第15話 行軍
照り付ける日差しの下、街道上を列になった兵士たちが行軍している。ヒロ……いや、へーロスを載せた荷馬車はそんな列の中ほどを進んでいた。
「あ、暑い……」
もうどれくらい進んだのだろうか。暑さのせいで額からは汗が滴り、喉が渇きを訴えている。
荷馬車はただの木の板に車輪を付けたような粗末なもので、自分以外に木箱などの荷物も載せられている。恐らく人を運ぶためのものではないのだろう。硬い板の上に長時間横たわっているため全身が痛い。
(ソフィアは大丈夫かな……?)
どうやら彼女は列の後方にある荷馬車に載せられているようだ。もっとしっかり確認したいが、薬を飲まされ両腕を前で縛られているため、起き上がることすらままならなかった。
(別に今の状態でも魔法は使える。逃げようと思えば逃げることはできるだろう)
自分の習得する魔法の中には、麻痺などの状態異常を回復させるものも含まれている。それを使って身体の自由を取り戻した後、飛行魔法で逃げてしまえばいいのだ。
(……でも色々とリスクが大きすぎる。それに、万が一にもソフィアを危険に晒すことはできない)
あのロベルトのことだ。もし自分が逃げれば容赦なくソフィアを殺すだろう。
加えて、まだYLSの魔法がこの世界でも全く同様に使える保証はないのだ。先程は上手くいったが、もしかしたら使えない魔法も存在するかもしれない。それを把握していない状態で魔法に頼るのは危険すぎる。
「……」
先程のパウロの死に様を思い出し、再び苛立ちが込み上げた。ロベルトが言っていたことは間違いではないのだろう。だが、はいそうですかと簡単に受け入れることは自分にはできなかった。
胸中にもやもやとした感情が湧く中、段差にでも差し掛かったのか、荷馬車が突然ガタンと揺れる。その振動によって腰に鈍痛が走った。
「うぐっ!? こ、腰が……!」
実は、先程から荷馬車が揺れる度にずっとこの調子なのだ。これも肉体がへーロスになった影響なのだろうか。
そう考える間にも荷馬車が揺れ、またしても腰に振動が伝わる。
「ひぐっ! ま、また腰が……!」
「おい、さっきからうるさいぞ! 少しは静かにしてろ!」
そう声を上げたのは、先程アマビエと呼ばれていた金髪の兵士だ。彼は数名の兵士と共に荷馬車のすぐ隣を歩いている。
「し、仕方がないではないか! 痛いものは痛いのだ」
「はぁ? 馬車で揺られた程度で痛がるなんて、老人じゃあるまいし……。まさか異種族特有の身体的特徴なのか?」
「だから私は人間だと言っているだろうが……」
暑さと腰の痛みで声を荒げる気力すら湧かない。
「そうだ。悪いが、私の身体を起こして座らせてくれないか? そうすれば少しは痛みが和らぐと思うのだが」
「え? 何で僕がそんなことを……」
せめて腰の痛みだけでもどうにかならないかと思ったのだが、案の定アマビエは警戒しているようだ。しかし、行軍中ずっとこの痛みに耐えるのは御免だった。
「痛みが和らがないと延々と騒ぎ続けるぞ! さあ、身体を起こしてくれるだけでいいのだ」
「……はぁ」
彼はため息を吐くと、警戒しながらも荷台の外からこちらの背に手を掛け、上体を起こしてくれた。
「ふぅ」
荷台に積まれた木箱にもたれかかり、ほっと息を吐く。姿勢を変えたことで腰の痛みが和らぎ、身体が多少楽になった。
アマビエはそんなこちらを不審そうな目で見つめている。
「やけに人間臭いな。本当に異種族なのか……?」
「だから私は人間だと……」
そう言いかけて口を閉じる。このやり取りはもう何度目だろう。
(このままじゃどうにもならないな……。まずは信頼を得ないと)
幸い、このアマビエはロベルトと比べれば数千倍は話しやすそうだ。まずは会話をして少しでも親睦を深めよう。そう考えて口を開く。
「まぁ、お陰でかなり楽になった。感謝するぞ。えぇと……アマビエで良かったか?」
「人の名前を気安く呼ぶんじゃない! 人間かどうかも疑わしいっていうのに……!」
初っ端から会話を打ち切られてしまう。だがこの程度で引き下がるわけにはいかない。
「悪かった。ではそうだな……。アマビエだと何だか呼びにくいし、本名を呼ばれるのは嫌なのだろう? なら、私はお前をアビィと呼ぼう」
「はぁ? そ、そういう問題じゃ……!」
アマビエが声を荒げるが、それを制するように口を開く。
「フッ、何も照れる必要はないぞアビィ! お前も私のことをへーロスと呼ぶがいい!」
「照れてないし、勝手に話を進めるな! これ以上言うことを聞かないなら、ロベルト将軍に言いつけるぞ!」
その台詞を聞いて、先程のロベルトの発言を思い出す。
「ふむ。……だが、先程将軍は私に『不審な行動はするな』と言ったのだ。世間話くらいなら別に不審ではないだろう? 私の会話まで制限する権限がお前にあるのか?」
「うっ! そ、それはそうかもしれないけど……」
アマビエは下を向いて言葉を詰まらせる。生真面目そうな口調から予想はついていたが、彼は権限といった言葉に弱く上官に逆らえないタイプなのだろう。
我ながら屁理屈だとは思うが、とにかく会話は続けられそうだ。今の内に少しでも親睦を深めなければ。
「しかしアビィ。先程から見ていたが、凄い光景だな」
