げ出しやがって」

「手間かけさせんじゃねーよ」

「金はきっちり返してもらうからな」


三人組の魔の手が伸びてきた。


「やだっ…!やめて!」


じっとりとした手が腕に触れて全身がぞわりと震える。子供と大人では力の差は歴然としており、振り払おうとしてもびくともしない。


「おい、押さえろ」

「こいつ、なんでこんな良い服を着ているんだ」

「この服を売れば金になるだろ」


私が着ていたのは公爵家で用意された寝間着だった。

子供でも分かるくらいの高級品。

いつか返そうと思っていた服。

これだけは駄目だ。ちゃんとエル様に返さないと。奪われるわけにはいかないのに。非力な私は何も出来ない。

私を突き飛ばし、馬乗りになってくる借金取り達。


「大人しくしてろ」


三人によって四肢を押さえて付けられて身動きが取れなくなる。

もう終わりだと目を瞑る。瞼の裏側に思い浮かべたのは恩人の顔だった。

エル様…!

一人が私の服を脱がそうとしたその時だった。


「その子に触れないで貰える?」


凛とした声が響いた。

三人組の手がぴたりと止まる。唯一動きが取れる顔を動かすと視界に映った人物に驚く。

さらさらの白髪は風で大きく揺れ、赤色の瞳は温度を感じさせず鋭く尖っていた。


「エル様…」


視界に映ったのは静かに怒りを纏うエル様だった。

なんで?

薄汚れた路地裏は公爵の令嬢には関わりが薄い場所。

それなのにどうしてエル様がここにいるのか分からなかった。


「探したわよ、ジゼル」


私を見つめたエル様は優しく微笑んだ。

溢れて来たのは恐怖とは違う安堵の涙だった。


「その子から離れなさい」


借金取り達に視線を移したエル様は再び怒りを身に纏う。小さな身体は力強い威圧に満ちており、見た目よりも大きい存在に感じられる。理由は分からないが全身がぞっとした。


「お、お前、誰だよ」


リーダー格の男性が尋ねるとエル様は優雅に礼をしてみせた。


「オリヴィエ公爵家のガブリエルよ」


エル様が名乗った瞬間、借金取り達の顔が青褪めた。

誰だって公爵家の令嬢と対峙すれば恐怖を感じる。

彼らの反応は正しいものだ。


「ど、どうして公爵家の人間が…」

「おい、口を慎め。この方は王太子の婚約者だぞ」


王太子の婚約者?

エル様はそんなに凄い人なの?

動揺しているとエル様の方から凄まじい突風が吹き荒れ、借金取り達を飛ばした。


「離れなさいって言ったのに離れない貴方達が悪いのよ」


遠くで呻き声を上げる借金取り達を睨み付けたエル様は静かに呟いた。

彼女はゆっくりと歩き出して、そして私の前でしゃがみ込むと悲しそうに眉を下げる。


「もう少し早く見つけられたら良かったのに…」


私の身体を起こしたエル様は優しく頰を撫でた。

わざわざ私のところに来てくれたの?

公爵家の令嬢がどうして私なんかの為にこんな薄汚れた場所まで来たのか分からなかった。


「怖い思いをさせてごめんね」


何故エル様が謝るのだ。

彼女は何も悪くない、謝るべきなのは迷惑をかけた私であるはずなのに。

謝ろうと思って開いた口から溢れ出たのは嗚咽だった。


「もう大丈夫だから」


穏やかな声が胸に染み渡り、頭を撫でてくれる手が優しくて、包み込んでくれる身体が温かくて涙が止まらなかった。


「ごめんなさい。迷惑をかけて、ごめんなさい…」


私が謝る度、エル様は「気にしなくて良いから」と頭を撫でてくれた。

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