新選組チューボー録
BN Pictures, SOW/KADOKAWA 単行本・ノベライズ総合
第1回
【序章】
さて、皆様、幕末はお好きですか?
昔から、日本では人気のある時代と言えば、幕末か戦国です。
ちょっと下って平安、あと古代とか、ああ明治や大正もロマンがありますね。
昭和となるとなんかノスタルジック枠です。
いつの日か、平成もそういうふうに語られる時代が来るのでしょうかね。
ともあれ、そんな日本人が大好きな時代のひとつ、「幕末」ですが、意外と期間が長いんですね。
どれくらいだと思います?
諸説は様々あるのですが、一八五三年の、かの有名なペリー艦隊の浦賀来訪に端を発したとし、廃藩置県によって幕藩体制が崩壊した一八七一年までをその期間だと考えれば、おおよそ二十年近くが「幕末」にあたることになります。
この時代、すでに江戸幕府ができてから二百五十年以上が経っていました。
その長き間に、制度が機能不全を起こし始め、社会のあちこちには不満が溜まっていました。
そんな中に黒船来航です。
江戸幕府が鎖国政策を行っている間に、世界は大きく変わっていました。
世界の三分の一を支配していた中華帝国の失墜。
同じく三分の一を占めていた中東国家の衰退。
代わって、産業革命を成し遂げた欧州各国。
そして、新興国家アメリカの台頭。
もはや、昨日と同じことを今日もできる国際情勢ではなかったのです。
やむなく幕府は外交方針の転換を行いますが、その際に、朝廷の許可を求めました。
これはあくまでも形式的なものです。
「
時の帝、
「開国など認めない!」
「異人に日本の土を踏ますな」
「戦をしてでも追い払え」
――と、断固として勅許を下しませんでした。
ぶっちゃけ、朝廷には権威はあれど権力はありません。
所有する軍事力もありません。
幕府に予算をもらって運営している状態です。
「もういいよ」
とばかりに、幕府は朝廷の許しを得ずに、諸外国と条約を締結してしまいます。
いわゆる、「日米和親条約」などがこれですね。
ところが……これが大問題となりました。
当時の日本は、徳川将軍家を頂点とし諸藩がまとめられていた、一種の連邦国家でした。
将軍家とその一族、さらには
幕府は彼らが反逆を起こさないように、長きに渡って抑え込んでいたのです。
それもこれも、徳川幕府が、形だけとは言え「帝に将軍として任命され、日本を差配する」権限を与えられていたからです。
しかし、その幕府が、帝を怒らせたわけです。
「あれ、それダメなんじゃないスか?」
日頃押さえつけられていた諸藩たちは、このときとばかりに、幕府の批判を始めます。
折り悪くも、この頃、十二代将軍徳川
幕府大ピンチです。
こりゃヤバいなと、幕府がどうしたかと言うと、徹底的な思想弾圧を行い始めました。
幕府に対して反抗的な考えを持つ者たちを、上から下まで片っ端から捕らえたのです。
そして、多くの者が獄中で死亡しました。
その中には、かの吉田
安政の大獄、でございます。
ところが、もはやそんなものでは天下は治まりませんでした。
むしろ諸藩からの反感がより高まってしまい、その結果、先の朝廷を無視して条約締結を認め、大獄を計った大老
大老というのは、幕府で将軍の次に偉い人です。
実質的な、当時の最高権力者です。
そんな人物が殺されてしまった。
その後にも、すぐに新たな大老が選出されましたが、同様の事件が起こることを恐れ、幕府はすっかり及び腰になってしまいます。
ちなみにこの間に、十三代将軍を継いだ
その後を継いだ十四代
そして、帝の妹を
しかし、それでも混乱は治まりきらず、さらに日本は迷走していきます。
ここまでが、「幕末」の前半部。
およそ十年の間に起こったことです。
