有限に然り

@friendF

第1話 ネットが繋がらない

 『吾輩は猫である、名前はまだ無い。』

 かの有名な小説の一節である。しかしながらその小説がどのような内容で、登場人物や舞台がどのように設定されているのかを知る者は少ない。まして、その猫がどんな名前を付けられたのか、はたまた猫という固有名詞のまま小説の一生を終えたのかなど知るよしもない。いい感じの人生、いや猫生とでも言うべきか、そいつを全うできたのなら幸せだろう。まあでも、少なくとも自分を猫と認識して、さらに名前がないことも認識するくらい頭が回るやつなら大丈夫か。しかし、それだけ有名になったにも関わらず世間に名前が浸透していないのはいささか不憫ではなかろうか。そうだ、せっかくだし名前をつけてあげよう。

 「……やはりここは皆の記憶に残るようなキャッチーかつ、当人の賢さをうまく体現したような名前がいいよな。」

 思い浮かぶのは過去の偉人たち。ひとりの偉人の名前に決めて、いつか猫を飼うことがあればその名前をつけてやろうと決意したところで思考するのをやめた。


 開け放した窓の外からはクラシックギターの音に混ざってジージーと蝉の声が聞こえる。この声を聞くだけで体感気温が2割増しに感じる気がするのは俺だけだろうか。うだるような暑さに喉が渇く。舌の先から水分を欲しているのがわかる。起きてからまだ何も飲んでいない。寝巻きには汗が染みになっているが、それよりも制汗剤の匂いが鼻につく。この1週間は風呂なしでボディシートを使っているから染み付いてしまったのかもしれない。いい加減風呂には入りたいなあ。

 なんだか五感が敏感になっている気がする。これは死が近づいてきているということだろうか。だがさて果たして、

 「誰の策略だこれは……。」

 朝起きてからエアコンはうんともすんとも言わなくなり、昨日まで足元にあったはずの扇風機はすっかり姿を消してしまった。おかげで暑さからくる寝苦しさから目が覚めてしまった。

 よし決めた。今決めた。これが終わったら必ず犯人を見つけ出して断罪してやる。マジでやってやるからなちくしょう。といっても犯人の心あたりはひとりしかいない。というか俺が今の状況になっている原因が奴なのだから、そうとしか思えない。

 「でも思えば、元をたどれば原因は自分か。」

 因果応報。まさにそれを体現しているわけである。


 今自分が生きながらえているのは窓から時折吹いてくるそよ風のみ。6畳の部屋はエアコンの効きはいいが、付かないとなると外の気温に大変に左右される作りになっている。日当たりの良さをこれほどまでに恨んだことはない。

 とはいえ食事はお菓子(山盛り)があるし、水分(スポーツ飲料これも山盛り)があるのだから、生きていくには問題はないはずである。それに、

 「ま、言ってもまだまだ俺はやっていけるさ。なんたってこいつらがあるんだからなっ。」

 寝転んでいた体を起こしゲーム機器の電源をつける。この1週間で相当にやり込んだ。ネット上で同じゲームをしている同士を見つけ、気づけばこの1週間は同じメンバーで遊んでいる。俺は暇を持て余してるけど、こいつらは何してんのかな。そんなことを考えつつ、頭を切り替える。

 「よーし今日もやるか。とりあえず連絡っと。えーと、いまからインします……っと。……あれ。」

 スマホでいつものメンバーにメッセージを送るが画面には『送信できませんでした』の文字。

 「ネット、調子悪いなー。」

 一度回線を切ってもう一回、…うまくいかずさらにもう一回。だが何度やっても表示されるのは『送信できませんでした』の無機質な文字のみ。

 「まさか……。」

 恐る恐る机の上のノートパソコンを開く。適当なページを開こうとするが、エラーが表示される。

 「これはもう、そういうことか。」

 さてやってくれた。高校生にとって命の灯火とも言える大切なものを断たれてしまった今、もうこれは諦めるしかないのだ。人間諦めも肝心という言葉もある。そうさ、俺はけっこう頑張った。そもそもこんなことをすることがきっと馬鹿なことだったのだ。しかし俺はこれで諦めはしない。次こそは必ずやり遂げるさ。だが今は、

 「ひとまず風呂でも入ろうか。」

 2023年8月15日午前8時30分。引きこもり歴1週間、福丸 然(ふくまる しかり)、かくして俺の引きこもり生活(立てこもり生活?)は奇しくも終戦記念日と同じ日に終わりを迎えたのであった。

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