そう言って街道の左右を見つめると、そこは一面に小麦のような作物が植えられた巨大な畑が広がっていた。風が吹くたびに穂が揺れ動き、まるで黄金色の海が波打っているように見える。
「とても綺麗だ。こんな景色は初めて見たぞ」
「……異種族にとっては珍しいのかい?」
アマビエが警戒を含んだ口調でそう口にする。だが、無視することなく返事を返してくれることを考えると、彼も多少はこちらに興味を抱いてくれているのだろうか。
「だから私は人間だと……。はぁ、まあいい。私の住んでいた場所ではこれほど広大な畑は無かったのだ」
「一体どんなところに住んでいたのさ?」
ぶっきらぼうな声ではあるが、意外にもアマビエの方から質問を投げかけてきた。これは良い傾向だ。できればこの調子で会話を続けていきたい。
「まぁ、一言で言えば田舎だな。山がちな地形だったので農地は少なかったのだ。……それはそうと、畑がここまで大きいと収穫もさぞ大変なのだろうな」
「まぁね」
アマビエは畑の方に顔を向ける。
「でも、小作人や地主にとっては嬉しい悲鳴さ。手間暇かけて育てた作物だからね」
そのとき、畑を見つめる彼の瞳に明るい光が差したような気がした。
「この様子だと今年はきっと豊作になる。……収穫が楽しみだな」
独り言のような口調ではあったが、その声の端々からは喜色が感じられ、顔にも優しげな表情が浮かんでいる。兵士には似つかわしくないような、穏やかで温かい表情だ。
そのままアマビエの顔を見つめていると、こちらの視線に気が付いたのか慌てて声を上げた。
「……はっ! こ、こら! 人の顔をじろじろ見るんじゃない!」
「む? あぁ、悪い。何というか、お前には鎧姿が似合わないと思ってな」
その言葉を聞いた瞬間アマビエの表情が一変する。眉間にはしわが寄り、腹立たしげな目でこちらを睨んでいた。
「鎧姿が似合わない……? それは、僕のことを馬鹿にしているのか?」
怒気を含んだ低い声だった。その豹変ぶりに思わず瞠目してしまう。『鎧姿が似合わない』という言葉がそれほど気に障ったのだろうか。
「す、すまなかった。気を悪くしたなら謝ろう。ただ、畑を見るお前の顔があまりに優しそうだったのでな」
「あ、何だ、そういうことか……」
アマビエの顔から怒りの色が消え、一転してきまりの悪そうな表情が浮かぶ。彼はそのまま押し黙ってしまい、周囲に沈黙が流れた。
気まずい雰囲気だ。これは不味いと思いすかさず口を開く。
「それに、身体の細さで言ったら私といい勝負ではないか? それで兵士をやっているのだから尊敬するぞ」
「なっ! や、やっぱり馬鹿にしてるだろ!?」
アマビエは腹立たしげに叫ぶが、表情は元通りに戻ったようだった。だが、彼は止まることなくまだ話し続けている。
「いいか? 僕はこう見えてもロベルト将軍の補佐官なんだ! 階級で言えば百人隊長よりも上なんだぞ!」
むきになっているのか、その口からは次々に情報が飛び出てくる。仮にも敵だと疑われている自分に対してそんな情報を漏らしてしまって良いのだろうか。
「あの、アマビエ様。少々話し込みすぎでは?」
自分と同じことを思ったのだろう、近くを歩く兵士の一人がおどおどと声を上げた。それを聞いたアマビエはハッと口を押える。
「そ、そうだ! そもそも君は異種族なのだろう!? 馴れ馴れしく話しかけないでもらいたい!」
「いや、だから私は人間……」
「ええい、喋るんじゃない!」
強引に言葉が遮られてしまう。もっと会話を続けたかったが、こうなってしまっては難しいだろう。
「はぁ……」
どうしようもなくなり、深くため息を吐く。
(母さんや学校のみんな。今頃一体どうしてるのかな……)
そんなことを考えながら空を見上げた。晴れ晴れとした青空には真っ白な雲が流れており、何とも言えない寂寥感が胸の中を満たしていく。
「空の青さはどこへ行っても変わらないな。……ん?」
見上げていると、空を飛んでいる複数の影が目についたのだ。へーロスになったせいで視力も低下したのか、はっきりと視認することはできないが、数は6といったところだろうか。
それらの影は、編隊のようにしっかりとした隊形を組んで飛行している。
(あれ、なんかやたらと大きくないか?)
空には他の鳥たちも飛んでいる。しかし、その影は周りの鳥と比べても異様に大きい気がするのだ。距離感のせいかもしれないが、どうにも気になってしまう。
「おい、アビィ。あの空を飛んでいるのは何だ? 鳥にしてはやけに大きい気がするのだが」
そう言うと、アマビエは煩わしそうな声で口を開く。
「だから何なんだよその呼び方は! あと、逃げるために僕の気を逸らそうとしたって無駄だぞ。流石にそこまで間抜けじゃ……。あ、あれ? 嘘……?」
空を見上げた彼の顔が急速に青ざめていく。唇がわなわなと震えだし、目には怯えの色が浮かんでいた。
「み、みんな上を見ろ! 敵だ! ゴブリンの空中騎兵だ!」
その声を聞いて周囲の兵士たちが一斉に空を見上げる。自分もつられて空の影を注視するが、鳥のシルエットの上に小さな人型のようなものが乗っているのが分かる。
それらの影は、こちらに向かって急降下しつつあった。
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