たった十年で、この騒ぎ。
上も下もひっくり返っています。
様々あった末に、概ねこの時代、四つの思想を元にした勢力が生まれます。
一つ目は、帝を守り、日本に秩序を取り戻そうと訴えた「
二つ目は、異国からの者たちを排除し、日本を守ろうと考える「
三つ目は、さらに開国を進め、社会制度を刷新しようと唱えた「開国派」。
そして最後の四つ目が、衰退の一途をたどる幕府を立て直し、再び世を平らかにしようとした、「
桂小五郎、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、坂本龍馬――
様々な英雄、豪傑、好漢、
彼らの存在が、一人でもいなければ、もしかして日本は……いや、世界は、今とは異なる有様になったかも知れません。
それこそ、巨大な運命という機械の、無数に存在する歯車が、一つでも欠けたなら、もしくは……一つでも、増えてしまっていたならば、予想もつかない軌道を描いたように。
そしてこの時期から、ある意味で、最も「幕末」を象徴する者たちが現れます。
「誠」の旗を掲げて戦った彼らは、数百年に渡って続いた武家政権の終焉を彩る、最後のサムライたちでした。
その名は、新選組――
今より始まりまするこの物語は、その中に入り込んでしまった、本来ならば存在しないはずの、一人の歯車が主人公となります。
さて、それがどのような軌道を描くのか……その歯車の名は――
「なんだよ、ここは………」
稲葉泉十七歳――高校生にして、一料理人は、目の前に広がる光景を見て、呆然とつぶやく。
二十一世紀の世界から来た、異邦人――否、異刻人であった。
【第一章】
「まいどおおきに、またおこしくださいませ~」
ここは激動の日本において、今や百年先の覇権を占う、混沌の都市と化した京の都。
その中央から離れて、離れて、またもうちょっと離れたところにある、一軒の小さく地味な、なんの変哲もない茶店である。
「
笑顔がそのまま地顔のような初老の店主が、店の奥にて黙々と菓子作りに精を出していた、おそらく元服は済ませたであろう程度の年頃の下働きに声をかけた。
「あ、そっすか……んじゃ、ちょっと失礼します」
泉と呼ばれた下働きは、愛想笑いを交えて答えると、店の裏手に回り、腰を置いて、一息つく。
「はぁ……これで……一週間か」
店の裏手の柱には、六本の傷がある。
これは泉がこの店に来た初日から、一日一本ずつ刻みつけたものだ。
「どうやら、時間が経てば帰れるもんじゃないみたいだなぁ……」
はぁ、と改めて深くため息を吐いた。
「どないしたんや泉ちゃん?」
「あ、いや、なんでもないです!」
それが聞こえたのか、ひょっこり顔を出した店の主に、泉はあわててごまかした。
「なんや、なんか、思い出したか? わかったことあったら言いや?」
「いやぁ、それがまだなかなか、申し訳ないです!」
「さよか? まぁ、うっとこは、人手入って、助こうてるからええねんけどね」
そう言い残し、主は店内に戻る。
「はぁ……」
その姿を見送ってから、泉はまたため息を吐く。
泉がこの店に来たのは、七日前の夜明け時。
行き倒れていたところを、人のいい店主が助けてくれたのだ。
「どこから来たのかわからない。自分の名前しかわからない」と言う泉を、お人好しな店主は、「思い出すまで居たらええ」と、店の下働きとして置いてくれた。
(いい人だな……ホント、ありがたい。ありがたすぎて……心が痛いよ)
泉は店主に嘘をついていた。
記憶を失ってなどいない。
自分が何者なのか、どこから来たのか、全てわかっている。
だがその地は、この時代には存在しない。
その場所は東京――今より江戸がその名前になるのは、五年先の話。
