3章 言い伝えの領域へ
12-1 抗生物質とキレート剤完成で準備万端
凄く嫌そうな顔をするテアが、工房の隅から僕とアイオーンの背に視線を投げている。
「さて、マスター。このカビの混濁液から――」
「うえぇぇぇ……」
アイオーンの説明の合間もそんなうめき声が割って入っていたので説明が頭に入ってこない。
「という過程で抗生物質のペニシリンが抽出されます。それを加水分解してようやくペニシラミンに辿り着きました。これは銅や水銀、鉛と結びつきやすいため、それらの排出を促してくれます」
この解説はカビの混濁液から始まり、ペニシラミンに行きつくまでいくつかの試験管を指さして語られていた。
それを見るテアはまるで炊事場のカビやヌルヌルを掃除する時みたいだ。
「ねえ、テア。工房でできる限りの距離を取って見物するくらいなら、別のことでもしていたら?」
「うぅー、一人はイヤ」
カビを目にすると全身の毛を逆立てているというのに、そういうことらしい。
仕方ないので、僕は試験官に抽出できた成果に視線を戻す。
「ようやくって言うほど複雑な工程でもなかったよね?」
「はい。カビの産物を加水分解するだけで重金属の排出を促すキレート剤まで作れる。奇跡的なほどに有用です。しかし、こうして簡単な変化で生成されるからこそ発見されたのかもしれません」
「どういうこと?」
首を傾げると、アイオーンは語り始める。
「このペニシリンは胃液に触れると構造が変化しやすいのです。そして加水分解とは、時に酸によって引き起こされる化学変化です。つまり……」
彼女は指を立て、流れるように説明を続けた。
「ある種のペニシリンを飲んだ患者は、知らず知らず胃でペニシラミンを作っていたのでしょう。そんな患者たちは何故か銅の欠乏症をよく起こします。その原因を精査したら、この物質が原因と推定されたという成り行きが――」
「そっか。確かにそういう経緯があれば発見も納得かも」
ある意味、中毒の原因物質発見と似た流れかもしれない。
なるほどと感心して頷いたら、どうだ。
アイオーンはにっこりととてもいい表情を浮かべる。
「あったのかもしれませんが、詳細は不明です。私が知るのは、ペニシリンという物質を加水分解すれば、ペニシラミンというキレート剤を作れるという知識だけですので」
「ちょっ!? えぇぇぇ……。邪神が誇る英知がそんなことを言っちゃうの?」
「私は《時の権能》。主たる機能は時空魔法と演算処理ですので」
彼女の大元、《地の聖杯》は創造主の廃品から作り出されたと言っていた。
もしかするとこんな知識は混入したおまけ機能かもしれない。
それにしても、生真面目な彼女がこうして流れるように冗談を交えてくるとは僕としても完全に騙されてしまった。
にまにまとしていた彼女は再び語り始める。
「しかし、物事は突き詰めれば必然ばかりです。キノロン系やテトラサイクリン系と呼ばれた抗生物質の一部もまた金属と結びつきやすいため、服用方法に留意したそうです。もしかすると、抗生物質がキレート剤にもなりやすい背景があるのやもしれません」
「でも、空想なんだよね?」
「はい。私の知識の範疇ではあるかもしれない可能性を感じるというくらいです」
「うーん。僕らの錬金術のレベルを超えすぎているから話半分にさせてもらうね」
楽しそうにイタズラしてくれた彼女には苦笑を返しておく。
「ともあれ、これで鉱夫が珪肺の合併症で起こす細菌性の肺炎と、重金属中毒には対処できるようになったわけだね」
「はい。引き続き鉱夫に治験をしてもらいつつ、改善していくとしましょう」
珪肺は《原形回帰》を仕込んだ水で徐々に回復を。
肺炎と重金属中毒は会話の通り。
族長との交渉材料は十分に揃ったので、あとは結果を出すのみだった。
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