君と過ごした幸せな1週間

ソラノ ヒナ

前編

 初めて君と出会ったのは、診察台の上だった。

 交通事故に遭ったというのに、君はとても無邪気に甘えた声で僕に話しかけてきた。


 もう完全に一目惚れだった。

 けれど、君は患者で、僕は看護する立場。

 一線を越えてはいけないと思いながらも、心はすでに君のものだった。



「うーん、今のところは擦り傷だけだね。でも事故は後が怖いから、最低でも1週間は入院。担当は藤堂とうどうくんで」

「新人の自分でいいんですか?」

「これも経験だ。それに、ほら、この子。藤堂くんしか見てないじゃない」


 木嶋きじま先生は朗らかに笑いながら、僕を指名してきた。


 やった。これで思う存分、君と戯れ……、じゃなくて、君だけのお世話に専念できる。

 ひいき? 患者さんは平等に扱わないといけない。けれど、初めての担当なんだから、仕方ないよね?


 嬉しさが抑えきれない僕は、そんな言い訳を心の中で呟いて、木嶋先生に返事をした。


「ありがとうございます! 頑張ります!」

「何か変化があればすぐに伝えて。それ以外は、普通に接していいから」


 神様!! いや、木嶋先生様様!!


 木嶋先生の『普通に接していい』って言葉は、手の空いてる時間は好きなだけ一緒に過ごしていいってことだ。嬉しくないわけない。不謹慎だけど。


 そんな僕の心を見透かしたように苦笑する木嶋先生は、次の指示を告げてきた。


「じゃあ、保護者の方に説明するから。中に入ってもらって」

「はい」


 僕は短い返事をして、気を引き締めた。

 だって君を連れてきたのは、保護者だから。

 全ての感情を自分の中に引っ込めて、営業スマイルでドアを開く。

 

「お待たせしました。診察が終わりましたので、中へどうぞ」

「はぁ……。わかりました」


 煮え切らない返事。困惑した顔。そっちの事情もわからなくはないけどさ。でも、連れてきたからには、あなたが保護者なんだよ。


 そんな考えがバレないように、僕は更に微笑むんだ。



「こんなに元気なのに、入院なんですか?」

「事故後は元気でも脳になんらかの異常があった場合、容態が急変するんです。それがどんな形で出てくるかわからないので、1週間はこちらで様子を見させていただきます」

「入院なんて困ります。そんなお金ありません。私はただ、この子を見つけただけなんで」


 ほら、始まった。じゃあなんで連れてきたんだよ。


 僕はこの病院でまだ半年間しか働いていない新人だけど、見慣れた光景に呆れ返っていた。


 病院は、患者さんを絶対助ける存在。だから、無料で引き受けるのが普通だと思っている人が多い。

 そう考えるのが、1人だけなら問題ないんだ。それなら僕だって、助けたい。でもね、それが10人に増え、100人に増えたら、病院は潰れる。助けたいのに、助けられなくなるんだ。


 それでも本当に助けたくて連れてくる人があとを絶たないのも事実で、その中の半分以下の人が連れてきた命を最後まで大切にしてくれているのも、事実だ。

 少ない? そんな事はない。命を背負う行為は覚悟が必要だ。だからね、どんな選択をしたとしても、看護する立場からは責められない。自分の生活だけで、いっぱいいっぱいな人だって、いるからさ。個人では、責めてしまう事もある。だって僕も、同じ人間だから。


「じゃあお代は結構です。この子が元気になった時、身元を引き受けて下さい」

「……考えさせて下さい」


 僕が考え事をしながら様子を見ていたら、いつもの木嶋先生の聞き慣れた言葉が耳に入った。


 あぁ、先生。お人好しすぎない? でも、だから、この病院で働いてるんだけどさ。


 先生の善意の提案ですら、不愉快そうな顔をして受け取る仮の保護者様。病院は慈善事業じゃないんだ、と言いたいけど、ぐっと我慢。この女性にも、事情はある。


「自分が担当させていただきます。何かあればすぐ連絡しますので、連絡先をこちらにお願いできますか?」


 なんて事はない風を装って、僕は君の仮の保護者にカルテを差し出す。

 君の目の前でこんな話をしてるのに、君はずっと嬉しそう。可愛いなぁ。


 そして、君に一切触れる事なく、仮の保護者は帰っていた。



「うーん。難しいかなぁ?」

「だろうね。ま、何回も連絡するけどね」


 さっきまで受付にいたみさき先輩と木嶋先生が、まるで昨日のドラマの続きでも予想するように淡々と話してる。

 君の仮の保護者が、君を見捨てると予想して。


「さっ、俺らはいつも通り、出来る事をしよう。ってわけで、ご飯あげて。食べた後も様子チェックしておいて」

「わかりました! どれがいいかな〜?」


 木嶋先生は場の空気を切り替えるように、僕に指示を出してきた。

 だから僕も気持ちを切り替えて、君のお世話に専念する。どのご飯がいいかな? 確か試供品にちょっと高級なのがあったよな、なんて思いながら。

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