12 約束の時
にちゃあ、とへばり着くような笑みでルガーが言った。
「ようダメ貴族。お前、ディオレス先生に楯突いたんだってな。転落した魔導貴族が、魔法講師に楯突いたとなれば、もうおしまいだよ。お前の人生、これで終わり。死ぬまでゴミを拾って地面を耕して終わりだ」
アルヴィがディオレスと交わした約束は、村中に広まっていた。
それもそのはずで、ルガーがディオレスとの話を盗み聞きし、その直後から村中に言いふらしていたのだった。
「話なら後にしてくれ。というか今から、そのディオレス先生のところに行くつもりだ」
「ははははは! 謝っても無駄だぞ! お前の約束は村中の誰もが知っているんだ。今さらなかったことにできるはずがないからな!」
オークを倒した後もアルヴィ達は歩き続けた。夜明けごろに村に到着し、屋敷でしばらく眠っていた。農作業も休みの日だったため、ゆっくりと朝食を食べた後でディオレスのところに行こうとしていた。
その道中でルガーに遭遇した、という訳だ。
アルヴィはため息を漏らした。
「俺が約束を交わしたのは、ディオレス先生だ。その話は君には関係がないことだ」
「おやおやあ~? やっぱり元魔法貴族のプライドが許さないのかなあ? 今からディオレス先生に謝罪すれば、もしかしたら許してもらえるかもしれないぞ? それとも家に泣きついて、なかったことにするのかあ?」
馬糞に頭を突っこまされた恨みもあるのだろう。
ルガーはいつも以上に、執拗に絡んでくる。
元々ルガーは、アルヴィの全てを憎んでいた。
ルガーは辺境の領主の息子だ。ある意味ではそれなりに恵まれた場所にいる存在だ。何も卑屈になったりすることもない。
が、上を見れば王都の上流貴族がいる。財を成した商人がいる。
だがルガーの未来は決まっていた。
この何もない、枯れた辺境の領主だ。
だからこそ、単に「魔法貴族」の家に生まれただけで輝かしい将来がある存在が、憎かった。
そうして鬱屈が溜まっていたところに、アルヴィがやってきたのだ。
魔法貴族から転落した存在。
いくら叩いても問題がない存在。
ルガーにとってアルヴィは、鬱憤のはけ口そのものだった。
だが相手が悪かった。
アルヴィは天才マッドサイエンティストだが、大人の喧嘩も知っている。それどころか、領主も領主の息子も、恐れてなどいない。
アルヴィは表面上の礼を尽くし、作法に則った上でやり返した。
「ルガー坊ちゃん。いつも俺のために時間を割いて、貴重なお話をくれてありがとう。また農場で栄えある魔法対決をお願いしたい。ただし次は、ハンカチを持ってきた方がいいかもしれない。馬糞を拭うためのハンカチを……」
「んが……、お、お前……!!」
「おや、いかがなされました」
「お、おま、お前……!!」
馬糞の屈辱を思いだしたのか、ルガーは言葉が出なくなっているようだ。
「どうしたのですか。そうですか。ルガー坊ちゃんは馬のクソが気になる訳ですね。でも大丈夫です。農場では馬糞なんてものは、ありふれたものですから。馬のクソに頭をつっこむのも、不思議なことではない。農場ではよくあることです」
もちろん通常はそんなことはありえない。
アルヴィは感染症のリスクも考慮し、作業が終わった後は入念に手を洗っている。
「お、お、お前は、追放だ! どのみちお前は今日で、ここを去るんだ! ディオレス先生との約束は絶対だからな!」
「ああ、そのことでしたか」
アルヴィはボロボロの布袋から魔石を取り出した。
土、炎、風、水、雷。
全ての魔石は揃っている。オークとの戦闘さえなければもっとあったが、今はちょうど一つずつ残っている。
「あ、あ……、ま? 魔石……?」
「拾ってきた」
「う、嘘だろ…………拾ってきた? ありえない、そんなはずがない!!」
「ルガー坊ちゃん。お耳にも馬のクソが詰まっているのですか? よく聞け。俺は『拾ってきた』と言ったのだ」
アルヴィはそこで話を打ち切り、ディオレスの元へと向かった。
*
ディオレスの屋敷に入ろうとしたら、扉は堅く閉ざされていた。
「何の用だね」
ノックをすると、硬く冷たい声が扉の向こうから聞こえて来た。
「アルヴィです。約束の魔石を持ってきました」
「私はそのような戯れ言につきあうつもりはない」
やはりディオレスは最初から何も期待していなかったようだ。ある意味では当然だった。
魔の道を極めた者であるほど、魔石というものの希少性と価値の高さを身を持って知っている。
魔術師が詠唱する言葉――魔詞は全て世界の神話や教典がベースとなっている。その中には魔石の記述もあり、教典に曰く、魔石とはマナの結晶であり、この世界にそうそう姿を現すものではないのだ。
その認識は、この世界の全ての魔法使いに浸透している。
「魔石といえども所詮は石」だとか「魔石の特徴を科学的に考察する」などという発想ができるのはアルヴィしかいないのだ。
それほどまでに人々の世界認識は固定されているのだった。
だがアルヴィは今、それをぶち壊そうとしている。
