20 百年の目覚め、百年の嘘

「まったく、研究者が看護士のまねごととはな。こんなに長引くのは想定していなかったぞ」


 などと言うが、アルヴィが調合した薬草の効果でクロエの傷は着実に癒えていた。

 そして三日目の夜、ついにクロエは目を覚ました。


「ここは……?」

「俺の屋敷だ。そしてそこは、俺のベッドだ」

「えええ!? な、なんで!? どうして!!」

「血を流してるようなけが人を床に転がしておく訳にはいかないだろう」


 この数日間、アルヴィは寝室にあるソファーで横になっていた。クロエの傷を治すためには、合理的な選択だった。


「言っておくが俺は裏切り者ではない。訳の分からん黒魔導師でもない。むしろ傷を治したのだから恩人だろう」

「はっ……そう言えば、私の服が」


 クロエは着ている服が違うことに気付いた。

 今は白いドレスではなく、薄い肌着のようなものを着せられていた。


「悪いが着替させておいたぞ。傷はかなり深かったから、急いで手当をする必要があった。それにあんなドレスでは包帯を交換するのも大変だからな」

「えっ、ええ……!! ぬがされた……見たのですか!?」


 クロエは薄い肌着ごしに、胸の感触を確かめる。

 下着もすっかり交換されていた。


「何をだ」

「わ、私の……」

「体を見なければ傷は治せない。汚れた肌着を交換しなければ感染症の恐れがある。当然の処置だ」

「ああ、何と言うこと……。殿方に肌を見せるなんて……」


 クロエはベッドのシーツを引き上げ、胸元を隠した。恥じらいの感情だろうか、おでこまで真っ赤になっている。

 戦争という非日常から離れたことで、クロエは普通の反応をするようになったようだ。


「死よりは遙かにましだろう」

「死の方がどれほどよかったことか……」


 クロエはひたすらに美しく、その体も芸術品のように均整が取れている。

 その美しい少女のドレスを脱がし、柔肌を露わにする。

 普通の男であれば、邪な感情を抱いてしまうのは当然だ。

 が、アルヴィは特別だった。


「安心してくれ。君にはほとんど興味がない。ほとんどというのは、あの城が封じられていた理由や、君の素性には興味があるという意味だ。……これだけ世話をしてやったんだ。多少は聞かせてもらってもいいだろう」


 それはそれで失礼な物言いだが、クロエは一応は納得したようだ。


「なるほど……貴殿がずいぶんと変わった人であることは分かりました」


 そして双方の利害は一致していた。

 情報の交換だ。

 二人は、それぞれが持つ情報を必要としている。

 クロエはわき上がる羞恥心を押しとどめ、アルヴィに顔を向けた。


「改めて名乗りましょう。私はシュライハズ王国の第三王女にして王土の守護者。雷と炎の魔法士団長――クロエ・スカーレット。傷の手当てに感謝します。今の状況について教えてください」


「最も重要なことから話そう。やはり君の時間は、百年ほど停止していたようだ」


「ひゃ、百年……信じられません。そんなに長い時間が……」


「俺が知る情報によれば、だがな。君が寝ている間、歴史書を徹底的に調べていた。〝シュライハズ王国〟はおよそ百年前に滅びたことになっている。だがどうやら、俺が知る歴史の情報には、だいぶ嘘が書かれていることも分かった。という訳で俺が知り得た知識の、答え合わせといこうじゃないか」


 そしてアルヴィは書庫で手に入れた知識を、クロエに語りだした。


  *


 かつて世界には六つの国々があった。

 土の国――グラーデン

 水の国――アストランド

 風の国――ストラヴァネモス

 炎の国――ブランバーン

 雷の国――ハイボルド

 そして――シュライハズ

 シュライハズ王国は、神々の恩寵たる魔石を有してはいなかった。

 しかし強力な魔法使いを数多く輩出したことから、五つの国を強大な魔法力で軍事的に支配していた。

 これを暗黒時代と呼ぶ。

 しかし五つの国が蜂起し、邪悪なシュライハズ王国を滅ぼした。

 その城の跡も戦乱により消え失せ、当時の歴史を知るものはいない。


「ちょ、ちょっと待ってください。何ですかその話は……」


「もうか? まだ冒頭の部分にも到達していないのだが」


「その歴史書を書いたものがここにいたとしたら、私はこう言うでしょう。『痴れ者が、恥を知れ』と。我が国は、他の国を支配などしていない。一時的に六つの国が同盟を組み、我が国が盟主になっていただけです」


