第13話 拘束

「黙れ。人間に魔法など使えるものか。大方、ゴブリンやオークなどの亜人が化けているのだろう」


 ロベルトはこちらの頭を地面に押し付けながらそう口にする。


(人間に魔法が使えない? 一体どういうことだ……?)


 思考が混乱する中、周囲にいる兵士の一人が声を上げた。


「し、しかし旦那。こいつ、人間の姿をして人間の言葉を喋ってやがりますぜ? 本当に異種族なんですかい?」


 声を上げた彼は兵士の中でも特に屈強な体格をしており、顔立ちも獣のように荒々しい。だが、ロベルトはその言葉を即座に否定する。


「キーン、異種族の中には姿を変える魔法を使う輩もいる。それに奴らの力は未知数だ。こちらの言葉を理解する個体がいても不思議ではない」


 そこまで言うと、ロベルトはこちらの頭を掴み上げてまじまじと見つめた。


「加えてこの平坦な顔立ち……。人間に似せて作ったつもりなのだろうが、詰めが甘かったな。奇妙な言葉遣いといい、正体を隠し切れていないぞ」


 彼が言っているのは自分の日本人としての顔立ちのことだろうか。確かにこの世界では西洋風の顔立ちをした人間がほとんどであり、彼らからすれば自分のような容姿は珍しいのかもしれない。


「くっ! そんなことを言えば人権団体が黙っていないぞ……!」

「また訳の分からんことを……。まあいい、貴様にはこれをくれてやる」


 ロベルトは腰に下げた袋から小さな瓶のようなものを取り出すと、それをこちらの顔へと近づけた。


「な、何を!? ……ぐぅ!」


 周囲の兵士によって無理やり口をこじ開けられる。するとそこにロベルトが瓶の中身の液体を注ぎ込み、口内に強い苦みが広がった。


「ゲホッ、ゴホッ!」


 液体を吐き出そうとせき込むが、兵士たちはすかさずこちらの口と鼻を塞ぎ手で押さえつける。呼吸ができなくなり、息苦しさからつい液体を飲み込んでしまった。

 それを見て、兵士たちが安堵したような表情で自分の口から手を離す。


「かはっ! い、一体何なのだこれは!? ……む?」


 そのとき肉体の異変に気が付いた。視界がぼやけ、全身に上手く力が入らないのだ。意識はあるのに手足が言うことを聞かず、まるで水中にいるかのように身体が重い。


「身体の自由を奪う薬だ。敵の捕獲に用いるものだが、念のため用意しておいて正解だった。まさか異種族の魔術師を捕らえられるとはな」


「だ、だから異種族ではないと……!」


 喉にまで力が入らず、上手く言葉を発することができない。ロベルトはそんなこちらを見て満足げな表情を浮かべると、周囲の兵士に向かって指示を出した。


「これより街道に向かう。この男とあの女奴隷。それと『赤牙』の首も持って行け」

「なっ! ソ、ソフィアは私とは無関係だ……!」


 必死にそう言うが、ロベルトは冷ややかな目でこちらを見下ろした。


「黙れ。貴様はあの女奴隷を庇っていたな。今更無関係だとは言わせんぞ。それに、貴様が抵抗しないよう人質も必要だ」


 ソフィアの方に目をやれば、彼女は喉元に剣を突き付けられながら震えていた。


(くっ! ソフィアまで巻き込んでしまうとは……)


 胸の中を後悔と罪悪感が満たす。

 自分がソフィアをオークから助けたのは事実。だが、助けた先でこうしてまた別の厄介事に巻き込んでしまった。自分がもっと上手くやればこの事態は回避できたのだろうか。それとも、自分がソフィアを助けたこと自体間違いだったのだろうか。


(いや、あのときソフィアを見捨てるなんて選択肢は無かった……)


 そんなことに頭を悩ませていると、ロベルトが周囲に向かって声を張り上げる。


「これより街道に向かう! 急ぎ準備をしろ!」






 両腕を縛られ、薬で身体の自由を奪われた俺は、屈強な兵士の肩に担がれながら森の中を進んでいた。こちらの魔法を警戒しているのか、兵士達は皆自分からある程度の距離をとって歩いている。『赤牙』とやらの首を持った兵士たちは一足早く先へ向かったようだ。


「未だに信じられん。まさか人間の姿に化ける魔術師がいて、その上そいつを捕らえられるとはな」

「だが、異種族が人間の言葉を話すなど聞いたことが無いぞ。やはり奴は人間なのでは……?」

「いや、人間が魔法を使うなどおとぎ話だ。やはり奴は異種族だろうよ」


 近くの兵士たちの会話がこちらまで聞こえて来た。


(やっぱり、この世界では人間は魔法を使えないのか)


 ロベルトの口ぶりから予想はついていたが、これで確定だろう。

 この世界では魔法を使えるのは異種族だけ。だからこそ自分はここまで疑われ、警戒されているのだ。


(でも一体何故そんなことに? この世界にYLSと同じ法則が通用するなら、人間だけが魔法を使えないのはおかしい)


 魔力の流れる感覚といいオークの存在といい、この世界には明らかにYLSと同じ法則が作用しているように思える。YLSではゴブリンやオーガなどの亜人に加え、当然人間も魔法を使用できた。


(そもそもこの世界は一体何なんだ? ……まさか死後の世界?)


