3.アレクとの邂逅②
「――いたぞ!」
「……っ!」
背後から聞こえた声に、睦月はびくりと体をこわばらせた。馬と接触事故を起こしかけたせいで、迂闊にも追手の存在を忘れていた。
逃げようにも、馬と黒衣の青年が行く手を遮っている。左右のどちらに逃げるべきか、きょろきょろと辺りを見回す睦月の頭に、青年がぽん、と手を載せた。
「?」
見上げた睦月に、にやりと笑ってみせる。人の悪い表情だ。
「こっちだ! ……と、指揮官殿?」
藪を掻き分けて現れた男たちが、黒衣の青年を見て足を止める。
「ミシレの門番か。やはりミシレに行ったわけだな」
青年が小さな声で独り言ちた。
「指揮官殿、その者が」
「わかっている」
青年は言った。先ほどまでとは声が違う。深く張りのある、威厳に満ちた声音だ。
「見つけていただき、ご協力に感謝する。彼はこちらであずかろう」
睦月の肩に手を回し、青年が言う。
「しかし! 人の魂は我々ミシレの……」
食い下がったのは、最初に睦月に声をかけた男だ。
「ミシレの管轄は死者の魂だろう。彼は生きている。かつ、越境者はミシレではなく我々の管轄だ」
ぴしゃりと青年は門番の言葉を遮った。
「あなたたちのボスにも訊いてみるといい。間違いなくそう言うぞ。あの人はそういうところはドライだからな」
そういうと、黒衣の青年は「それに」と肩を竦める。
「これだけ怖がらせておいて、彼があなたたちについて行くとでも?」
「それは……、彼が逃げ出したので」
「まず十分に説明をしたのか? ただでさえ見知らぬ土地にいるのに、これだけの人数で追いかければ逃げるに決まっているだろう」
見ていたかのように、的確に責める青年の言葉に、門番たちは返す言葉もなく黙り込んだ。
「とにかく。捜索に手を貸していただいたことには感謝する。彼の身柄は確かに俺が引き受けたとアミローネに伝えてくれ」
「しょ……承知いたしました」
深く一礼し、男たちが元来た方角へと去っていく。
それを見送ると、青年は「さぁて」と睦月の方に振り返った。
「災難だったな。おそらく伝達過程で表現がずれたんだろうが、あれはよくない。責任者に代わって謝罪する」
苦笑交じりに言いながら、青年は睦月と正面から向き合う。
「……」
――どうしよう。逃げた方がいいのかな
先ほどの門番たちとは違い、目の前の青年に威圧感はなくリラックスした雰囲気のままだ。
だが先ほどの会話をよくよく思い返してみれば、むしろ手配を回した張本人なのではないかという疑念も浮かぶ。
睦月の逡巡を見て取ったのだろう。黒衣の青年はくつくつと笑い出した。
「大分警戒してるな。まあ、安心しろったってさっきの今じゃ無理だろうが、とりあえず事情を説明させてくれないか?」
「事情?」
「そう。俺はアレク・ランブル。君は萩原睦月だろう?」
「……」
正直に答えるべきか躊躇した末に、睦月は無言で首肯した。アレクと名乗った青年は微笑を崩さない。
「ここに来る前、大学で倒れたのは覚えてるか?」
「え、倒れた……って」
確かに昼前から具合は悪かったが、自分が倒れたなどという記憶は睦月自身にはない。誰かと間違えてでもいるのではないだろうか。
「ああ、もしかして自覚はないのか?
君が倒れた現場にたまたまうちの部下が居合わせててな。君が
――ん?
睦月は首を傾げた。
今何だか、おかしな表現を聞いたような気がする。なんだっただろうか。
「……保護?」
「そう、保護。少なくとも俺が出した指令は、な」
――どう考えても「保護」って感じじゃなかったけど。
むしろ「拘束」とか「逮捕」の方が近い雰囲気だった。よくて任意同行か。
睦月の言わんとすることに気づいたのだろう。アレクが再び苦笑を浮かべる。
「さっきの件については、本当にすまなかった。俺からももう一度責任者にくぎを刺しておくから、そうむくれないでくれ」
アレクに怒ったところで意味がないのは事実なので、睦月は仕方なしにため息を吐く。
「……で、なんで保護がいるの?」
「君がこちらに来た状況が、少々特殊――というか、前例のない形式だったというのが一つ目。二つ目は、万が一のことがあって君が元の身体に戻れなくなってしまわないように」
――んん? あれ?
まただ。彼があまりにも当たり前のように口にするから、何となくそのまま聞き流すところだった。
さっきもついつい「保護」という表現の方に引っかかって、いつの間にか流してしまっていたが、彼は明らかにおかしなことを言っている。
「待って待って待って」
「ん?」
「僕が元の身体に戻れなくなるって、どういう意味?」
「――」
沈黙。
睦月の問いに、アレクが一瞬動きを止める。
「さっき僕は大学で倒れたって言ったよね? なら何で僕はここにいるわけ? 倒れた僕をだれがここまで連れてきたの?」
「……いや、だからだな。倒れた君の身体から、精神――いや、魂って言った方がわかりやすいか? まあとにかくそれが抜け出して、こっちに来たわけだ。だから今の君は魂だけの存在ってこと――」
「魂? って?」
単語の意味を知らないわけではないが、意味が解らない。
「いや魂は魂だろうよ。人間は肉体と精神からなるっていう、中身の方だ」
「それが?」
「君の体から抜け出して、境界を越えてこっちの世界にきて、今ここにいる、と。それが今の睦月、君だ」
ゆっくりと区切りながら、念を押すようにアレクが言う。対する睦月は、与えられた情報を整理するので精いっぱいだ。
「ええとだから……、つまり、僕は大学で倒れて、その時に魂が抜けて、ここに来た……?」
「そうそう。わかってるじゃないか」
うんうんとアレクが満足そうに頷くが、睦月にしてみればそれどころではない。
「それって、え? もしかして幽体離脱みたいなこと? それか臨死体験?」
さあっと顔から血の気が引くのがわかる。
夢だとしても――いや、夢でないと困るわけだが、それでもやはり、ちょっとシャレにならない展開のような気がする。
「そうか、幽体離脱って言葉があったな。それだ、それ。臨死かっていうと――まあ、多分違うと思うが」
一方のアレクは憎らしいほど落ち着いた様子だが、睦月はもはやパニックをきたす一歩手前である。
「いや何で僕幽体離脱してんの? もしかしてあの湖が見えたせい? 大体なんだったのあの湖? あの人たちめっちゃすり抜けてて怖かったんだけど! 大体ここはどこなの? 別の世界ってこと? もうなんなんだよ?」
「おい、一度に質問するな! とりあえず落ち着け、大丈夫だから!」
半ば恐慌状態に陥って、矢継ぎ早に質問を繰り出す睦月の両肩に手を載せ、アレクは軽く睦月の体を揺する。
「――大丈夫だから、そんなに興奮するな」
睦月の目を覗き込みながら、アレクは静かに言った。その深みのある声に、恐慌をきたしかけていた気持ちが不思議なほどすっと引いていく。
「今のところおまえの体の方は大丈夫だし、必ず元の身体に返してやる。約束する」
真剣な表情でそう言うと、アレクは馬の手綱を引き寄せた。
「乗れよ。いろいろ説明するにしても長くなるからな、戻って何か食いながら話そう」
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