有限な人生を僕は青春プランに沿って生きたい。
唯野古川
第1話 8月15日13時00分 福丸然と終戦
『吾輩は猫である、名前はまだ無い。』
かの有名な小説の一節である。しかしながらその小説がどのような内容で、登場人物や舞台がどのように設定されているのかを知る者は少ない。まして、その猫がどんな名前を付けられたのか、はたまた猫という固有名詞のまま小説の一生を終えたのかなど知るよしもない。いい感じの人生、いや猫生とでも言うべきか、そいつを全うできたのなら幸せだろう。しかしながら、少なくとも自らを猫と認識し、さらに名前をもたないことも認識できるくらい頭が回る猫であるならば、きっと素晴らしい晩年を迎えたに違いないさ。
とはいえ、それだけ有名になったにも関わらず世間に名前が浸透していないのはいささか不憫ではなかろうか。そうだ、せっかくだし名前をつけてあげよう。
「……やっぱりここは皆の記憶に残るようなキャッチーかつ、当人の賢さをうまく体現したような名前がいいか。」
思い浮かぶのは過去の偉人たち。ひとりの偉人の名前に決めて、いつか猫を飼うことがあればその名前をつけてやろうと決意したところで時間潰しのための思考をやめた。
開け放した窓の外からはクラシックギターの音に混ざってジージーと蝉の声が聞こえる。この鳴き声を聞くだけで体感気温が2割増しに感じる気がするのは自分だけだろうか。うだるような暑さに喉が渇く。舌の先がカラカラに乾いて、全身が水分を欲しているのがわかる。
今日は昨日よりも3時間は早く目覚めた。6時くらいだったろうか。もうすぐ午後1時になろうとしているが、1時間前に自室の冷蔵庫にあった最後のスポーツ飲料は飲み干してしまった。カーテンは閉め切ってあるが、体はじわじわ汗ばんできている。ついさっき体をボディシートで拭いたばかりなので、もう一度拭く気にはならない。それに、一昨日くらいから制汗剤特有のシトラスだかミントだかの香りがずっと鼻を刺激している。風呂なしボディシート生活は1週間が限界という結論が今出てしまった。
だがしかし、それを考慮しても五感が敏感になっている気がする。これは最後の時が近づいてきているということだろうか。だがさて果たして、
「誰の策略だこれは……。」
目覚めたときにはエアコンは既に虫の息。昨日まで足元にあったはずのサーキュレーターはすっかり姿を消してしまった。おかげさまでいつもよりも大変健康的な時間に目覚めてしまった。
……よし決めた。今決めた。これが終わったら必ず犯人さんを断罪して差し上げよう。できれば同じ方法で目覚めさせるだけじゃなく、そこに暖房もプラスでプレゼントしてあげようと思う。犯人の目星はついている。というか我が家には自分以外にはもう一人しかいないのだ。
今自分がかろうじて生きながらえているのは窓から時折吹いてくるそよ風のおかげ。6畳の部屋はエアコンの効きはいいが、付かないとなると外の気温に大変に左右される作りになっている。日当たりの良さをこれほどまでに恨んだことはない。
とはいえ食事はお菓子が山盛りあるし、水分も我が家の住人(一人)の目を盗めば多少なり持って来れる。つまり生きていくには問題はない。
それに、現代を生きる高校生を舐めてもらっては困る。
スマホ一台あれば、友人はおろか世界中の誰とでも繋がることのできるこの世の中で、日中を過ごすに困ることはない。
この立て籠もり期間に読もうと思っていた本は読了済み。宿題も完璧にやり切った。後は、スマホ片手にこの夏休みをただひたすらに怠惰に、平和に過ごすことこそが至高と呼べる。
改めてベッドに寝転がり、スマホを手にネットサーフィンを試みる。
しかし画面には『応答に時間がかかりすぎています』の表示。もう一度更新を押下するが、……おかしい。
「繋がらない。」
試しに久治郎(きゅうじろう)にメッセージを送るが画面には『送信できませんでした』の文字。
「これはまさか。」
恐る恐る机の上のノートパソコンを開く。適当なページを開こうとするが、同様のエラーが表示される。
「これはもう、そういうことか。」
さてやってくれた。高校生にとって命の灯火とも言える大切なものを断たれてしまった今、もうこれは諦めるしかないのだ。人間諦めも肝心という言葉もある。そうさ、僕はこう言ってはなんだがけっこう頑張った。今までやったこともない立て籠もりをやってみようなんて、なんの理由もなく始めたこと自体がきっと馬鹿なことだったのだ。しかし僕はこれで諦めはしない。次のプランこそは必ずやり遂げるさ。だが今は、
「……ひとまず風呂にでも入ろうか。」
8月15日午後1時。立て籠もり歴1週間、福丸 然(ふくまる しかり)、かくして俺の立て籠もり生活は奇しくも終戦記念日と同じ日に終わりを迎えたのであった。
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