幼馴染は異世界の夢を見るか?

孤門模糊

第1話 天の光は全て願い

「実は僕、異世界から転生してきたんだ」


 たとえば私が「イチゴのミルフィーユが好き」と言った場合。

 大抵の人間が脳裏に思い描くのはパイ生地に挟まれたサクサクのミルフィーユだろう――今丁度、私の目の前で半分に欠けてしまっている、この断層みたいなスイーツを想像する。そして「あぁ、この子はイチゴのミルフィーユが好きなんだな」と認識、納得すれば――その時点で私の発言は、嘘偽りなく真実となる。成立した“イチゴのミルフィーユが好きな私”という存在は、絶対にして揺るぎない真実となる。

 だけど――もし私が実は、イチゴのミルフィーユを好いていなければ?

 あるいは私の言う“イチゴのミルフィーユ”と、相手の脳裏に描く“イチゴのミルフィーユ”が違っていれば――それでも表面上は成立する真実を、はたして真実と呼ぶのは正しいことなのだろうかと問われれば、きっと誰もが首を横に振るだろう。

 それは正しくない、と――でも人間の相互理解なんてそんなものだ。

 嘘を言ったとして、嘘を言っていないとして、そこに疑う余地がなければ、人は安心してお互いを知った気になれる。最初から知らないモノを、疑うことなんかできやしないのだから――だから知れば知るほど裏切られた気分になる。次第に疑うことを覚えるようになる。なんて、皮肉な話だけれど。

 じゃあお互いを十分に知っていれば解り合えるのか、とは決してならない。

 この世界のシステムは絶妙に上手く出来ていて、それでいて非常に不親切だ。全く同じ人間などどこにもいない。たとえ同じ思想、同じ趣味、同じ嗜好をもった分身でも――だけど必ず祖語がある。噛み合わない歯車を無理矢理組み合わせるものだから、やがて音を立てて軋み――そのまま崩壊した時、こんなはずじゃなかったと、頭を抱えたってもう遅い。それを経験として蓄積し、人はいつしか純粋に人を信じられなくなる。

 真実は易々と成立しなくなり、それでも人は曖昧な幻想の関係性に身を預ける。

 だって幻想の方が心地良いから――いつか裏切られるかもしれない、と心の底では思いながら。向き合うことなく、直視することなく、甘い夢だけ見ていたいから。


 そしてそれは、きっと。

 きっと――なんだと、私は思う。


「――ヒナ、聞いてる?」

「……あぁ、うん」

 だから私、柴島雛理くにしまひなりは。

 覗き込むように表情を窺う幼馴染、廿山鍔鎖つづやまつばさの言葉を。

 五百回くらい咀嚼して、反芻して、もう一度――計五百回くらい噛んで、それでもまだ飲み込めなくて、けれど次の言葉を捻り出したのである。

「聞いてる、聞いてる――うん、ね。そっかぁ、異世界転生かぁ……まさか鍔鎖が異世界から転生してきてたなんてね……いや、わかんなかったわ。かれこれ十年くらいの付き合いだけど、まさかまさか……うぅん、そっかぁ……」

「ヒナが気付かないのも仕方ないよ。僕だってこの前気付いた――いや、正しくはこの前というか、つい一週間ほど前に確信したばっかりなんだから」

「一週間前ねぇ――あ、私コーヒーもう一杯頼むけど、鍔鎖はどうする?」

「うん、じゃあ僕もミックスジュースをもう一杯」

 おっけ、と軽く返事をして店内に視線を向けた私は、だけど店員さんを探すなんてことに脳のリソースを割けずにいた。何より鍔鎖の目を直視するのがしんどかったので、今すぐ逸らす方法がこれしか思いつかなかっただけだ。

 なかなか店員さんを呼ばない私に首を傾げつつ、鍔鎖はポツリと一言。

「あんまり驚かないんだね」

「んー……っていうか、あんまピンとこないっていうか……」

 驚いているか驚いていないかで言えば――きっと後者だけど、それ以上に脳が理解を拒んでいると言うべきか、ピンとこないよう必死に抗っていると言うべきか。これはきっと、そのまま飲み干しちゃいけないことだと思うから。