「ですが約束は約束です。魔石を持ってきたので、書庫に入れていただきたい」
「見え透いた嘘を……」
苛立たしげな声とともに、扉が開かれた。屋敷はしんと静まりかえっていた。今日は魔法講義もない日だった。
ディオレスは屋敷の扉をばたんと閉め、その場で話す。当然、ディオレスに客人を迎え入れるつもりなどないのだ。
「まさか、本当に魔石を探してくるとは思わなかった。君も上流階級の人間だったなら、そうした言い回しには慣れていると思ったのだがね。どこまで愚かなのだか……」
「つまり先生は、最初から俺を書庫に入れるつもりなどなかったと? それでは約束が違いますが」
「当たり前だろう。〝オド〟の制御すらかなわぬ者が、秘せられた術が記された魔法の書を理解できるはずがない」
「それも、やってみなければ分からない」
「いい加減にしたまえ! やってみなければ分からない? やってみても駄目だったんだろう! だからこうして――」
ディオレスのセリフはそこで途切れた。
論より証拠とばかりに、アルヴィはその場に魔石を放り投げたのだ。
じゃらじゃら、と床に魔石が落ちる。
「こ、これは…………まさか…………あり得ない。こんなことが」
「ディオレス先生にそのつもりはなかったかもしれない。だが俺は取り交わした約束というものは『言葉どおり』の意味しかないと考えている。そうでなければ、約束は約束として成立しないからだ」
「ぬう……少し黙っていろ! 見た目が魔石に似ているだけの宝石など、いくらでもある!」
ディオレスは床に落ちた魔石を拾い上げ、一つ一つを確かめる。
その姿はまるで、慎重に品定めをする商人のようでもあった。
だが実際は、魔法の心得があるディオレス自身が一番分かっているのだった。
その石から放出される、異常とも言えるマナの量を。
「ば、バカな……。君は一体これをどこから?」
「土の中からですが」
「ふざけるな! 魔石とは、マナの結晶なのだぞ。禍々しき古の悪霊や、神々の戦いの残滓そのものだ。石ころを掘ってきたような話ではないのだ! まさか、ルネリウス・ドーンファル家に泣きついて魔石を持ってこさせたのではないか?」
「先生! アルヴィは本当に魔石を掘り当てました」
アルヴィの背後からミハイロの叫び声が聞こえた。
「ミハイロ……。君までもが嘘をつくのか」
「嘘ではありません。アルヴィは魔石を見つけました。……命にかえてでも、僕が保証します」
そこからミハイロはアルヴィがいかにして魔石を見つけたか。いかにして巨大なオークを撃退したかを語った。
流石は吟遊詩人を目指しているだけあって、次第にディオレスも説得されていく。
が、やはり純粋な魔法使いとしては信じがたい事実もあった。
「にしても信じられない。魔石にそのような特徴が……? いかなる神々の物語にも書かれていないことだぞ」
「書かれていないならば、自分で確かめてみればいい。俺はそれをしたまでです」
「た、確かに一理ある……。だが魔法は神聖不可侵なもの……そのようなことができるはずが…………!!」
魔法講師として教鞭を執っているだけに、ディオレスは愚鈍の類ではない。
物事の観察や仮説の構築などの、科学的な考え方ができない訳でもない。
だからこそ、ひどく頭を悩ませている。
ディオレスにとって魔法の知識とは、ほとんど「信仰」のようなものだ。魔石がそう簡単に出てくるはずなのないのだ。
しかしアルヴィはその魔石を持ってきた。しかも五種類全てだ。その事実がディオレスの「信仰」と完全に矛盾しているのだ。
もちろんアルヴィにとっては、そんなことはどうでもいい。
――書庫に入り、この世界の歴史書を読む。
アルヴィにとってディオレスの試練は、この世界を識るための足がかりにすぎなかったのだ。
「事実として俺は魔石を集めて来た。約束通り五種類だ。最初に言った通り、魔石を見つけられなければ俺はここを去る。だが見つけて来た。だから先生も約束を果たして貰いたい」
「…………めてやる……」
余りにも小さな声で聞き取れなかった。アルヴィは改めて聞き返した。
「先生、今何と?」
「み、認めてやると言っているのだ! 全く理解できないが、魔法教育者として約束を反故にする訳にはいかない……! 早く書庫に行きたまえ!」
「やったあ! やったね、アルヴィ!」
ミハイロはまるで自分のことのように喜んだ。そして忘れず付け加える。
「頼むからアルヴィ、これ以上問題を起こさないでくれよ? 僕の命がいくつあっても足りないからさ……!」
「そうだな。考えておこう」
アルヴィは書庫の扉を開ける。
そこにはまさに、膨大な量の書物が格納されていた。
「まずは全ての文献に目を通しておくか。中々大変な作業になるな」
と言いつつもアルヴィは高揚していた。
この世界は、どうなっているのか。
かつていた世界と、何が違うのか。
その好奇心が、アルヴィの中で静かに燃えていたのだった。
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