ルサルカ ~魔王を倒したエルフの魔法使いは悠久の旅をする~
平成オワリ
プロローグ 旅立ちの日
星と月の光が闇を照らす時間帯。
電気もまだないこの世界でなお、この城壁から見下ろす景色は命の輝きに満ちていて美しい。
紫紺の横髪を無造作に前に流すエルフの少女は、柔らかい風を一身に受けながらこれまでの出来事に思いを馳せていた。
「思えば、ずいぶんと遠いところまできたもんだ……」
遠くまで見える地平線の先を眺めていると、かつて住んでいた世界との違いを否応なしに感じてしまう。
前世で海外旅行を趣味としていただけのOLが美しいエルフに転生して、勇者と一緒に魔王討伐。
まるで使い古された物語のようで、それが自分の身に振り注ぐなんて想像もしていなかった。
前世で死んで女神に出会ったのも、そしてこうして『ルサルカ・シルフガーデン』として転生させてもらったことも、もうずいぶんと昔の話な気がしてしまう。
「みんな元気だねぇ」
少し城壁から顔を出して見下ろせば、王国の悲願でもあった魔王討伐を祝したパーティーが続いている。
もう子どもは寝ているような時間。
だが大人たちはまだまだ元気が余っているようで、終わりを見せる気配は見受けられなかった。
「あれじゃあ、どっちが子どもかわかったもんじゃないね」
日本で生まれて三十年、そしてこの世界に生まれて十八年。
前世の言葉で言うならアラフィフに差し掛かるとはいえ、十二歳頃から成長の止まったこの身体は、なにも知らない者にはいつも子ども扱いされてしまう。
「こいつも、誰かの前で飲もうとすると止められるし」
ルサルカはパーティー会場からくすねてきたワインをグラスに注ぐ。
赤い血のような液体が入ったこのボトル一本で、庶民がどれだけ生活できることか。
そんな取り留めもないことを考えながら松明の燃える音を聞いていると、ルサルカは自分に近づいてくる気配に気づいた。
「ルカ、こんなところにいたのか」
暗闇の中でも月明りを反射するような美しい金髪の青年は、柔らかい笑みを浮かべながら、自分と同じくワインを片手にゆっくりと近づいてくる。
「セリカ……主役のくせにこんなところにいていいの?」
「それを言うならルカもだろう? パーティーが始まって早々にいなくなるから、もう旅立っちゃったのかと思って焦ったよ」
パーティー会場では淑女たちの視線を一身に受け、魔王討伐を成し遂げた勇者セリカ。
出会ったときは自分と同じくらいの年齢だったはず。
それが今は自分よりも頭二つ大きく、少年は立派な青年となった。
まだまだ子どもだと思っていたが、いつの間にかずいぶん大きくなったものだ。
彼が手に持ったグラスを寄せてくるので、軽く合わせてやると、小さな音が二人しかいない城壁に小さな音が鳴り響く。
そのまま隣に寄り添うように立ち、ただ前を見る。
「まだパーティーは終わる気配がないけど、ルカは会場に行かないの?」
「私があそこにいたら、気を使った貴族たちがお見合いを薦めてきて鬱陶しいからね」
「最初から正体を隠さずにいればよかったのに、中途半端な年齢に魔法で変装するからだよ」
「色々と事情があるんだよ。子どもにはわからない事情がさ」
美味しい料理を手に出来ないのは残念だが、それは今後の旅の中で見つけて行けばいい。
そう割り切って、こうして王都での最後の夜を過ごしていた。
今のエルフの姿と違い、魔王討伐をした『人間の魔女』ルカの見た目は三十代。
十代で結婚が当たり前とされるこの世界では、少し周りも気を遣う年齢だ。
といっても、ルサルカ自身は別にわざとそういう年齢にしているわけではない。
ただ幻影魔法でイメージした人間の自分が、前世の自分と重なっただけである。
元々ルサルカが転生したのは、王国南部に広がるエルフの王国『シルフガーデン』の王族であるハイエルフ。
それが人間の国を助けるために動いたと知られれば、国際的な問題で面倒なことになると思い、セリカたちと旅をしている間は魔法で姿を変えていたのだが――。
「設定をミスったよ。それに今更だけど、別にエルフのやつらに気を使ってやる必要なんてなかったんだよね」
「本当に今更だね、それ」
魔王に滅ぼされた東にある小国の魔女。
そんなありきたりな設定を作ったせいで、秘伝の魔法があると信じた貴族たちが自分たちの次男や三男を寄越してくるのは、とても面倒くさい。
彼らはルサルカの本当の姿を知らないし悪気はないのだろうが、長寿のエルフと人間が恋をするなど、待っているのは辛い別れだけだ。
「そういえばセリカ。王宮ご自慢の料理はどうだった?」
ルサルカがそう尋ねると、セリカは少し懐かしいものを思い出すような表情をする。
「旅の途中で食べた、ルカの料理の方が美味しかったよ」
「馬鹿だね。あんな雑な料理より王宮の料理人たちが丹精込めて作ったやつの方が美味しいに決まってるじゃないか」
