チョコレートはゴミ箱へ⑥

「ああ、わかった。熊谷さんがどこにチョコレートを隠したのか。どうして僕のチョコレートじゃなければならなかったのか」


 僕は解決を思いついたがあることに気づいて自分がとんでもない泥沼に引き込まれているのではないかとゾッとした。だが、隣に座っている修善寺はそんなことなど気にならないのかどのような答えが出てくるのかと期待げな眼差しをこちらに送っている。


 放課後のベンチで女子と二人で見つめ合う。男子高校生なら誰でも一度は妄想するような場面だが、加害者と被害者という関係性ではときめきもおきはしない。


「修善寺さん、一度すべてを忘れて考えよう。熊谷さんは金田さんたちにチョコレートを奪われそうになり突発的に教室を飛び出した。それこそ意中の男性に必死の形相で走っているところを見られるリスクを負ってまでね」

「三木くんは熊谷さんが計画性をもっていなかったと、いうの?」

「そうだよ。もし熊谷さんが計画性を持っていたなら初めから事件は教室の中だけで終わっていた。でも彼女たちは教室棟を走り抜けてここまでたどり着いた。熊谷さんはどうしてもここにたどり着かねばならなかったんだ」


 僕たちのいるベンチを指差す。修善寺の視線が僕の指先に集まる。


「身代わりとして三木くんのチョコレートを回収するため?」

「半分だけ正解。熊谷さんは自分のチョコレートを隠したかったんだ。でも廊下も階段もチョコレートを隠すには不適切だった。なにより彼女はまだ金田さんたちを引き離せてない」

「でも、下駄箱にしても汚いのは同じじゃない?」

「修善寺さんも僕も勘違いしてたんだ。熊谷さんは追い詰められて購買部にたどり着いて下駄箱の前に連行されたんじゃないんだ。彼女の目的地が購買部だったんだ。そして、彼女の目的は達した。自分のチョコレートを隠してね」


 修善寺は購買部のほうを振り返る。レジ係りのおばちゃんがヒマそうにレジ前に立っているが、僕らに気にする様子はない。おばちゃんのいるレジから少し離れたワゴンには『バレンタインデー』とでかでかと書かれたポップとカラフルな装飾を施されたチョコレートがずらりと並んでいる。


 生徒会長である和彦が学校から引き出したお菓子持ち込みの自由化の影響だ。校則の変更に伴って購買部も大手を振っていまではお菓子を販売している。バレンタインは購買側も気合を入れたらしく生徒にはやや高い価格の高級チョコレートが置いてある。


「まさか。あのどれかが」

「バーコードがついてないものがあればそれが熊谷さんのものだよ。」


 木を隠すなら森の中とはよく言ったものである。和彦もまさか自分の学校改革がこんなことに利用されているとは思わないに違いない。


「でも、それじゃどうして三木くんのチョコレートが生贄に使われたの? 熊谷さんからしたら購買で買ってそれを金田さんに渡しても良かったわけでしょ?」


 僕はベンチから立ち上がると修善寺を購買部の中に手招きした。店内ではあいかわらずおばちゃんがやる気無さそうにぼんやりと立っている。僕たちがチョコレートの置かれたワゴンの前に立つと、少しだけおばちゃんがニヤついた気がした。


「このなかに?」


 修善寺はチョコレートを片っ端からひっくり返しそうな表情をしたが、彼女に見せたかったのはそこじゃない。僕はチョコレートの端に貼られた値札を指さした。ベルギー王室御用達――二千九百八十円。スイスセレクション――千九百八十円。ショコラデビジョン――二千四百円。


「結構するなぁ……えっ、もしかして」

「そう。僕らの懐には痛い金額だよね」

「でも、だからって」

「なら、ちょっと考えてよ。修善寺さんはいま追われていて手にしているチョコレートをたくさんのアマゾネスが狙っています。チョコレートを奪われてもいいように身代わりが必要になったあなたの前に都合のいいチョコレートが二つあります。一つは無料で特に関係ない人間の持ち物です。二つは売り物でそこそこの値段がします。さて、どちらを選びますか?」


 追われているさなかのことだ。悠長にレジに並ぶこともできないとしたら、確実にチョコレートが入っている靴箱からそれを失敬しないとは言い切れないだろう。しかも、そのチョコレートは自作自演で使われているものだ。良心の呵責も少ないに違いない。


「無料のチョコレート。でもそんなのひどい」


 修善寺が口元を両手で隠していう。それはとても普通な反応であった。


「ひどいよね。でも、熊谷さんは自分の恋路のためにはそれを良しとしたんだ。だから、彼女は金田さんたちにチョコレートを取り上げられたとき笑ったんだ。我がこと成就せりとね」

