第1章 異世界転生 ①

「ねえ、ちょっと――」


 気がつくと、薄暗い路地裏らしき場所で一人の女性に声をかけられていた。


「昼間っからこんなところでぼうっとしちゃって、大丈夫?」


 心配そうに俺の顔を覗き込む女性は、いくらか年上だろうか。褐色の肌と黒い髪がオリエンタルな美女だ。この人がアトラ様の言っていたセシリアさんだろうか?


「ああ、いや、大丈夫――」


「そう。今の時間に花売りはいないよ。日が落ちてから出直しといで」


「え?」


「ああ、余所の街の人? 知らずに迷い込んだなら意地悪な言い方でごめんね。心ここにあらずって感じだったから、てっきり――」


 女性は言いながら自身の胸を抱えるように腕を組み、悪戯っぽく微笑んで――


「ここは花街の入り口だよ。あたしと遊んでく?」


 花街ってのは、確か――


「――いえ、結構です!」


「その気があったら夜にまたおいでー」


 女性の声に見送られ、慌てて路地から這い出るように飛び出す。


 なんだなんだ、花街って! そんなところに転生させるとかあの神様はなに考えてんだ!


 夢中で走る。通りらしい開けた所に出た途端、眩しい陽射しが目が眩み、足がもつれて盛大にすっころぶ。どのくらい盛大かと言えば――


「痛えっ!」


 と思わず声が出たほどだ。


 痛え……マジ痛え……痛みに悶絶していると、倒れた俺に駆け寄る足音。そして声。


「大丈夫ですか?」


 痛みを堪えてなんとか顔をあげると、傍らには心配そうな表情で俺を見下ろす金髪の女性がいた。同じ年くらいだろうか。長い睫毛が印象的だ。修道服に身を包み、大きな瞳を不安色に染めて瞬かせている。


 この子がアトラ様の言っていたセシリアさんか? 敬虔な信者と言っていたし、修道服ならシスターか何かだよな? だとすれば今度こそセシリアさんなのかも知れない。


「怪我はありませんか? 私、簡単な回復魔法なら使えます。痛いところがあれば、遠慮無く仰ってください」


 魔法! マジで異世界なのか! というか言葉が通じるのは転生特典か何かだろうか? 先のオリエンタル美女やこんな洋風な顔立ちの美少女が日本語を(俺の主観ではあるが)流暢に話すのは違和感が――


 ――と、美少女とバッチリ目が合う。途端に顔が熱くなり、俺は慌てて視線を逸らした。


「お顔が――熱があるのですか? でしたらもう少し清潔なところで――」


「い、いや、大丈夫――全身くまなく痛いけど、怪我らしい怪我はないと思う」


 慌てて答えて立ち上がる。急に立ったせいで立ちくらみでよろけたところを、少女が素早く立ち上がり支えてくれた。


「ああ、無理をなさってはいけません。すぐ近くに教会がありますから、そこで休んでいってください」


 そう言って彼女は躊躇いもなく俺の手を取り、通りを歩き出した。手を引かれるままついて行く俺は、周囲の光景に目を奪われる。


 そこにはアニメで見る異世界そのものの光景が広がっていた。中世風とでも言えばいいのか、石畳の通りに行き交う人々。車はなく、代わりに少し離れた所を馬車が通っていた。ゴロゴロと木製の車輪が回る音が響く。


 レンガ造りの建物に、遠くの高台にはキャッスルといった感じの城が建っていた。そして行き交う人々の服装はとても現代とは思えない簡素な麻のものが多く、他には隆々の筋肉を甲冑で覆った者、魔法職でございと法衣のようなものを身につけた者もちらほら。


 史実の中世より上下水道が進んでいるのか、話に聞く悪臭はない。


 見た目だけならヨーロッパの古い町並みにも見えなくもないが(実際にこの目でヨーロッパの古い町並みを見たことはないが)、現代じゃ目に見える範囲に電線や電柱が全くない町並みはそうはないんじゃないだろうか。


 本当に異世界に来たのか……アトラ様の話をまったく信じていないわけじゃなかったが、改めてこの目で見るとなんとも言い表せない感情が胸に湧く。


「どうかされましたか?」


 呆然と町並みを眺める俺に、少女が不安げに尋ねてくる。


「い、いや……」


 まともに視線も合わせられず俯きながら――それでも勇気を振り絞って尋ねてみる。


「……君は、セシリアさん――なのかな」


「私のことを知っているのですか?」


 セシリアさんは――私のことをと言っているぐらいだ、間違いないだろう――驚いたように言って、そして改まって俺に向き直った。


「セシリア・ロンハートです。アトラ教のシスターで、神官として冒険者登録もしています。私のことは、どなたから?」


「あ……俺は鳴海。八千代ナルミ、です」


 絶え絶えにそう答え――しかし、誰からと聞かれればあなたが崇める神様からなのだが……これは伝えない方がいいのだろうか。この手の話じゃ転生したとか秘密にすべき情報だよな。


(伝えてしまっていいですよ)


 突如頭の中に声が響いた。聞き覚えのある声だった。俺の感覚じゃついさっきまで話していた相手――アトラ様のものだ。


「今生の別れみたいな送り出ししといて気安くない!?」


(ふふふ。これでも神ですので。神託を下すくらい造作もありません)


「キャラも崩壊してないか?」


(神ですので。私については多角的な解釈が)


「神ってのはキャラブレの免罪符じゃねえよ!」


 いい加減な神様だなおい! こっちはあんたに威厳を感じてたんだぞ!


(ナルミ……心の平穏を保ってください。セシリアが心配していますよ)


「誰のせいだ!」


「あの……ナルミさん?」


 突然態度が変わった俺の様相に、セシリアさんが不安げな瞳を俺に向けている。


「す、すまない……君のせいじゃないんだ。その、なんというか」


 慌てて弁明しようとするが、緊張して口が上手く回らない。


(ナルミ……恐れてはいけません。自分を信じるのです。ビリーブ!)


「お前いい加減にしとけよ!?」


 思わず大きな声を出してしまい、それにセシリアさんがびくりと肩を震わせた。


「ああいや、ごめん……セシリアさんは悪くないんだ。その、アトラのやつが」


 こんな神様は呼び捨てで十分だ。


(おやおや、私をお前と――その上呼び捨てですか。結構です。私はあなたが好ましい。許しましょう――ですが)


 ですが。ですがとは――と、答えはすぐにわかった。目の前のセシリアさんが目を三角にして俺を見て――いや、睨んでいる。


「アトラ様――我が主を呼び捨てした挙げ句、やつ、と」


 セシリアさんは敬虔な信者と言ってたな? この人ちょっとアトラを好き過ぎるタイプの信者か!


「いや違うんだ、セシリアさん……」


「まさか、邪教の者……? 私のことを知っていたのもアトラ様の信者である私を? なんてこと……私を辱めると天罰が下りますよ」

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