 納得してしまったら、それこそ何かが壊れてしまいそうだから――この見慣れたおしゃれな喫茶店を異界にしない為、なんとか理屈を練ろうとしているのが本当で。

「――わかんないのよ」

「ふぅん」

 そっか、とグラスに残った氷を行儀悪く吸う鍔鎖は。

 混乱極まる私の気持ちを、これっぽっちも気にしていないようだった。


 廿山鍔鎖という人間を一言で言い表すなら、それは「」に他ならない。


 付き合いの始まりは保育所の頃まで遡るけれど、その時から私は鍔鎖をまともな人間だって思ったことはなかった――でも実際何か特別変わったところがあるわけじゃない。実は結構いいとこの御嬢様で、ちょっとボーっとしていることが多いけれど、日常生活に支障をきたすようなレベルじゃなかった。ありふれた“不思議ちゃん”というやつ――中学生になるまでは、少なくともその程度だった。


 中学生になって、鍔鎖は長かった髪をバッサリと切った。

 夏でも袖の長いコートを着るようになったし、常にヘッドフォンを持ち歩くようになったし、自分のことを「僕」と呼ぶようになった――口数も極端に少なくなって、どこで買ったのか懐中時計をパカパカと開いて時間を確かめるようになった時、一旦私は鍔鎖から距離を取った。私の中で“不思議ちゃん”から“痛いやつ”に変わってしまった幼馴染と、友達だと思われるのが嫌で一方的に避けていた。


 だけど幼馴染であるが故に、どこか放っておけなかったというか。

 昔は仲が良かったという真実を、遠い日の幻想にしたくなかったというか。

 私は私で――鍔鎖に対する赤面ものの想いを、捨てきれなかったというか。


 同じ高校に通うようになって、私の方から歩み寄った今は普通に友達をしているわけだけれど――都合のいいように見捨てたり拾ったり、それをわだかまりに感じているのは私だけだったらしい。一時期に比べると鳴りを潜めているだけで、相変わらず“痛いやつ”のままな鍔鎖は、何も言わずに私との関係性を受け入れてくれている。


 ――僕が変なやつであることは事実だから。

 ――きっと正しいのはヒナの方だと思うから。

 ――だから、そう思ってくれても、僕は全然構わない。

 

 どんな人間がいたっていい。どんな個性があったっていい。

 でも、それも摂理と呑み込むには、やっぱり多少の勇気がいたことは事実で。

 僅かな抵抗を押しつけたところで、鍔鎖はやんわり受け流してしまうから。

 最近になってようやく割り切れるようになった、その途端にこれだ。

 口さえ開かずに黙っていれば、変な趣味と中二病趣味さえなければ。

 隣に置いてもむしろ羨ましくなるくらい可愛い見た目してるのに、と――そんなことを言えば調子に乗りそうなので、絶対に言ってやらないけれど。


「異世界の名前はエルシュロン。当然だけど、ここではない別の世界。そこで僕は魔法使いとして生きてきた――その時の名前はイェルナ=トラリス・マギウストリウム」

 

 たとえばお洒落な喫茶店で、イチゴのミルフィーユを解体しながら聞く際、それ相応しい横文字というものは確かに存在するらしい。

 そういう意味で言うと、幼馴染が真顔で紡ぐよくわからない横文字は相性最悪――ミルフィーユはおろかコーヒーの苦みも、溶けた砂糖の甘みもすっかり言葉の圧にビビって自己主張を控えてしまっている。

「……今風のオシャレな名前してんのね」

「そうかなぁ――あ、でも勿論これは正式名称じゃないよ。ここと元の世界とは言語体系が違うし、それらしい響きの単語を組み合わせただけ。本当はもっとミミズみたいな発音で、でもそれだと意味が解らないと思ったから」

 ――今でも十分解らねぇよ。

 全力で暖簾に腕押しする皮肉を引っ込めるように、コーヒーを口にする私の前で、鍔鎖はずっとよくわからない異世界事情を語っている。普段に比べると随分ヒートアップしているのは目に見えて明らかだったけれど、そこで声が大きくならない性分なのはものすごくありがたかった――こんな話、他の人に聞かれたら恥もいいところだ。

 せっかく注文したのに一口も手をつけられていない、ミルクレープの寂しげな佇まいも気にしているのは私だけらしい。鍔鎖も瞳はどこか遠くを見ているみたいだった。

 ここじゃないどこか――それこそ、異世界と呼ぶべき場所。

 鍔鎖の頭の中にしかない幻想郷が、私に視えるはずもない。

「エルシュロンには魔法があったんだ。こっちの世界が科学で発展してきたように、エルシュロンは魔法で発展してきて、そこで僕は魔法使いを生業にしていた。こっちの世界で時に抱いていた違和感の正体は、きっと当たり前のモノがないことを自然に受け入れているという矛盾を、矛盾と気付けない自分自身の在り方そのものなんだと思う」

