キャンディはチョコレートを愛さない

コーチャー

チョコレートはゴミ箱へ①

 後方二列目の窓際は居眠りをするにも内職をするにももってこいの好立地である。本来なら喜んで席替えをするべきなのだが手にした机と椅子は重く、僕――三木京平みき・きょうへいの心はもっと重い。それは目の前の座席に座る少女のせいだ。


 修善寺しゅぜんじなずな。それが少女の名前であり、僕がかつて傷つけた女の子である。それは彼女からの告白をこっぴどくフッたとか、陰湿な悪口をしたとかそういう心を傷つけるものではない。物理的に傷つけたのだ。


 小学校のときの僕は、彼女の首筋に拳よりも大きな岩を振り下ろした。


 彼女の首筋にはそのときの傷がしっかりと残っている。衝撃で彼女の真っ白な肌が裂け吹き出した血で首筋が紅白に分かれたとき、僕はまだその重大性を理解していなかった。女の子に凶器を振るったことの問題を認識したのはそれからしばらくしてからだった。


 以来、僕は彼女を避けている。小学校では彼女の五メートル圏内に入らないように細心の注意を払い、中学では友人や部活動がかぶらないように逃げ続けた。長かった義務教育を終えた僕は、彼女から離れるためにローカル線に乗り換えなければならない四之山高校を選んで進学した。だが、なにを考えたのか彼女は最寄りの進学校ではなく、同じ高校へとやってきたのだった。


 おかげで僕は再び彼女から逃げ回ることになった。入学式では土の中に潜むふきとうのように、体育祭では路傍の石のように、文化祭では暗幕のように目立たないように生きてきた。なんとか一年を乗り越え、二年になったとき不幸はやってきた。一学年には八つのクラスにも関わらず、僕のクラスは二年五組。修善寺のクラスも二年五組であった。目を疑いながら教室にはいいると彼女はいた。


 誰もが好きになる七色のコンペイトウのような明るい笑顔に明瞭で聞き取りやすい優しい声。もし、彼女のとの遺恨がなければ僕も彼女を好ましい人間として友情を育みたいと感じたことだろう。だが、現実は違う。僕は彼女に負い目があるのだ。


 それでも二学期の終わりまでは平穏だった。座席は遠く、交友のあるグループも違う。これがサンタからのクリスマスプレゼントだと言われれば僕はそれに文句などつけようがなかった。だが、そんな幸運も三学期最初の席替えで終わったのである。


 思い返して見れば、お正月に行った初詣が悪かった。姉にうながされて引いたおみくじは下から二番目。凶など見たことないと喜んだ姉によっておみくじは持ち帰られ写真立てに入れられ醤油や激辛ソースなどと一緒にダイニングテーブルに飾られている。きっとこのあたりから歯車が狂っていたのだ。


 引越し先にはすでに移動を終えた修善寺が座っており、背筋の伸びたその首筋にあるはずの傷は肩口まで伸びた黒髪で見えなかった。それがどこか僕を責めているようで息苦しかった。クラスメイトの全員が席替えを終えると担任が解散を告げてホームルームは終わった。僕は修善寺から逃げるためにカバンに急いで教科書を詰め込んだ。


「なんかずいぶんと久しぶりだよね」


 春の日差しのような柔らかな声がした。視線だけ声の方にむけると修善寺が椅子に座ったままこちらを向いていた。その表情は笑顔そのものでかつての遺恨など一切ないような素振りだった。彼女はカバンからマフラーを取り出すと手際よく首に巻いた。


 僕が何も返せずにいると、修善寺は口元までマフラーに埋もれた首をかしげた。


「三木くん、いまから帰るんだったら駅まで一緒に行こうよ」


 カバンを肩にかけて立ち上がった彼女に僕は慌てた。


「いまからちゃんこ鍋を食べに行くんだ。じゃっ」


 僕は嘘をついた。修善寺と一緒に駅に行くということはそのままローカル路線に乗り換えて最寄りの駅までずっと一緒ということだ。それは彼女に引け目のある僕にはとても耐えられない。コートを着ることも忘れて僕はカバンを握り締めて教室をあとにした。


 その背後ですこしだけ残念そうに手を振っている修善寺の姿が見た。


 コートを忘れて帰った僕は次の日、寒さに押しつぶされるように背を丸めて登校した。教室棟と特別棟の間にある下駄箱で革靴から防寒能力が皆無のサンダルに履き替える。寒さが一気に足元からやってきて僕は身震いをした。後ろから足音がして振り返ると背の低い男子生徒が暖かそうなダッフルコートに濃紺のマフラー姿で立っていた


「京平。随分といい席に引っ越してたな」

「まぁね。内職するにはいいところだよ」


 修善寺がいなければもっといい席なんだけどと、心の中で毒つくが太い眉毛に丸々と大きな瞳をした彼――野口和彦のぐち・かずひこは笑顔で頷いた。僕は彼の姿が絵本に出てくる雪だるまみたいで少し笑ってしまった。


「笑いが止まりませんってか?」

「いや、まぁそんなところだよ。和彦だって扉側の一番後ろでいい席だったろ?」

「いやいや、夏ならあの席はベストプレイスだけど、この季節にあの席はすきま風で居眠りさえ難しい」


 確かに創立百二十年をうたう四之山高校の校舎は四十年前に建て替えられて以来、耐震補強が行われた程度で窓や扉には多くの隙間が空いている。


「休み時間のたびに寒い思いをすることになるね」

「まったく、教室間の交通を遮断してやろうか」

「生徒会長様ともなるとそんな権力があるのか?」

「馬鹿を言え。生徒会に権力があるっていうのは漫画の中だけで現実には先生のお手伝いに毛が生えたようなもんだ」


 二学期のはじめに行われた生徒会選挙で和彦は見事に生徒会長になった。だが、本人は立候補のときから「第一に俺の内申点のため、第二に学生生活の向上のため」と言ってはばからず。選挙前の予想では落選確実と言われていた。


 その彼が見事に生徒会長の座に就いたのは単にひとつの公約を掲げたことにある。


「校内へのお菓子の持ち込みを自由化する」


 ほかの候補者が言うようなボランティア活動の充実やクラブ活動の促進と設備拡充と言ったお堅い公約が並ぶ中で彼の軽くすべての生徒に益がある俗物的(ぞくぶつてき)施政方針(しせいほうしん)は大いに支持された。


 就任してからひと月で彼は学校側にお菓子の持ち込みを許可させた。その方法も購買室で売っている商品を並べてどれが菓子パンでどれがお惣菜なのか。何が栄養補助食品で何がお菓子なのか、問うていくねちっこいやり方であった。


 すべてを区分した彼は、すでにお菓子が校内で販売されているのだから持ち込み不可という校則は有名無実である。そう論じた。和彦の勝利はすぐに生徒の中で評価され彼は生徒会長としての地位を磐石にし、公言どおり内申点も稼いだのであった。


「菓子の自由化を果たした生徒会長様ならできないこともないだろう」

「馬鹿を言え。あんなのは形骸化していたからできたことだ。それに先生たちにとっても利益がある話だったからな」


 お菓子の持ち込みの自由化で教師が得になることは何か。僕が考え込んでいると和彦は人が悪そうにニヤリと笑って「手荷物検査の手間が省ける」と言った。なるほど、それはそうだ。先生たちからしてもお菓子の持ち込みくらいでいちいち検査したり、違反者に説教することは面倒だったに違いない。


「ちゃっかりしてるよ」

「しっかりしてると言ってくれよ。それよりも早く教室に行こう。ここは寒くてかなわない」

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