「……もし、靴箱に入っていたのがロシアンルーレットチョコレートじゃなくって本物のチョコレートだったらチョコレートも気持ちも伝えられずに終わったのね」


 その仮定はとびきりありえないものだ。僕は誰からか逃げることをしても誰かに好かれるようなことはしていない。だから、修善寺にとても悲しそうな表情をさせてしまったことを僕は後悔した。


「でも、幸いなことに修善寺さんが見たとおり僕の靴箱には入れられるチョコレートはなかったんだから不幸になった人は誰もいなかったんだよ。そりぁ、当たりを食べてしまった金田さんたちは不幸だったかもしれないけどそれだって自業自得だ」


 他人の恋路に首をつっこむ輩はいつの世だって馬に蹴られてしまうのだ。


「三木くんがいいならいいけど……」


 修善寺が顔を上げる。目と目があった。彼女は少しだけ困ったようにはにかむと目を再びチョコレートに向けると黄色い包装のチョコレートとやや梱包が甘い赤いリボンのついた箱入りのチョコレートを手に取ってレジへと向かっていった。おばちゃんは少し嬉しそうな表情で黄色い方のバーコードを読み込むと、赤いリボンのチョコレートをくるくると回してバーコードを探したあと呆れた声をあげた。


「これは商品じゃないわ。悪いけど他のにしてくれるかい?」

「いえ、ならいいです。それだけください」


 修善寺は微笑んで黄色い方を指さした。おばちゃんは「悪いわねぇ」と言って修善寺からお金を受け取った。


「それどうするんですか?」


 赤いリボンの箱を見て修善寺が問いかける。おばちゃんは気持ち悪そうに赤いリボンのチョコレートをレジの横に避けた。


「どうみてもうちの商品じゃないし。変なものが入ってたら困るからねぇ」


 おばちゃんはリボンのついたチョコレートをむんずと掴むとレジの内側に置いてあったゴミ箱へ投げ込んだ。熊谷の愛情のこもったと思われるチョコレートはおばちゃんの手によってゴミとなった。


 修善寺はその様子をみたあと、僕の方を見ると「行こうか」と購買部をあとにした。彼女は購入したチョコレートを自分のカバンにしまい込む。


「二千四百円だって。これで美味しくなかったら詐欺だよね」

「まずいチョコレートっていうのはそうないと思うけど」


 そう言うと、修善寺の手がカバンに入ったまま止まった。


「ロシアンルーレットかもよ?」

「それはわざと作ったものだから。普通のものならそうはならないと思うよ」

「本当にそう思う?」


 それはそうだろう。商品というものは一部の例外を除いて美味しいことが前提になっている。むろん、コスト面でけずられる要素はあるだろうが、味をおざなりにしては売れる物も売れないに違いない。僕が頷くと修善寺は「そう」となにか嬉しそうな顔をしてカバンから緑色の包装紙に包まれた箱を僕に手渡した。


「自分用のチョコレートだったけど三木くんにあげるね。私は新しいの買ったから」


 自分用というにはそれはしっかりした箱に入っていた。


 僕が困惑した顔をしていると修善寺はカバンのファスナを閉めて下駄箱の前に立つと「帰ろうよ?」と首をかしげた。


「……いや、僕は和彦と柳を待つよ」

「そう」


 修善寺は明るい声で応じるとサンダルから学校指定のローファーに履き替えてつま先をトントンと床にぶつけた。僕の方をむいた彼女は無邪気に微笑んで「残念。今日は三木くんと長くお話できて楽しかったのに」と言って帰っていった。


 僕は彼女の後ろ姿を見ながらじっと彼女の首筋をみていた。

 彼女の姿が消えたあと僕はチョコレートを眺めて、修善寺に言わなかった可能性を思う。


 熊谷がどうして僕の靴箱にチョコレートがある事を知っていたのか。簡単だ。教室棟の廊下からは下駄箱が見える。彼女が金田から逃げているときに僕の靴箱を開けてチョコレートらしき箱を持っている人間がいればそれは間違いなくそこにチョコレートがあるとわかったに違いない。


 では誰が僕の靴箱の前にいたのか。それはきっと修善寺だ。彼女は僕の靴箱にチョコレートを入れようとしてさきに誰かのチョコレートが入っているのを見つけたに違いない。そして、僕がどんな反応をするのか見るためにわざわざ教室棟に戻って僕が来るのをまっていたのだ。教室を僕よりも早く出たはずの彼女が僕の後ろに現れたのはそのせいだ。


 緑色の箱を裏返す。そこには生産者を書いたラベルも賞味期限も書かれていない。


「普通は渡さないだろ」


 僕はそうつぶやいて食べられそうにないチョコレートをカバンに押し込んだ。

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