 YLSのヘビーユーザーだった自分に対し、神様がこの世界を用意してくれたのだろうか……。とも思ったが、それにしては目覚めた直後に全裸だったり兵士の一団に連行されたりと、序盤からハードモードすぎる。


 疑問が止めどなく湧く中、前方からロベルトと兵士の話し声が聞こえてきた。


「ロベルト将軍。あの男が異種族の魔術師ならば、何故『赤牙』を殺すような真似を?」

「さあな。『赤牙』を殺した手柄をもって我々の社会に入り込み、内部から帝国を崩すつもりだったのかもしれん。まぁ、それにしては不可解な点が目立つが……。何にせよ、異種族の考えなど理解できるはずがない」


 やはり自分は疑われている。まずはその疑惑を晴らさなければどうにもならなそうだ。


「先程からずっと言っているだろう! 私は異種族ではなく人間だと……!」


「黙れ。許可なく口を開けばあの女奴隷の首をはねるぞ」


 説得を試みるも、ロベルトは聞く素振りさえ見せずに冷たく言い放つ。苛立ちが込み上げるが、ソフィアを人質に取られている以上反抗はできない。


「……」


 自分の後方に目をやると、そこには兵士の肩に担がれているソフィアの姿があった。髪に隠れて表情を窺うことはできないが、彼女の不安げな雰囲気がこちらまで伝わってくるようだ。


「しかし旦那、こいつ随分と体が軽いですぜ! いくら魔法でも体重までは誤魔化せないでしょうし、もしかしたらゴブリンかもしれませんね!」


 自分を担いでいる兵士が突如として声を上げる。緊迫した雰囲気の中にあって、その声はまるで遠足でもしているかのように陽気だった。


 だが、案の定と言うべきかロベルトからの注意が飛ぶ。


「キーン、そろそろ街道に出る。私語は慎め。それと私のことは将軍と呼ぶように」

「へいへい、分かりましたよ旦那」


 本当に分かっているのか極めて疑わしい返事だ。ロベルトも呆れたように溜め息を吐いている。このキーンと呼ばれる兵士は普段からこんな調子なのだろうか。


 そのとき、ふと後方にいる若い兵士に目が向いた。自分が先程赤い牙のオークから助けたあの兵士だ。


(一応俺に助けられたんだから、俺のことを弁護してくれてもいいのに)


 僅かな苛立ちが込み上げる。だが、生き残った彼の姿を見ていると不思議と心が平静になっていった。


(……まぁいいか。とにかく命は救えたんだ。)


 命さえ無事ならあとはどうにでもなる。そう思うと、沈んでいた気持ちが少しだけ上向きになった気がした。

 

(俺だって同じだ。生きてさえいればいつか誤解も解けるさ。もうちょっと楽観的に考えよう)


