第2話 パパただいまのフォーリンラブ

 キュウーン。

 甘い声のあとは、ぺろぺろ攻撃がやって来た。

 顔中べったんべったんにされてしまって、隣の佐祐殿を引き離すのもしのびない。


「父君、ふにゃじゃもう」


 私が寝返りで抵抗すると、トテテテと私のお腹から降りる。

 ベランダへのカーテンから、私のパジャマがめくれた所に朝陽が射す。


「そこは、恥ずかしいデベソじゃ。やめてくりょ」


 ドーン。

 私のお腹をぼよんぼよんと跳ねる。

 ん?

 佐祐殿ではないな。

 そもそも、お部屋は別だ。

 私は一気に目が覚めた。

 布団から起きると頭と頭をゴツンとぶつける。


「や、やめるのじゃ。シーナ、いつも六時きっかりじゃのう。お腹に時計があるのかの」


 朝ご飯のわんこフレッシュを上げて、私は折り畳み傘を持ってジャージで出掛けた。


「シーナはお散歩大好きわんわんじゃ」


 シーナの気持ちがよく分かる。

 私だって、佐祐殿に同じように甘えたい。

 小一時間、朝露の坂道をシーナのリードで進んだ。

 道なんて少ないから、大抵は神社へ行って帰る。

 赤い屋根のお家が近付くと、速い速い。

 駆け込むように、喫茶ママンの戸を開けたり開けたりする。

 雪国の二重玄関には顔面を打ちそうだ。


「ただいまのフォーリンラブ! 父君」


 私は、両手を大きく広げて、佐祐殿の首にぶら下がろうとした。

 私は身長百四十一センチ、相手は百七十七センチ、届く訳がない。


「おかえりなさい」


 フォーリンラブをすいっとかわして、キッチンからカウンターに朝ご飯を並べてくれた。

 私の方は、シーナの足を拭いたり、お水を上げて、自分の手を洗っていた。

 行くぞ、佐祐無双される前にだ。

 佐祐殿の所におねだりをしに唇に人差し指と中指を当てる。


「フォーリンラブじゃよ。父君、私をぎゅうするのじゃ」


「ひかる、ダメですよ。でこぺししますよ」


 おでこをぺしされると、多分、痛い。

 けれども、佐祐殿は優しいからしたことがない。

 だから、でこぺしは回避するべきだ。


「父君、抱き締めてほしいのじゃ」


「ひかるはもう中一ですから、ダメですよ。でこぺししますよ」


 もう七時二十分だから登校しなければならない。


「後程、リベンジするのじゃもん。しばしの別れが辛いのじゃ」


「普通に、行って来ますしましょう」


「はい! 父君、シーナ、行ってまいります」


 元気よく家を出て、坂道を転がるように自転車を四十分こいだ。


 ◇◇◇


 その日は、部活のない水曜日だったので、帰宅も早かった。

 自室で、英語の復習をしていると、シーナがカーテンを閉めてくれた。

 夜にかけて、雨もしとしと降り始めたからだろう。

 夕食の時分にお客人が来た。

 シーナが吠えない所をみると、山岸やまぎしさん夫妻かと思われる。

 私の記憶によれば、水曜日はパチスロが当たる日らしい。

 ご機嫌の所、子どもの私はお邪魔だ。

 ひっそりとサバ味噌定食を自宅のキッチンでいただいた。


「寂しさが増すと、また恋しくなるのじゃもん。無双されてもいいのじゃ……」


 箸を置き、洗い物を片付けていると、ナイスタイミングでそっと声がした。


「ひかる、先にお風呂であたたまるといいよ」


 耳元でとは、無自覚もいい所だ。

 もう、熟れた夕張メロンのようになった。


「今、入るのじゃも」


 さらさらに髪を乾かすが、それでもまだ寒い。

 ハートが冷え冷えだ。

 さて、いよいよフォーリンラブのお時間だ。


「佐祐無双されてもよいのじゃ」


 ノックをして、失礼する。

 タッパーン、カシューナッツだけでビールを一缶、ほろ酔いの父君が可愛らしかった。

 よっこらせっと、布団によじ登る。


「父君、今日は寒いのう。偶には一緒に寝るのじゃ」


「ひかる、ダメですよ。でこぺししますよ」


 やはり、小学生の頃からダメと言われていましたから。


「父君、キッスをするのじゃ」


 肩に寄り添って、佐祐殿の瞳に自分を映した。

 ぶりぶりと頬を手でおおう。


「ひかる、ダメですよ。でこぺししますよ。ひかる、ダメですよ。でこぺししますよ。大切なことなので繰り返して言いました」


「一緒にねんこんもキッスもいけないとは、遠慮をしているのじゃね」


 んん――。

 キッスってとろとろ甘い香りなのかな。

 佐祐殿の香りって、カシューナッツとぶくぶくビールって発見してしまった。


「ぶほっ。鼻血、出そうなりよ」


 思わずのけぞった。


「ひかる、独り言が多いけれども、どうしたのかな」


「こ、今夜はひとに言えない経験をしてしまったので、シーナとお部屋でねんこんするのじゃも」


 そそくさと、ダックスフンド柄のパジャマは去る。


「何だ、何だ? 何にろうらくされたんだ?」


「父君も早くいい夢を」


 投げキッスをして、パタリとドアを閉めた。

 ドアを背に、本気の鼻血で鉄の味を知る。

 ああ、どうして佐祐殿に弱いのか。

 今夜も佐祐無双がたまらない。


「佐祐殿、もう無双はいかんじゃろう……」


 寂しさを少しだけ抱えて眠った。

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