「ふぅん……在り方かぁ……」

「最初に気付いたのは中学生の頃かな。知らない記憶や知らない常識が、いつの間にか僕の中に根付いていて、払拭するのは窓拭きよりよっぽど大変だった――それが前の世界における条理だったんだから、それも当然と思うのに、なかなか時間がかかっちゃって」

「確信したのが一週間前、と……なるほどね……」

 ――しかし、さて、どうしたものだろうか。

 異世界転生という概念自体は知っている。最近人気のジャンルとか何か。本屋でよく並んでいるし、クラスのそういうやつが本を広げているのも見たことがある――でも、それだけ。まさか自分が当事者であるなんて言い出すとは思わなかった。

 鍔鎖が痛いやつなのは今に始まったことじゃない。実際それで距離を取っていた時期もあったけれど、今の私はそういうところも含めて受け入れようと思っている。

 だけど――異世界転生は、ない。それだけはない。

 中学生の頃ならいざ知らず、私達はもう高校生。小賢しさと引き換えに幻想を捨てなきゃいけない時期だ。捨てずに売り払える人もいるけれど、まさか彼らも今なお本気で自分に夢を見ているわけじゃないだろう――手放せない幻想なんて腐り落ちるだけ。

 中二病は完治させてこそ笑い種にできるものなんだ。

 治らない病は――あぁ、まったくもって


 ユニコーンもカーバンクルもこの世に存在しない。

 魔女は近所の物知りなお婆さんで竜はただの自然災害だ。

 呪いや神の怒りなんてものは、流行病をそう呼んだだけなんだ――。


「転生したことそのものに意味があるとは到底思えないけれど、でもこうして記憶を持ってることには何らかの意味があると思うんだ。それが何かは、まだ僕にはわからないだけで――」

「はい、ストップ! 一旦落ち着こうか、鍔鎖! 口頭でそんなバーって言われてもわかんないから! またメッセかなんかでまとめて送ってくれると助かる!」

 半ば強制的に遮られたとくれば、普通は多少機嫌を損ねそうなものだけれど、鍔鎖は一言「ごめん」と呟いて、ミックスジュースに刺さったストローを咥えただけ――妙にあっさりとしているから、逆に私はからかわれているような心地を拭えない。

 冗談なんて言うやつじゃないことくらい知ってるけど。

 本気で言っているとすれば、止めなくちゃいけない気がした。

 いや、それもまた――私の自己満足だとは、解っているけれど。

「……あのさ、ジョークとかじゃないんだよね?」

「そうだね。信じるか信じないかは、ヒナ次第なだけで」

「普通に考えてさ、そんなの信じるわけないじゃんって思わないの?」

「別に信じてもらえなくてもいいと思ってるよ。荒唐無稽な話だし、僕も自分を証明できない以上は――これもただの幻想で、夢見がちな御伽話。議論の土俵にすら立てない。それで誰かの価値が下がるわけじゃない。下がるのは僕の評価くらいかな」

「――じゃあ、なんで私には話すのよ。信じてもらえもしない話を」

「さぁ、どうしてだろうね」

「さぁ、ってそんな……」

 そこでやっと、鍔鎖はミルクレープにフォークを突き立てた。

 ずぶずぶと柔らかく侵入していく先端を見つめながら、彼女は言葉を紡ぐ。


「――でもヒナには知ってほしかったのかも。信じてもらえるかどうかは兎も角、ただ聞いてほしかったのかも――どんな真実も虚実も、から。口にすることそのものに、意味があると僕は思ったから」


 実際に今、こうしてヒナと共用できてる。

 そう言って妖しく笑った鍔鎖に、私はウッとして返す言葉が見つからず――結局誤魔化すようにコーヒーを一気飲みすると、ミルフィーユ最後の一片を口に放り込んだ。

 可愛いっていうのは、なかなかどうして、業腹なくらい色々とねじ伏せられる。

「……で、私はそれ聞いてどうすればいいわけ?」

「別にどうもしなくていいよ。僕はただ聞いてほしかっただけ、そしてヒナはただ聞かされただけ――これで完結してるから。だからヒナは好きに処理してくれたらいい。ドン引きして縁を切りたくなったのなら――僕にそれを止める権利はないけど、できれば無言でブロックしてくれると助かるかなぁ」

「――信じないのも、ドン引きするのも自由なら」

 八つ当たり気味に鍔鎖のミルクレープを突き刺して奪う。

 正直言えば、引いてるとかそういうレベルはとうに超えているけれど。

 その程度で今更捨てられるほど――この幼馴染を、疾しく思ってはいないから。


「そこまでに留めておくのも、私の自由でしょ」


 それに私は、もう二度と間違えたくないんだ。

 間違って、間違って――私を嫌いには、なりたくないんだ。


「うわ、すっごい長文来てるし」

 

