秘薬解明ハンドレッド

柿尊慈

1 真鶴祈とセルクル・エテルネル

「――何を書いているんだい?」

 大学図書館前の広場でパソコンを叩いていた真鶴まなづるいのりは、突然見知らぬ女性に声をかけられた。

 肩につくかつかないかの、やや紫がかったショートカット。髪型全体は丸みを帯びているが、サイドの毛先が不自然なくらい外側へくるりと回っており、遠目から見たらタコに見えるかもしれないなと、祈は思った。

 同じく紫がかった灰色の瞳は丸く、少女のような童顔。美しいが、なんだか暗いな。祈はそんなことを考える。膝の下まで丈のある黒いワンピースに、白いレースのリボンが、いくつも無秩序に巻きついていた。実際には1本の長いリボンがぐるぐると巻きついているので、彼女の周りを観察者が回るか、彼女自身が回ることで、それが明らかになるだろう。

 そして祈は、彼女と遠い親戚であるかのような、美しい顔立ちをしていた。イギリス人の血が多少混じっているのだが、掘りの深い男前というよりは中性的な顔の形、パーツの配置をしている。

 白に少し茶色を混ぜたような髪の毛。ミルク多めのチョコレートのような色だと、祈は自分で分析していた。そんな容姿と賢さのために、多くの女性が彼に言い寄ってきたが、彼は女性にほとんど興味がなく、恋愛の経験はほとんどない。

 見知らぬ女性が声をかけてきたので、祈はこれまで通り「お近づきになりたい」女性なのだろうと最初は考えていた。しかし彼女の不思議な雰囲気に触れ、彼は彼女に興味を抱く。

「メモだよ。僕は文藝部に所属していて、小説を書いているんだけどね。その小説たちの、大まかな構想を記したものさ。プロットとも言うかもしれない」

「さすが、真鶴祈先生」

 祈は数回、瞬きをする。

「僕を、知っているのかな?」

 少女は頷く。そして、にやりと微笑んだ。あまりいい笑顔ではないなと、祈は思う。

「もちろん。これまでの99回、全て見てきたんだから」

 祈は、彼女の言葉が理解できなかった。99回とは、何のことを言っているのだろうか。しかし自分の目の前にある画面を見て、何となく想像がついた。

「ああ、僕の作品を読んでくれているんだね。でも残念、今書いているものが99作目だ。これまでの作品を全て見てたとしても、それなら98回読んだという――」

「いいや、合ってるよ。99回でね」

 彼の言葉を遮って、少女はやや強めに言う。言葉を切られて、祈はやや眉をひそめるが、彼女の言葉を待つことにした。

「私はセルクル・エテルネル。セルクルと呼んでくれてかまわない。この世界を99回やり直している神様さ」

 祈は困惑する。突然、自称神様に声をかけられたのだ。最初は何かの勧誘かと疑ったが、彼女から騙そうという悪意を感じられず、祈はただ「へぇ」と息を漏らすだけだった。

「そんな神様が、いったいどうして僕に声をかけたんだい?」

 ノートパソコンを畳む。広場にはいくつか木が立っており、日陰だった彼の居場所に、真っ直ぐ日の光が差し込んでくる。セルクルの顔が、逆光になって暗くなった。後光が差して、本当に神様みたいだな。祈はそう思った。

 祈は切り株のベンチから彼女を見上げて、次の言葉を待つ。その姿勢を受けて、セルクルは頷いてから言った。

「これまでの99の世界で、君だけがいつも違っていたからだよ」

 祈は座り直す。

「私はこの世界を気に入ってなくてね。何度も何度も、やり直してきた。このあたりには、様々な100回目を抱える人物がいる。一見するととても面白そうなのだが、これがどうにも面白くならない。アニメやマンガだって、100回目の記念には色々と工夫を凝らした作品に仕上げるだろうに、このあたりじゃ100回目は平凡なんだ。世界をやり直して、99回の100回目を見てきたが、何ひとつ変わりやしなかった。ゲームの中の方が、99回の試行の中で結果にバラつきが出ると思うよ」

 神様のわりに、マンガだのゲームだの、例えが随分と俗っぽいじゃないか。祈は出かかった言葉を飲み込んで、代わりに質問する。

「僕だけがいつも違っている、というのは?」

 セルクルは、空中に数字を書きながら話す。

「これまでの99の世界で、君は100の作品を書き上げてきた。そしてこの世界での――未発表のそれを含めた99作品を足せば、その数は9999作品になる。そして驚くべきことに、その全ての作品が、全く重複していない。ダブることがないんだよ! 100回世界を繰り返しても、君だけがいつも違う話を書いてくれる! その豊かな感性、想像力! 退屈なこの世界を、私が退屈しないように作り変えてくれるのは、君しかいないと考えたんだ!」

 祈はこれまでに、小説を褒められたことがある。むしろ、そういう機会はたくさんあった。その独創性や筆の速さを賞賛されることはあったが……。まさか、神を名乗る人物に褒められるとは思わなかった。それも、何回世界をやり直しても毎回違う話を書いているという、規模が大きすぎて褒められているのかどうかもわからない、褒め言葉。

 セルクルはどこからかメモを出し、それを祈の前の切り株のテーブルに置いた。

「これがその、100回目を抱える人々だ。全員がこの大学に通っている。だのに、彼らの人生は複雑に絡み合うことなく、ただぼんやりとその記念すべき100回目を達成してしまうんだ。もちろん、多少の人間関係はあるんだけどね。……君のすることはただひとつ。私の力を――運命を変える力を貸そう。どうかこの力で、この退屈な人々の運命を交差させ、退屈な世界を、素晴らしい100回目の世界に書き換えて欲しいんだ!」

 普通であれば、「あっ、はい」と返事しそうになるような剣幕。しかし祈はそれに気圧されるどころか、ため息混じりに反論した。

「神様なら、それくらい自分でやったらいいじゃないか」

 セルクルは手で顔を覆って、大げさに嘆く。神というより、神に懇願する人のようだと、祈は感じた。

「そういじめないでくれ! 私たち神は、世界しか創れない。しかし人は――君は! 物語を作ることができる。そして今、累計で9999個の小説が君によって構成された。――どうだろう、真鶴祈。記念すべき10000作目を、100回目の世界にするというのは? 君のその力で、この哀れな神を楽しませてくれ!」

 言葉の上ではお願いをしているが、彼女は頭を下げるようなことはしない。それどころか、ふんぞり返っているようにさえ見える。祈は断ろうとした。

 だが、しかし……。


 自分の力で、神を楽しませる。その言葉に、祈はこれまでにない気持ちの高ぶりを感じていた。




(つづく)

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