第13話 交渉成立

「神聖ロマイナ帝国第十二皇子カイルロッド殿下――」


「そうだ」


 リュージの口から出た名前を聞いて、アストレアは思わず息を飲んだ。

 どう考えてもヤバい相手であるから、その反応も当然だ。


 下手をすればシェアステラ王国と神聖ロマイナ帝国との間で、戦争になる可能性まであった。

 大国である神聖ロマイナ帝国と、実質属国扱いの小国家であるシェアステラ王国。


 もし万が一にでもこの2国で正面切っての戦争となれば、またたく間にシェアステラ王国は地図の上から消え去ることだろう。

 あまりに国力が違いすぎる。


「我が国を含め多数の周辺国家の頂点に立つ神聖ロマイナ帝国に、反旗を翻せというのですか?」


「そんな大それたことをするつもりはないさ、俺の目的はただ復讐を果たすことのみだからな」


「復讐……」


「姉さんと婚約者であるパウロ兄の人生をもてあそんだ奴らを全員殺す。それが俺の唯一無二のレーゾンデートル、生きる理由だ」


「悲しい過去がおありなのですね」


「安い同情はいらねえよ」


「本気で心配したのですが……」


「実のところお前の感情はどうでもいい」


「ううっ、ひどい言いぐさですね……」


「ま、さすがの俺でも神聖ロマイナ帝国の皇子を殺すとなるとなかなかに難しくてな。そもそも俺は帝国に行ったことすらないからさ。当然、持ってる情報は一般人レベルと変わらないし、帝国での活動拠点もない。だからこの国の庇護とツテ、何より情報が欲しいのさ」


「ですが皇子を殺されたとあっては、神聖ロマイナ帝国も黙ってはいないでしょう。我が国に多大な戦火が降りかかることは必死です」


「この国の関係者だってバレなきゃいいんだろ? 嫌ならこの話はなかったことにするだけ、俺は別のやり方で復讐するだけのことだ。良かったな、ただで目が治って」


 リュージが最後に露骨に一言嫌味ったらしく付け加えると、アストレアは押し黙った。


 国民を危険にさらしてまでリュージの話に乗る必要は、究極的にはアストレアにはない。

 ただ実際のところ、今の神聖ロマイナ帝国に他国と事を構える余裕はそこまでないとアストレアは見ていた。


 帝国成立から400年と少し。

 帝国の統治システムは今や完全に制度疲労を起こしている。


 内部では権力闘争が激化しているとも聞いていた。

 なにせ現皇帝には皇子、つまり世継ぎが20人以上もいるのだから。

 次期皇帝をめぐる争いが熾烈を極めているであろうことは、子供にだってわかることだ。


 また外部的にもかつては帝国の一部、傘下と位置付けられていた各王国が好き勝手をやり始め、一部は結託して新たな国家連邦のようなものを作り、皇帝の威光がほとんど及ばなくなっていた。


 これなら、ある程度リュージがシェアステラ王国と関係があるとバレても――いや確信を持たれてすら帝国が動けない可能性は高かった。


 シェアステラ王国を攻めたくとも、内にも外にも多大な問題を抱えている以上、そうは易々とは動けないのが今の神聖ロマイナ帝国なのだ。


 そして聡明なアストレアは、それらの条件を十二分に理解していた。


 アストレアは頭の中でもう一度状況を整理してから、


「わかりました、その条件を呑みましょう」


 しっかりとリュージの目を見て言った。


「交渉成立だな」


 リュージが差し出した右手をアストレアが両手で取り、二人の視線が絡み合うように交わる。

 新女王アストレアと復讐者リュージ、2人の共犯関係が成立した瞬間だった。


「帝国にはシェアステラ王国の大使館があります。まずは手始めにリュージ様を外交官にでも任命しましょうか?」


「冗談はよしてくれ。それこそ本気で戦争になるだろ。名目は出入りの業者かなんかにして、活動拠点と自由にやれる権限だけ与えてくれればいい」


「それはまた都合のいい話ですね?」


「この国の外交官が帝国の皇子を暗殺する話よりかは、よっぽど都合は悪くないはずだろ?」


「それはもう、まったくもってその通りです」


「それと帝国に行くのは最後の最後だ、まずは国内問題を先に片づける」


「といいますと?」


「早速なんだがアストレアに調べて欲しいことがあるんだ」


「なんでしょう?」


「7年前にカイルロッド皇子がこの国にお忍びで来た時、ライザハット王の指示で接待を担当した商人がいたはずだ。そいつが誰だか調べてほしい」


「当時の接待担当商人ですか?」


「いくらライザハット王がバカでも、正規兵を拉致には使わないだろう。そして詳細を知る人間は少ない方が好ましい。その点、接待を任された御用商人なら全てを把握しているから完全な共犯者で、簡単に口を割ることもない。つまり姉さんをさらったのは十中八九その商人の手の者だ」


「なるほど納得の推理ですね」


「なにせ神聖ロマイナ帝国の皇子をもてなしたんだ、出入りの御用商人の中でもかなり権力に近いヤツだろう。新女王の権力があれば、調べるのにそう時間はかからないはずだ」


「それはそうかもしれませんけど。ですが新女王に即位するわたしは、きっとそれはもうとてもとても大変だと思うんですよね。ほんと初っ端からリュージ様は人使いが荒いですね」


「悪いがお前が新女王になって忙しいことと、俺のために力を貸すことは全くの別問題だ」


「それくらいわかってますよ、今のはただのちょっとした、ほんの欠片ばかりの嫌味というものです。もちろんセバスに命じてすぐに調べさせましょう」


「最優先でやれよ」


「ひどっ!? せめて頑張れの一言くらいあってもいいと思うんですけど……」


「……」


「無視ですか……はい」

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