 そう考えながら周囲を見渡すと、先程より木々の数が減っており、森の外縁に近づいているのだということが感じられた。





 しばらく進むと木々が開け、目の前に街道が広がった。以前見たのと同じ石畳の敷かれた長大な街道だ。


 だが、その傍らには先程とは異なり多くの兵士が整列していた。正確には分からないが数は数百といったところだろうか。


「ロベルト将軍、よくぞご帰還を! 第2軍団第1大隊、お迎えに上がりました!」


 列の中から装飾付きの兜を身に着けた兵士が進み出る。彼は右手で自身の胸を叩き、次に腕を指先まで伸ばして斜め上へと向けた。彼らなりの敬礼なのだろうか。

 ロベルトも同じようにして敬礼を返すと、不可解そうな様子で口を開く。


「ブルーノ、ご苦労。だが何故これほどの兵がここにいる? 戦況はどうなっているのだ?」

「それが……戦場に『赤牙』の首を晒した途端、敵軍が撤退を始めたのです!」


 その兵士は興奮した口調で続ける。


「オーク共の攻撃を退け、兵たちも喜びに沸き立っております! 我が軍の勝利です!」


 見れば、前方で整列する兵士らの顔には疲労と共に歓喜の色が浮かんでいた。今回の戦いは人間側の勝利ということなのだろうか。 

 だが、ロベルトは報告を聞いても冷静だった。


「なるほど。軍は現在どうなっている?」

「ハッ! 敵の反攻を警戒して追撃は行わず、負傷者の救護と陣形の再編に全力を挙げています。指揮は第三軍団のヴァレリオ将軍が」

「ふむ。ならば任せておいても問題はあるまい」


 ロベルトはようやく安堵したように息をついた。


「此度も何とか凌ぎ切ったか。……して、宮殿への伝令は?」

「ハッ! 怪しい魔術師を捕虜にしたと既に伝令を走らせております。馬を乗り

継いでの伝令ですので、早ければ半日ほどで返事が届くかと」



 そこまで言うと、その兵士はこちらに怯えを含んだ視線を送る。


「……将軍、彼が例の?」

「うむ。警戒は必要だが、既に薬を飲ませ人質もとってある。ひとまず危険はないはずだ。奴の処遇については宮殿からの返事を待つとしよう」


 ロベルトはそう口にすると、こちらの方へ目を向けた。


「さて……」


 彼は険しい表情をしながらこちらへと歩み寄ってくる。

 また何かされるのだろうか……と身構えていると、ロベルトは自分の横を通り過ぎてそのまま後方へと歩いて行った。


「え?」


 拍子抜けして思わず声が出てしまう。担がれながらも後ろの方に目をやると、ロベルトは先程自分がオークから助けた若い兵士と向き合っていた。


「貴様はナナウ川の橋を防衛していた部隊の一員だな?」

「……は、はい」


 若い兵士が震える声で返事をする。


「名は?」

「パオロ……。パオロ・アサデミウス・アネーリオです」


 パオロと名乗った兵士は、不安そうな面持ちでロベルトの表情を窺っていた。


「貴様の隊には元々『橋を死守せよ』との命令が下されていたはずだ。撤退の許可を出した覚えもない。……にも関わらず、何故貴様はここにいる?」

「ひっ……!?」


 ロベルトの声からは隠し切れない怒りが滲み出ており、パオロの顔面がみるみる蒼白になっていく。

 ロベルトは怒気を含んだ声で再び問いかけた。


「答えろ。貴様は何故ここにいるのだ?」

「し、仕方がなかったのです! 『赤牙』がやってきて、俺たちの部隊は一瞬で半数以上が殺されました! その上数えきれないほどのオークが押し寄せてきて……!」


 パオロは泣きそうな顔をしながら必死に弁明するが、それを見るロベルトの目は氷のように冷ややかだった。


「それがどうした?」

「……え?」


 パオロが呆気にとらわれたような声を上げた。


「たとえ全滅しようとも、最後の一兵まで橋を守って時間を稼ぐ。それが貴様らの役割だったはずだ」

「し、しかし……!」


 なおも反論しようとしたパオロだが、ロベルトの殺気立った目に睨まれ、それ以上何も言えなくなったようだ。


(事情は分かったけど、そんなの仕方がないじゃないか……)


 あのパオロという兵士が任務を放棄して逃げ出したというのは理解できた。

 だが彼はまだ若く、自分とそう変わらないくらいの年齢なのだ。兵士であるとはいえ、オークの大群を前に逃げ出すなという方が無理だろう。


 しかし、ロベルトは相変わらずパオロを睨みつけている。彼はパオロの腰に下がっている空っぽの鞘に目をやると、侮蔑的な声で口を開いた


「敵前逃亡に加えて命令不服従。さらには盾と剣まで失い自分だけ逃げおおせるとは……。到底看過できるものではない」


 ロベルトの声には明らかな敵意が宿っており、その表情はとても味方の兵士に対して向けるようなものではない。まるで敵……あるいは裏切り者でも見ているかのような顔だった。


(待て、一体何をするつもりだ?)


 両者の間は険悪な空気で満ちており、明らかに不味そうな雰囲気だ。



 ……瞬間、ロベルトが目にも止まらない速さで剣を抜き放ち、パオロの喉を切り裂いた。


「がっ……はっ……!」


 彼の喉から鮮血がほとばしり、足元の地面を赤く染める。パオロは切り裂かれた首を抑えながら倒れ込むと、数度痙攣した後に動かなくなった。


「……は?」


 一体何が起きたというのか。目の前の出来事を理解できない。


 倒れ込んだパウロに目をやる。彼の瞳からは既に光が失われており、その顔面には恐怖が張り付いていた。


 そのとき、自分の後ろで震えながらうずくまっていた彼の姿を思い出す。

 その光景と眼前の死体の表情が重なり、心の奥から何かが込み上げてきた。


「……き、貴様ぁあああ!」

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