 喫茶店を出て鍔鎖と別れた後、私が立ち寄ったのは近所の本屋。

 本屋というには――一般文学が少なく、女の子が表紙の単行本が沢山並んだ、つまり本屋さん。一人で入るにはそこそこの勇気が必要だったけれど、偶然にも同じ放課後を過ごしていると思われる女子高生が、何人かいたのが幸いだった。

「ひえぇ……待って待って、滅茶苦茶長い……これ一瞬で打ち込んだの……」

 丁度その本棚に差しかかったあたりで、タイミングよく届いた鍔鎖からのメッセ。

 私が普段使うキュウリみたいな吹き出しが、見たこともない壁のような長さと幅になっていて、しかもそれが五通くらい一気に届いているものだから圧が凄い――それは全部鍔鎖の語る異世界、エルなんちゃらと自分自身の設定。最初の数行を読んだだけで眩暈を誘発しそうな怪文書を一旦画面ごと閉じて、私は再び本棚に向き直る。

 そこに並んでいるのは全て人気の異世界転生もの――らしい。

 家電のチラシみたいに文字塗れの表紙もあれば、ハリーポッターの亜種みたいな表紙もある。物語の数ほど願いがあって、異世界に転生した人がいて、スローライフを満喫したりかつての仲間を見返したり――嫌に生々しい欲望が滲み出ている気がする。みんなどれだけ現実が嫌なんだろう。

「復讐、スローライフ、スローライフ、復讐……似たようなもんばっか。うーん……オススメとか訊いときゃよかったなぁ……いや、でもなぁ……」

 どれも同じに見えるというか、パッと見じゃ違いが判らないというか。

 こういう時こそ本人に選んでもらうべきだったのかもしれないけれど――それは言外に「お前が影響受けたのどれだよ」と訊いているようなもので、さすがの彼女も良い顔はしないだろう。私だってこんな姿を鍔鎖に見られたくはない。

 ――いいや、どれも同じでしょ。

 頭を悩ませていたのは精々三分程度、目についたものを適当に取ってレジに向かう。

 これ以上棚の前にいるのは恥ずかしかったし、一冊の値段が無駄に高いから量は買えないし――同じ値段でメンタルケアの本でも買った方が良かったかも、と気付いたのはカウンターに本を乗せた時だった。

「すいません、お願いします」

 タイトルは『落ちこぼれは邪魔だと学園から追放された私が、実は最強にして唯一の闇魔法使いであると判明した件について!』ってやつ――これならまぁ、ハリーポッターの延長線みたいなものだろう。


「千五百円かぁ……」

 こんな本を出されて表情一つ変えなかった店員さんに内心で感謝しつつ、店を出た時にはすっかり暗くなっていて、群青をより濃くしたような空の下、手に提げた袋の重さに思わず顔を顰める――それは失った小遣いの価値と自己嫌悪の重さ。

 どこまでも自分本位な私に対する、あるいは失望にも似た感情。


 だなんて、虫の良いことだとは理解している。

 鍔鎖はもう私に何も期待していないかもしれない。

 実際信じているわけじゃないし、信じろという方が無理な話だ――なのに表面上は受け入れたフリをして、嫌われてはいないことに、信用されていることに心の底で安堵して。

 鍔鎖は関係を続けてほしいんだ、と――そんな私は、きっと臆病で卑怯だ。

 いっそ笑い飛ばせたらよかったのに、罪悪感がそうさせてくれない。


「……こういう時に、異世界転生したくなんのかな」

 見上げた空に瞬く星と、同じくらい沢山、地上に輝く願いの亡骸達。

 小賢しくなる前に見ていた夢を思い出した時、人は此処じゃない世界に想いを馳せたりするのだろうか。この世界でさえなければ、と筆を取るのだろうか。

「――ねぇ、鍔鎖」

 空に向かってこっそり呟く声は力なく私に降り注ぐ。

 敗れた夢の結晶が、あの本棚いっぱいに詰まっていた物語の数々で。

 手に取った人々がまた、それで願いを開花させるのなら――なら、あんたは。


「あんたは――なんでって思ったの?」


 画面いっぱいの長文を、信じてもらえもしない物語を。

 魔法使いだったという前世を、どんな気持ちで夢に見て。

 どんな気持ちで――私に語ったのか、それが知りたかった。


 彼女にしか視えない幻想の景色に、触れてみたくなったんだ。


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