そして泉は、その五年よりもさらに先、百数十年後の未来の東京から来た高校生であった。
(……だなんて、言っても信じてもらえるわけないよなぁ……)
それどころか、「頭がおかしい」と断じられるのがオチであろう。
「やっぱ全部、コレのせいかな……」
懐から、小さな、桐の木箱を取り出す。
結ばれていた赤い紐をほどき、中身を見る。
それは、一本の包丁であった。
「あのオヤジ……なんだってこんなもの隠し持ってたんだろ?」
ただの包丁にしか見えない。
あえて言うならば、「かなりできの良い」包丁だと、泉の目には映っていた。
一介の高校生が包丁の良し悪しなど分かるのか、と思うだろう。
わかるのだ。
泉は、そんじょそこらのどこにでもいる、ただの高校生である。
ただ唯一、「稲葉」の家の者であるという一点を除けば……
念の為に言っておくが、本名ではない。
屋号と言うか雅号と言うか、ペンネームと言うか、とにかくまぁ、そういうアーティスティックな名前を名乗れるほどの料理人ということだ。
一代にして究極至高の料理人として料理界に旋風を巻き起こし、自身がオーナーを務めるレストランは、予約のキャンセル待ちのキャンセル待ちが現れるほど。
国の内外を問わず貴賓客が訪れ、総理が先の大統領とともに会食の場に使ったものの、外務省からの要請にも「一時間でお帰り願うがよろしいか」と返答し、承服させてしまうほどの名店中の名店である。
ともかくまぁ、一種現実味がないレベルの、皇帝のような料理人なのだ。
そんな男の子どもに生まれてしまったばっかりに、泉は相応の料理人としての訓練を、半ば強制的に受けさせられた。
十歳から数えて七年、毎日毎日、土曜日曜祝日夏休み冬休み春休み関係なしに。
ひたすら、料理の真髄とやらを叩き込まれ続けてきた。
叩き込まれ続けてきて、ついに我慢の限界が来た。
「ふざけんじゃねー!!!」
と、ばかりに父親と大ケンカをした。
厨房にあったデッキブラシをひっつかみ、背後から思い切り叩きのめしてやろうとした。
だがしかし――料理人は体力仕事、そして父は世界トップクラスの料理人。
振り向くことなくブラシの柄を掴むと、そのまま片手でぶん投げられた。
みっともなく床に転がされた泉は、悔し紛れに、「絶対に入るな」と言われていた蔵に入り、「絶対に開けるな」と書かれていた棚を開け、「絶対に開くな」と書かれた紙が書かれた箱を開いた。
どうせ中には、芸術家気取りをしている父が、人に見せられない恥ずかしいものでも隠しているのだろうと思ったのだ。
それを見せつけて鼻を明かしてやろう、そう考えていた。
だが中にはいっていたのは、先述の一本の包丁。
拍子抜けした泉が、少ししてある異様に気づいた時、その包丁は突如光を放ち、泉の全身を包み込んだかと思うと――気づいたときには、泉は包丁ごとこの時代の京都に飛ばされていた。
そして現在、
手に職を持っていると食いっぱぐれないとは言うが、仕込まれた料理人としての腕が役に立ち、見知らぬ地でもとりあえず今日明日に困ることがないのは、せめてもの救いであった。
「――こんな話、自分で言ってて現実味がないもんなぁ……」
改めて思い返してみても、現実味のなさに呆れてくる。
過去に飛ばされた――有り体に言えば「タイムスリップ」である。
なるならなるで、もう少し他の理由や原因がほしいところだ。
光る包丁だなんて、意味がわからない。
しかし……
「でも、これが原因以外に考えられないしなぁ」
その包丁は、一見すれば何の変哲もない、ただの、「できの良い」包丁である。
ただ一点、異様な部分を除けば。
「明治二年、稲葉泉 贈………」
包丁の刀身に刻まれた文字。
明治二年、それがこの包丁が作られた時期なのだろう。
だが、なぜ自分の名前がここに刻まれているのか?