「たとえそうだとしても……俺はガイアやレザードと一緒に奪い合ったあの料理が、きっとこれから先の人生も合わせて、一番美味しい料理だったと思う」
ガイアは世界最強を目指す武闘家、レザードは神の祝福を受けた聖騎士。
二人とも勇者セリカと共に旅をして魔王を討伐した英雄で、そこに『東の国の魔女』であるルサルカが入り、この勇者セリカのパーティーが完成する。
端から見ればきっとこの勇者パーティーは輝いて見えたことだろう。
世界を救うに値する、素晴らしいメンバーだと言われるに違いない。
だが実際、自分が作った肉じゃがやカレーなどを奪い合うなどすぐ喧嘩をするし、まるで大きな子どもだと何度も思ったものだ。
「そんなに特別な物を作った覚えはないんだけどね」
「旅をして色々な街に訪れたけど、君の料理はどれも見たことないし美味しいし、特別だったと思うよ」
「そっか……」
前世では世界中を旅するのが趣味だった。
もっと言えば、その地域で得た知識や伝統、料理といった様々なものを調べるのも好きだったのだ。
セリカたちと旅をしている間、その知識を思い出しながら色々な料理にチャレンジしてみた。
中には材料が合わずに大変な目に合った物もあったが、それも含めて楽しい思い出だと思う。
「……」
「……」
しばらく無言でワインを飲みながら地平線の先を眺め、少し昔を思い出す。
まだセリカが自分と同じくらいの身長だったとき、彼は王国を守りたいのだと言っていた。
それが六年前で、今こうして本当に王国を守り切り、勇者としてこの場に立っている。
当時はまだまだ弱かったのに、それでも王国を守りたい、自分を助けてくれた王女を守りたい、弱い人たちの希望になりたいと言っていた少年が、ずいぶんと強くなったものだ。
ついそんな風に感慨深く思ってセリカを見ていると、不思議そうに見つめ返してくる。
「どうしたの?」
「なんでもないよ。ああそういえば、クレア王女と無事に婚約できたんだって? おめでとう」
「うん、ありがとう」
今度はルサルカがワイングラスを軽く上げると、セリカが合わせてくる。
「これでセリカはただの一兵士から勇者、そして王様か。あ、そもそも兵士の前は村人だったね。ふふふ、天下一の成り上がりって、いつか歴史書に載るかもね」
「別に俺はただ、この王国とクレアを守れればそれで良かったんだけど……」
「いいじゃないか。たまたま目的と手段が一致していて、お前は強くなり、こうして達成できたんだから」
「全部、君のおかげだろ?」
「私はなにもしてないよ。ただ、一緒に旅をしただけだ」
この世界に転生した時は、ファンタジーの世界を旅できるなんて、と感動したものだが残念ながらエルフの国『シルフガーデン』は閉鎖的な国だった。
普通のエルフならともかく、ハイエルフという王族に生まれた自分が外界の世界に出ることを、多くのエルフが望まなかったのだ。
それでもこうして外の世界に出てこられたのは、目の前にいる勇者のおかげである。
「全部、お前が頑張ったからだよ」
城壁に上にワイングラスを置くと、ルサルカはセリカに近づき、その柔らかい髪に手を伸ばす。
「もう俺、子どもじゃないんだけど」
「私からしたら、セリカはまだまだ子どもみたいなもんだよ」
「同じ年齢じゃなかったっけ?」
「精神的な意味で私は五十歳近くだからね、私は」
「昔からそれよく言うよねそれ。出会った時は四十歳くらいって言ってたけどちゃんと年増えてるし」
頭二つ分も身長が違うと、撫でるだけでも一苦労だ。
そう思っていると、セリカが軽く腰を下げるので、だいぶ撫でやすくなる。
「ふふふ。ガイアもレザードもこれくらい素直だったら良かったのに」
「ルサルカがそんなこと言ったら、『お前に子ども扱いされるくらいなら死んでやる!』とか言ってあの二人暴れると思うよ」
「まったく、素直じゃない子どもを持つと母親は大変だ」
そういう問題じゃないよきっと、と呟くセリカの金髪はとても柔らかくて撫で心地が良い。
昔は旅の途中でへこんでいる彼をよくこうして慰めたものだが、ここ最近は身体だけでなく心も強くなったから、撫でる機会もなくなっていた。
それでもこうして素直に撫でられるのは、心に思うことがあるからだろう。
「寂しいの?」
「……そうかも」
「素直でよろしい」
王国を魔王軍の脅威から救った勇者。
これから王女と共にこの王国を支え、守り、育む偉大なる王。きっと下にいるほとんどの者が彼をそう称え、喝采することだろう。
それに対して彼はきっと笑顔を向けて、頑張ると、みんなの期待に応えますと、そう言ったに違いない。
「期待が重い?」
「……相変わらず、ルカには隠しごとが出来ないな」
だというのに、セリカの表情はどこか迷子の子どものように不安そうだ。
きっとこれは、長く一緒に居続けた自分たちにしかわからないことだろう。
セリカはその場で座り込むと、膝を抱えて顔を伏せてしまう。
