第6話
夢を見た。ずっとずっと変わらないいつもの夢だった。
気が付くと私の腕には血まみれの刀が握られている。
傍らには夥しい血を流す少女が横たわっていた。
「…ひかげ!?ひかげ!?」
両腕で上体を起こすとひかげは口から血泡を吐きながらひなたに向けて笑いかけた
まるで、これでよかったのだと言わんとするように。
胸を引き裂くような悲しみに茫然自失としているとまた場面は変わった。
『真剣が握れなくなっただと!?そんな馬鹿なことがあるか!ひなた!お前には天皇様を御守りするという使命があるのだ!』
『この両腕か!罪深い両腕が!汚らわしい!』
否定と非難の言葉が滂沱の如くこの身に降り注いできた。
「ちが…ちがう…わたしは…」
『お前に神崎家と神裂家を一つにまとめる器量などあろうはずもない!!!お前など神崎家の当主失格だ!!!勘当だ!!!』
『ひかげを返してください!!!私たちの唯一の跡継ぎを!!!あの子を返してください!!!』
「わたしは…わたしは…!」
私はひかげを殺したくなんてなかった。
最終試験なんて名ばかりのただの幼馴染同士の殺し合い。
そんなものを急に引き受けさせられて…それで…
…でも…そんなのは言い訳でしかない
私は結局…ひかげの命よりも自分の方が可愛かっただけなんだ
そこで目が覚める予感がした。
・ ・ ・
目を開くとそこには見知らぬ天井が広がっているように思えたが
頬に水気を感じて拭うと知らず知らずに涙を零していた。
膝の辺りに重みを感じてそちらを見ると、静かな寝息が聞こえた。
「…紺ちゃん?」
腕の切り傷には包帯が巻かれていた。大分深く切ったはずだったが出血は止まっているようだった。
いつの間にか眠っていたらしい。膝の上に感じる柔らかな温もり。夢見の悪さと寝起きの気怠さが相まって、もう少しこのまま微睡んでいたいと思った。
人の温もりで贖える何かが…こんなにも貴重だと感じたのは久しぶりだった。
「ひなたさん…?気が付いたんですか…」
「あ、うん…おはよう」
そう言ってから微かな違和感を感じる。それは部屋の中にある…いや、自分と紺の間にある僅かな不協和音。
紺の目の中にあるのは…恐怖に似た何かだった。
それはそうだ、と思う。血まみれになって現れる人間なんて普通ではありえないんだから。
ああ…ここからはもう無理なんだろう、とひなたは思う。
これ以上この子を巻き込んでしまったら…きっといつか後戻りできなくなる。
その時後悔するのは…きっと自分一人じゃない…
そんな風に考えていると紺は硬い表情のまま言った。
「ひなたさん…大丈夫ですか?」
「ああ…紺ちゃんが手当してくれたおかげで大分楽になったよ」
「…ッ…そうじゃなくて!ひなたさんッ…!」
ふわりと鼻先に良い香りが広がった。
「紺…ちゃん?」
紺の細い両腕が自分の頭を抱える様に抱き締めていた。
「ひなたさん…!どうしてそんな辛そうなのに笑おうとするんですか!?どうしてそんなに辛そうな顔をしているのに何一つ話してくれないんですか!?」
「それは…」
紺は目一杯に涙を溜めていた。それを見てひなたは胸の奥がズクンと痛むのを感じた。
「心配することすら許してくれないなら…私は一体…ひなたさんの何なんですか…?」
紺の両目からとめどなく涙が溢れ出してくる。
「ご、ごめ…」
「お願いです…謝らないで…くださ…」
その時…スマートフォンが鳴動した。
その音に反応しかけてひなたは紺の目を見ると、同時に視線が合った。
どうせあなたは行くんでしょう…?まるでそう言っているようにも思えた。
紺の両腕からは力が抜けていった。
そしてそのまま力ない足取りですくと立ち上がると、紺はふらふらと玄関から出て行った。
「紺…ちゃん…」
「…さようなら」
ぽつりとその言葉だけが残され、静かに玄関が閉じられた。
追いかけることはしなかった。出来なかった。
ただただ手足から力が抜けていく。
「…あの子の作る料理…あの子も…あったかくて好きだったのになあ…」
スマートフォンを…今夜の指令の内容を確認しなきゃ…そう思いながら身体は動かず、どれだけそうしていただろう。
「ひなた様」
聞きなれた声が開け放たれた玄関の扉の向こうから聞こえてきた。
「玉ちゃん…」
見ると玉はいつもの和服で傘も差さずに雨の中立っていた。
「今度はあの娘を…あなた様の血と憎しみの螺旋に巻き込むのですか?」
「ッ…そんなこと…する訳がないだろ」
玉は何も言わず後ろ手で玄関を締めながらゆっくりと玄関から部屋の中に入ってきた。
「あら、言ったではないですか?あなたがここでこうして二重生活を送りながら逢瀬を交わすことも、あなたの愛する人を戦場に連れ出すことも、一切合切同じことだと…あなた様が殺めたひかげ様が今のあなたを見たら一体どうお思いでしょうね?」
臓腑に冷やりとしたどす黒いものが込み上げる。と、同時に背中を包むように冷たく湿った両腕を回された。さっきから外では激しく雨が地面を叩き続けていた。
「独りぼっちで可哀そうなひなた様…でも大丈夫です…玉はいつまでもあなた様の傍におります…」
じっとりと湿った和服の感触は重たく、振りほどく気力も湧かなかった。それを分かった上でこうしている。これはそういう類の女なのだ。
「ひなた様…あなたの望み…もしも私がかなえられるものであれば何だってかなえて差し上げます」
冷たい両腕の抱擁に涙が込み上げてきた。あまりにも、情けなかった。
「泣かないでくださいまし…あなたは神裂流の当主として余りにも情が深すぎる。その情は…いつか御身を滅ぼします」
・ ・ ・
パタンと玄関が閉まる音がして、ふと我に返った。
窓の外から聞こえる雨足はさらに勢いを増していた。
机の上に用意されていた晩御飯は既に冷え切っていた。
ふ、と自嘲するような笑いが込み上げる。
今更何を期待していたというのか。家族のような温もり?
忘れてはならない。自分は罰せられなければならない。
あの日あの時に私は自らの生を捨てただの道具として罪を贖う道を選んだ。
最早感情すら伴わぬこの辛苦を誰かと分かちあうことなんて終ぞない。
スマートフォンの電源をつけるとロック画面に本日の襲撃予定時間と場所を知らせるメッセージが煌々と表示されていた。
「身を滅ぼすだって…?」
ひなたはその荒涼とした心情を表すように黒く鈍く光るバッグを肩に担いだ。
「そりゃそうさ…私は神裂…天に背いた名前を持っているんだから」
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