「同盟……? なぜそんなことを」


「百年前、黒獣の大量発生によって全ての国が滅亡の危機に瀕していました。だからこそ、全ての国が団結して戦う必要がありました。その中でも我が国は、特に優れた魔法使いを数多く抱えていた。だから五つの魔石を束ねる盟主となり、黒獣と最前線で戦ったというのに……!!」


 だが必死で戦っていたのはシュライハズのみで、他の国々は虎視眈々と魔石と世界の覇権を狙っていた、ということになる。


「黒獣とはどういうものだ? 今もそのあたりにモンスターは出現する訳だが」


「黒獣は通常のモンスターとは違います。魔法攻撃がほとんど効かず、再生能力も並外れている。知性も高く、ただ人間を殺すことを目的とする。言うなれば生きた殺戮兵器のようなもの……思いだすだけでもおぞましい…………」


「俺は黒獣の話は聞いたこともない。この世界の歴史書は嘘もあれば隠蔽もある、ということはよく分かった。……ちなみに君の存在はいちおうは百年前の歴史書に乗っている。クロエ・スカーレットは魔法大国〝シュライハズ〟の第三王位継承権者にして、『暴虐の魔姫』として知られている」


 クロエは、嘲るように吐き捨てる。


「暴虐の魔姫は、ストラヴァネモスの王妃です。あの女こそが暴虐を絵に描いたような存在。何もかもが嘘ではありませんか……!!」


「歴史書にはこうも書かれていた。〝暴虐の魔姫は幼少の頃、豚の尻の穴に魔石をねじ込み、破裂させることを好んだ〟」


「冗談でしょう? 本当にそんなことが……?」


「本当だ。本当に書いてあった」


「まず豚の……そんな所に手を入れたいと思いますか?」


「まあ、君に限ってそれはあり得ないだろうな」


 クロエ・スカーレットはどう見ても可憐な乙女だ。

 歴史書を書いた者は、よほどクロエに恨みでもあるのだろうか。

 だがその手のエピソードは他にもあった。


「それから〝クロエ・スカーレットは街を裸で練り歩き、裸を見た者を不敬罪で焼き殺した〟」


 クロエはかっと頬を赤らめ、猛烈な勢いで反論する。


「そ……そんな趣味はありません! なぜ私が裸で歩かなければならないのですか!」


「だろうな。というか『クロエ・スカーレット』の逸話を知った後で本物を見れば、歴史書が嘘をついていることは明らかだ。やはり、答え合わせをするまでもなかったか」


 傷の手当てに下着を変えられて頬を赤らめるような少女が、全裸で街を練り歩くはずがない。歴史書のほとんどが嘘で塗り固められていたのだった。

 アルヴィはため息を漏らし、肩をすくめた。


「歴史とは勝者が作るとは言うが、あまりにもお粗末だな……クロエ、どうした?」


「ふ、ふふ…………はは、ははははは……!!」


 クロエは静かに笑った。しかし愉快そうな様子は全くない。

 その眼光は鋭く、握られた拳は静かな怒りに震えていた。

 世界を救うために戦い、裏切られ、王土を奪われ、史実すらも改竄された。

 そして百年が過ぎていた。

 クロエの怒りは静かに――しかし地中深くで煮える溶岩のように熱を帯びていた。

 クロエが言う。


「ならば、この私が正しい歴史を作るほかありません。アルヴィ。私に力を貸してください。裏切った国々に復讐を果たすのです。我が国を、奪い返すのです」

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