第6話

「それで、なぜあの佐倉が深夜労働してると?」

根拠薄弱こんきょはくじゃくだけど以前の彼女の態度ね。浜辺さんは中学生のときからずっとあの髪型で私たちはまだ高校に入ったばかり。本当に浜辺さんだと気づかなかったとは考えにくいわ。」

「いや、お前は忘れてただろ」

「ええ、ただ私は彼女と特に親交が無かったから。確か浜辺さんとはよく話していたような気がするわ」

 気がする程度なのか。やっぱりほぼ覚えてないじゃん。

「だから浜辺さんに気付かないのは変。おそらくは知られたくないことをしているからこちらから話しかけない限りはやり過ごそうとしてた可能性がある」

「それにその後、浜辺さんがこのあと会おうと言ってもはぐらかしていたように見えたわ」

「いや、それは邪推じゃすいなんじゃ……」

 それこそ知り合いにあまり見られたくないこともあるだろ。

「私も邪推だとは思うわ。だからこうして確かめに来たんじゃない」


「お待たせしましたー! チャーシュー丼と来翔らいしょうラーメンの小になります」

 注文した料理が運ばれてきた。美味そうな背脂醤油ラーメンだ。

 神下が箸ですくった麺をフーフーしながら話を続ける。

「ただ、私は顔を覚えられていたからこうして向かいの店から遠巻きに見ることにしたわ」

「俺の必要性は?」

「あなたは顔を覚えられていないか、前に覚えられたとしても多少変装すれば誤魔化せるかもしれないから。もしここから見えなかったときの潜入要員よ」

「それに……。私がこういうところに慣れてないから」

 こういうところとはラーメン屋か。なんだ、俺の推理もちょっと当たってたんだな。


「意外と眼鏡曇るわね。古木くん、佐倉さんはそちらから確認できる?」

「ちょっと茶髪のショートヘアーだったか? らしき店員がいるな」

「あれね。今が21時59分」

 神下が拭いた眼鏡をまた掛け直して、腕時計を見る。なんだか妙に大人っぽく感じた。


 しばし無言で向かいの店を見つめる。俺も腕時計を見る。

「……22時1分、まだいるな。まさかのお前の読み通りだな」

「向かいのサイズは23時まで営業しているから、1時間の違法就労ってとこかしら」

 神下は自分の推理が当たってご満悦な様子だ。ラーメンを食べながら少し笑顔になっているが、もちろんよくはない。

 1時間とはいえ、違法行為は違法行為だ。もちろん、店側が許容している節はあるだろうが。


「さて、これを食べたら帰りましょう。23時以降の外出は補導対象よ。念のために大人っぽい服装をお願いしたけど遅くならないうちに帰りましょう」

「ああ、そうだな」

「このことだけど、絶対浜辺さんには言わないでね」

「わかった」

 多分これも浜辺を傷つけまいとする友情だろうか。

 それからはお互いに言葉少なく手を動かす。



「ごちそうさまでした。すごく美味しかったわ」

「はい、ごちそうさん」

 神下のごちそうさまに合わせて俺もそう言う。

「今日はありがとう、支払いは私が持つから」

 そういや前に行ったサイズではこいつにご馳走になったんだっけ。

「いや、前の礼だ。俺が払う」

「そう? ではお言葉に甘えて」

 2つ合わせて1600円か。恰好をつけたはいいが少々手痛い出費だ。


「ごちそうさま。じゃあこれで、また明日」

 神下が小さく手を振る。俺も振り返そうとしたが思いとどまった。

「あー、こんな時間だ。家の近くまで送るわ」

 こんな時間に女子高校生が一人では危ないだろうと言外に含みつつ、また恰好をつけた一言を放つ。

「ありがとう、何から何までごめんなさいね」

「いや、いいんだ。どっちの方向だ?」

「駅の北側。10分かからないくらい」



 俺は神下の姿を見ながら少し後ろに付いていく。こうして彼女を護るために付いているとまるで近衛騎士にでもなった気分だった。何を話すわけでもなく沈黙が続く。


 2つのピンヒールが地面を叩く音だけが俺たちの間に響く。もうその音を何度聞いただろうか。

 こいつとは部室でも話すことは少ない。浜辺がいないときはこいつの声を挨拶と「お茶のお代わりいる?」くらいしか聞くことがない。

 それでいいと思っている。お互いに話す方では無いから、無用な会話はするまでもないと。

 それが俺と彼女の関係であり、それで毎日やってきた。


 俺は彼女の姿を見て今、少しでも歩を緩めると一気に彼女が遠ざかっていくんじゃないかと感じた。

 なぜだろうか。俺は彼女と2人だけのときに初めて、何か話すべきだろうかと考えた。



「こっちの方よ」

 神下が指差した先は静かな住宅街だった。

「今日は本当にありがとう。……じゃあまた明日、おやすみなさい」

「ああ、また明日」


 俺はきびすを返し、歩いていく。

 今度はそう感じるのではなく本当に彼女から遠ざかっていく。

 俺は振り返ろうとする衝動をグッとこらえて足を前に出す。


 彼女の足音は徐々に遠ざかっていき、やがて聞こえなくなった。

 俺は彼女との距離が今どれほどなのか、分からなくなってしまった。

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