まるで、いずれ自分が手にすることを予見していたような話だ。
自分が生まれる遥か昔に、何者かが……
「って、それ誰……?」
考えたところで、なにもわからない。
もしかしたらこの明治二年のどこかで、この包丁が作られたところに行けば、なにかわかるのかもしれないが、そもそもそれが何年後かも泉にはわからない。
この一週間で今現在の元号が「
「ああもう、これも全部あのオヤジのせいだ!」
この怒りが、逆恨みの八つ当たりであることは、泉にもわかっている。
わかってはいるが、認めるわけにもいかなかった。
「こうなったらいっそ、歴史改変を起こして、オヤジが生まれないようにしてやろうか!」
昔見たなにかの映画で、「両親の出会いを妨害」してしまった時間旅行者の主人公が、その結果自分の存在が消えてしまいそうになってしまう、というシーンがあった。
それをすればもれなく自分も消えてなくなるのだろうが、「死なばもろとも」状態であった。
「ええっと、明治が四十五年で……大正が十五年だよね。昭和は六十三、四?」
そこに平成を足した数から、父の年齢を差っ引けば、父親の生まれる直前の、祖父母の出会いの年数が分かる。
「それでも最低、百年後とかか……」
まだ明治すら始まっていないので、実際はもっと先である。
「あああああ………」
やるせなさに顔を覆い、さらに泉は深い溜め息をついた。
そんな時、突如、怒鳴り声が響く。
「テメコラオウコラ!! ナメてんのかアアン!! ヤッてやんぞコラァ!!!」
ヤクザ者でもここまでのものはないと言いたくなる、ガラの悪い怒鳴り声であった。
「なんだぁ!?」
泉は大慌てで店先に向かい、まず店主の姿を探す。
「うへええ!?」
しかし次の瞬間、店主が猛烈な勢いで泉の足元へと転がってきたのだ。
「オジさん!?」
殴り飛ばされたか蹴り飛ばされたか、ともかく哀れにふっとばされた店主は、泣きそうな悲鳴を上げると、土下座して許しを請い始める。
「か、堪忍してくださいおサムライ様!!」
店先に立っていた、その侍――否、侍たちに。
(これって……!?)
泉の日本史に対する知識は、「幕末」と言われたところでわかるのは坂本龍馬だとか、西郷隆盛だとか、そこらへんがせいぜいなレベルだ。それすらも、「具体的に何をやった人物か?」と問われれば、返答に窮する。
だが、彼らはわかる。
目の前の侍たちが何者か、個人一人一人の名はわからないが、何という組織に属する者たちかはわかる。
「し、新選組……?」
目にも眩しい
新選組――幕末京都を暴れ回った、人斬り集団。
それが、泉の持つその集団に対する認識だった。
「おう? なんだテメェ? 俺らが何者かわかった上で言ってんのか、ああン?」
今しがた聞こえた怒鳴り声の主。
居並ぶ険悪な顔をした侍たちの中でも、特に凶暴そうな風貌をしている。
まるで殺人鬼のような顔――いや、実際に新選組であるのなら、人の一人や二人どころでなく、桁違いに刃を振るっていてもおかしくはない。
「ひえええええ!?」
一発凄まれただけで、泉は悲鳴を上げ、身じろいだ。
「はっ、なんだぇ、なっさけねぇヤツ!」
たったそれだけで、「相手にする価値もない」と思ったか、凶暴そうな新選組隊士は、心からくだらないものを見る目でそう吐き捨てた。
「お、オジさん……なにかやっちゃったの?」
泉の歴史への知識はそんなに深くないが、それでも江戸時代に、武士が自由に町人を斬り殺してよかったという「斬り捨て御免」なる制度があったことくらいは知っている。
「謝りましょう、とりあえず謝りましょう!」
実際にはこの「斬り捨て御免」、よほど明確な理由がなければあとで殺傷した武士のほうがお咎めを受けるので、早々気軽にできることではなかったのだが、泉にそこまでの知識はない。
なんとかこの場を収めようと頭を働かせた結果、死ぬことに比べれば、地面に額を擦り付けてでも許しを請うのが一番と考えた。
「ごめんなさいごめんなさい! どーぞ命だけは!!!」