それは、昔から彼が弱音を吐くときにする仕草だ。
「俺はずっと剣を握って、強くなることだけを考えてきた。だから王様にって言われても、どうしたらいいかわからないんだ」
そんな彼の言葉を、ルサルカは黙って聞き続ける。
「クレアは政治に関しては自分が頑張るから傍にいてくれたらって言うけど、俺はそんな彼女をただ見ているだけの男になりたくない」
「セリカはずっと、クレア王女のことを守りたいって言ってたもんね」
「うん……だけど今は、どう守ればいいのかわからないんだ。魔王を倒す旅は簡単だった。ただ強くなって、魔族たちの脅威から村や街を守って、時々寄り道でダンジョンとかで宝を探して……魔王を倒すことだけを考えていれば良かった」
セリカはこれまでの旅の軌跡を思い出す様に、ぽつぽつと言葉を零していく。
「ガイアは強いバカで、レザードは頭がいいバカで、ルサルカは色々知ってるけどやっぱりバカで……」
「うん」
「でもそんなみんなと旅したこの六年間が、本当に楽しかった。いつ死ぬかもしれない旅も、君たちと一緒ならなんでも出来ると思っていた」
「……セリカ、永遠に続くものなんてのはね、この世にはないんだ」
「わかってる……それでも君たちと分かれる未来なんて、俺は想像もしていなかったんだ」
ガイアは魔王を倒した以上、それより強い者を探すのだと言ってすでに王都を去った。
レザードは魔王の脅威が去った今、神から与えられた力でより多くの救いを与えるのだと、教会のトップを目指すために王都を去った。
そしてルサルカは――。
「私は世界中を見て回るよ」
「うん」
「元々この世界のすべてを見て回るために、私は生まれてきたんだ。だから、ここに残ることは出来ない」
女神に転生をさせて貰うときに願ったのは二つ。
一つはどんな危険な世界であっても、自分の足で安全に旅が出来るだけの強さ。
そしてもう一つは、世界中を見て回れるだけの寿命。
その結果が、人よりも遥かに強靭で長い寿命を持つハイエルフという存在への転生だった。
「魔王を倒すのは、私が気持ちよく旅をするためだった。そして今、魔王という脅威はない。だから――」
「わかってるよ。最初に出会った時からずっとそう言ってたもんね」
ルサルカの言葉を切るために顔を上げたセリカの表情には、もう迷いはなくなっていた。
今までと同じだ。彼はこうして弱音を吐きながら、誰かになにかを言ってもらわなくても自分の意思で立ち上がれる。
だからこそ――セリカは勇者なのだ。
「よっと」
そう気合を入れて立ち上がったセリカは、いつもの柔らかい笑みを浮かべていた。
「頭の中の整理は出来た?」
「うん。あと、ルサルカに残って支えてよって言っても絶対に残ってくれないことも理解した」
「最初から分かってたくせに、面倒な性格してるね」
「もしかしたら、ってこともあるかもと思ってさ。まあ、万が一もなかったわけだけど」
苦笑しながら、セリカは近くに置いてあったワインボトルを手に取ると、ルサルカのグラスに注ぐ。
「まあ、ただの村人が王様になるのに不安があるのはわかるけどさ、大丈夫だよ」
「その根拠は?」
「セリカは誰かのために手を伸ばせる、優しい子だから」
そう言いながら、ルサルカはボトルを受け取ると、セリカのワイングラスに同じく注いだ。
少し気恥ずかしそうな顔をするセリカを見て笑っていると、彼は覚悟を決めた表情になりグラスを軽く上にあげる。
「乾杯しようルカ」
「いいよ。なにに乾杯する?」
「そうだな……それじゃあ――」
――友の新たな旅路の祝福を祈って。
人々の笑い声や喧噪があるなか、月明りの下で勇者の少年と魔法使いの少女は、小さく音を奏でた。
そして翌日。
大きなリュックを背負ったルサルカは、王都の門に背を向けながら地図を開く。
「とりあえず東はまだまだ魔王が侵略した傷痕が残ってるし、南はシルフガーデンが近いから後回し。ってことで北か西なんだけど……」
どちらを選んでも、最終的には世界中を見て回るのだから関係ない。
だが大陸の季節的に、今は夏を過ぎて秋に差し掛かろうとしている時期。
どちらも到着する頃には冬になっていることだろう。
「うん、それならとりあえず、最初は暖かい方に行こうかな」
王都を出てしばらくしたところにある分かれ道で、ルサルカは西に向く。
その先にあるのは、これまでルサルカがいた『アークライト王国』とは、文化形態も大きく異なる、人と精霊が協和する国『セレスティア皇国』。
「さ、それじゃあ今度こそ始めるとしようか。魔王を倒すわけでもなく、世界を救うわけでもない。ただただ、のんびりと世界を見て回るだけの、そんな旅をさ」
最初の目的地を皇国に定めたルサルカは、そう言いながら目的のない旅を始めるのであった。
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