「お、おおう!?」
百五十年後の人間とは思えぬほど、そこらの江戸時代の人間よりも見事な土下座を披露し、隊士たちの方がちょっと引いていた。
「違うんや泉ちゃん、この人らは、その……」
「なんですか?」
言っても、人のいい店主である。
ここまで怒らせるとなると、なにかしらの理由はあるのだろうが、とはいえ悪意のない偶発的なものだと、泉は思っていた。
だが、店主から告げられたのは、泉の想像を上回るものだった。
「この店が、
「はい?」
この時代を訪れ一週間程度。それでもそこそこ、社会情勢に関しては泉の耳にも入ってきていた。
不逞浪士――いわゆる「倒幕運動」を行っている、諸藩の侍である。
属する藩に累が及ばないように、あえて藩を脱し浪人になったことから、彼らは幕府側からそう呼ばれていた。
「なったんですか?」
「アホいいな!?」
念の為に尋ねたが、店主は「とんでもない」とばかりに返す。
「あの……なにかの間違いじゃないですかね? このお店、ただの、フツーの茶店ですよ」
新選組は、幕府の出先機関のようなもの。
彼らからすれば、不逞浪士とやらは、現代の基準で言えばテロリストである。
険しい顔になるのも理解できるが、さりとて、こんなちっさな茶店をテロリストのたまり場扱いするのは、さすがに無理がある。
「あン……?」
可能な限り友好的に接し、理解してもらった上でお引き取り願おうとした泉だったが、隊士らの反応は、冷たく、かつ険悪なものだった。
「なんだテメェ……俺らが間違っているとでも言いてぇのか?」
「いや、あの、そゆわけではなくて……」
明らかに、一般人の泉でも分かるほど、怒気が増している。
「泉ちゃん、こらアカン……この人らに理屈は通じへん」
店主が小声でささやく。
「コイツらはゴロツキと一緒や……適当な商家に押し入って、いちゃもんつけては金せびる……有名な話やで」
「うへぇ……まんまヤクザじゃん……」
実際、この数ヶ月前、京都屈指の大商家である大和屋に、新選組の前身である浪士組が大砲を打ち込み、献金を要求するという事件があったばかりである。
「でも……こんなちっこい茶店せびっても、大した金にならないだろうになぁ……」
とてもではないが、店主が大商家なみに金を溜め込んでいるとは思えない。
「おいコラ、なに話してんだ! 悪巧みかコラ!」
「いやー、そのー……」
「もういい。おうテメェら、ガサ入れだ、やるぞ!」
「えええ!?」
もはや待っていられないとばかりに男が命じると、他の隊士たちが、一斉に店になだれ込む。
「店の中を片っ端から家探ししろ、なにか証拠があるはずだ!」
「か、堪忍してくださいお侍さま!?」
すがりつく店主だったが、男は容赦しない。
それどころか、より冷酷な視線を向ける。
「おう……お前もとっ捕まえた方が良いな、
「そ、そんな……!」
真っ青な顔で、店主は膝から崩れ落ちる。
「ひどすぎる……店が……」
隊士たちは、強盗の方がまだ礼儀正しいという風に、店を引っ掻き回し、彼らの言うところの「証拠」を探そうとする。
「やめてください! これじゃ店がめちゃくちゃになっちゃうよ!」
「ああン~?」
たまらずに声を上げる泉に、リーダー格の隊士が、嘲るように笑う。
「こんなちっぽけな店の一軒、なくなったところで誰も困らねぇよ。あはははッ!!!」
嘆く店主を他所に大笑いしながら、なおも男は続ける。
「だいたい茶店だぁ? 菓子なんざ、女子どもが喰らうもんだろ、くだらねぇ」
「なっ――――」
その姿を前に、泉は、自分の頭に血がのぼるのがわかった。そして――
「そんなくだらん考えに固執しているヒマがあれば、己を高めることに使え」――
「―――っ!」
脳裏に、現代で父から放たれた言葉がフラッシュバックした。
「アンタに……なにがわかるんだよ……!」
ポツリと、無意識のうちの言葉を泉はこぼしていた。
「あ?」
「世の中の下る下らないを、全て決めつけれるほど、高級な人間か! アンタたちなんか、ただのヤクザもどきのチンピラじゃないか!!」
思わず、怒鳴りつけてしまった。
「あ――――」
そして、事の重大さに気づき、泉の顔が青ざめる。
「泉ちゃん……?」
店主の顔も青ざめている。
「おう、コラ……」
対して、目の前の隊士たちの顔から、笑みが消えた。
「テメェ、言ってくれたじゃねぇか……」
その声には、明らかな殺気が見て取れる。
いわゆる「斬り捨て御免」は、後世の人間が思うほど、気安くできたものではない。
だが、「武士の面目を傷つけられた」と明確に判断できる場合は、その限りではない。
例えば、公衆の面前で武士をチンピラ扱いすれば、10:0で負けとなる。
「あの兄ちゃん……エライこと言うてもうたで……」
「命知らずやなぁ……」
いつの間にか、茶店の周りには野次馬が群れ集っていた。
彼らの前で、仮にも武士である新選組たちを「チンピラ」と罵倒したのだ。
「覚悟はできてんだろうな……」
リーダー格の隊士が、刀の柄に手をかける。
ここでやらなければ彼らの面目が保てない。
武士の面目は、保てなければ、自分で自分を殺さなければならないほど重いのだ。
「ウソでしょ……」
スラリと、男は刀を抜いた。
初めて見る本物の真剣は思った以上に光を反射して輝くのだなぁと、現実逃避にも近い感想が泉の頭をよぎる。
(こんなトコで死ぬのか、ボクは……!?)
そこまで泉が思ったところで、その声が、響く。
「待て」
瞬間、空気が変わる。
緊迫した空気が弛緩した――のではない。
それ以上の冷たい空気が、その場を支配した。
「あ、兄ィ……?」
刃を抜いていたリーダー格の男が、震えながら声の方を向く。
そこにそんな男がいたことに、泉は最初気づかなかった。
それくらい男は静かだった。
まるで、それこそ鞘に収められた刀のように。
「その小僧の言っていることも、一理ある」
だがその男は、「兄ィ」と呼ばれた男は、今その刃を抜き放った如く、己の存在感を解放していた。
隊士たちだけではない、周囲の野次馬すら凍りつかせるほど、圧倒的なまでに。
「どんな勤めにある者でも、テメェの役目をバカにされりゃむかつきもする。オレも昔は、薬売り風情がと、言われたもんだ」
言いながら、男はゆっくりと、泉たちの方に近づいてくる。
眉目秀麗と言うにふさわしい男前であった。
しかし、なよなよとした、役者的な二枚目ではない。
むしろそれこそ、火と鎚で叩き上げ、鍛え上げた美、光沢を持つ鋼のような男であった。
「それとな
「す、すんません!!」
男に言われ、リーダー格――と思われていた、「鍬の字」と呼ばれた男は、みっともないくらいに縮こまる。
「ふむ……」
男の目が、今度は泉に向けられた。
怖い……というのとも違う。
なんと形容して良いのか、ただ圧倒される。
その場で膝から崩れ落ちそうになるのをこらえるので、泉は精一杯であった。
男はゆっくりと泉たちに近づきながら、ふとそばにあった、少し前に泉の作った桜餅を手に取り、口に入れる。
「ほう……
桜餅は、関東と関西で異なる。
どちらも餅で餡を包み、桜の葉を巻くが、関西風はもち米で丸形に包み、これを
対して長命寺は、薄く焼いた餅を皮として、クレープのように餡を包む。
「小僧、お前の言い分はわかった。たかが茶店、菓子などくだらん、なんも知らねぇやつに言われりゃ腹も立つだろう。だがな?」
男の目が、スッとすぼまる。
「―――!?」
それだけで、泉は声なき悲鳴を上げそうになってしまった。
「こっちも旗掲げて命張ってんだ。チンピラ扱いされちゃあ、黙っても居られねぇな」
鋭い視線を向けられ、一瞬、心臓を突き刺されたような錯覚を覚える。
「そうだそうだ! やっちまいましょうよ兄ィ! このクソガキにキャン言わせて――」
「だまってろ鍬の字」
「はい」
再び声を上げる、鍬の字とやらに、振り向くことなく制する男。
「そこでだ……わかりもしねぇくせに……というのなら、一つわからせてもらおうじゃねぇか?」
「は?」
なにが言いたいのか、泉にはわからなかった。
「なぁに、大したことじゃねぇ。菓子なんて下らねぇだなんて言わせねぇって言うのなら……一つ、くだらなくねぇところを見せてもらおう」
「え?」
言われてなお、なにが言いたいのか、まだ泉には理解できなかった。
「要は……オレたちを驚かせるような、それこそ、『くだらねぇなんて言ってすまなかった』と思わせるようなもんを食わせてみろってことさ、ここは茶店なんだろ?」
そう言うと、男はわずかに口端を歪める。
それは、「微笑み」と分類される感情の発露なのかもしれないが、その裏にある凄みに、つられて笑うような気にはなれなかった。
「いや、あの………」
男の迫力に飲み込まれそうになりながらも、泉はなんとか反論しようとする。
彼の要求に応えることは――できないこともない。
これがそこらの高校生なら、「無理ですぅ~」と言ってしまうところだが、泉は料理人としての修行を長年積んできた身だ。
しかもそれを仕込んだのは、当代随一の、料理の鬼のような男・稲葉泰膳なのである。
わずか十七歳でも、そこらの凡百の料理人を凌駕する程度の技術は持っている。
それこそ、今日まで世話になっていたこの茶店で、菓子作りを買って出ていたほどだ。
「できないことはないですが……無理です」
だが、だからこそ、現状では不可能であるということもわかってしまった。
「ああンこらどういうことだテメェ!!」
鍬の字と呼ばれた隊士が怒鳴りつける。
「黙ってろ」
「はい」
だがすぐに、男に黙らされる。
「どういうことだ?」
「いろいろと足りないんですよ、やろうと思えばできるけど……材料とか、道具がない」
茶店で出している菓子は、いわゆる「おまんじゅう」である。
この素材では、彼らを納得させられる品を作ることは出来ない。
根本的な材料が足りなさすぎるのだ。
「なら揃えろ、待ってやる」
「えええ?」
「なんなら、ウチのモンを貸してやる。必要な物があるなら、全部揃えてやろうじゃねぇか。道具でも材料でも、好きなものを言え」
「えええええっ!?」
男の言い方は、「言い訳を許さない」のではなかった。
どうやら本気で、「作れるというのなら作れ」と言っているようであった。
「あの、ただ、その……多分、高いんですよね、必要なものが……」
「金ならオレが出す。いくらいる? 五両もありゃ足りるだろ」
現代の価格で言えば、四十万円くらいである。
ついには、資金の提供まで申し入れてきた。
「それとも……ただのフカシか?」
「―――⁉」
挑発するのではなく、むしろ「その程度だったか」と、見下すような目であった。
「それならそれで、上等なクチを叩いたんだ。ケジメはつけろ。斬り殺すのは勘弁してやるが、この場でコイツらに謝罪しな」
「謝罪……?」
「ああ、『できもしないくせに、偉そうなクチを聞いて、申し訳ありませんでした』ってな。そこまですれば、今回は見逃してやる」
男の言い分に、控えていた他の隊士たちがざわめく。
彼の要求は、破格と言えた。
新選組を悪し様に罵りながら、己の愚かさを認めて許しを請えば見逃す、と言っているのだ。慈悲深すぎる要求だ。
しかし――
「でき……ますよ」
泉には、それを受け入れることはできなかった。
(なんだよこの男……なんで……クソオヤジと似たような目をしてんだ……!)
男の放つ鋭い眼光。
そこに含まれている、一切の容赦を許さぬ強い光。
それは、泉の父が有しているのと、同源のものに思えた。
「できないのではなく、“やらない”のだろう? お前はいつもそうだ。いつも、許される理由を探している。無様だな」――
またしても、その父の声が聞こえてきた。
「やりますよ、やってやろうじゃないですか!!」
「ほう、いい気組みだ」
泉の反応を見て、男はニヤリと、不敵に笑った。
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