ぼちぼち外伝~三人娘のあっちゃこっちゃ旅~
@wizard-T
日下月子の不安
「このペルエ市にとどまっているのももう飽きちゃったねー。って言うかこの世界って本当に臭いと思わない?」
「赤井は言っていただろう?日本のようにその手の設備が発達している訳ではないと。お前も赤井と仲が良いならばそれぐらいの知識は身に着けておく事だ。」
神林みなみは、朝からペルエ市南西の安宿で寝っ転がりながらため息をこぼしていた。
木村迎子は、この世界で日下月子が買った櫛と共に鏡台とにらめっこをしている。
一応便所と言うべき物は存在するが、当たり前だが水洗便所などではない。
それでも適当にかき集めて西のミルミル村のような農村に持ち込んでとか考えていた三人だったが、それがされているのは宿屋や大商人であるハンドレの家のそれぐらいだった。
多くは公衆便所であり、ひどい場所になると公衆「が」便所であった。
ヨーロッパにおいて便所が整備されたのはナポレオン三世の時分であり、日本では幕末に当たる。言うまでもなく江戸時代ともなればそのような事はすっかり整備されており、日本よりヨーロッパは幾百年は遅れていたとも言える。香水もハイヒールもマントもそのために発達したとも言われているが、いずれにせよナポレオン三世の時代からさらに数百年前と思われるこの世界にはまともなそれなどない。
「それでミルミル村にでも行く?」
「バカを言え、ここからミルミル村まで西に三日ほどあるぞ。しかも野営必至だ、あそこは文字通りの辺境の村だぞ」
「するとやっぱり北かぁ。赤井君の後追いってのもどうかと思うけどさ、と言うか日下って本当にお堅いよねー。冗談抜きで最近ちょっと怖いんだけど、と言うか金貨もう二十枚ぐらいになるよね私たちの稼ぎってさ。そんな事してるのにまだ不安な訳?」
「不安でなければこんなことを言うか」
別に神林がだらけていた訳でもない。
三人とも昼間は地味にコボルド狩りに励みながら金をため、夜にはいつもの酒場で曲芸や歌を披露していた。それにより、本来ならペルエ市一のホテル、三人の定宿となっているそれの三倍ぐらいの値段がするそれに泊まるぐらいのお金は持っていた。
「金など少しだらけていればあっという間になくなる。ありすぎて困る事はない」
だがそれを日下が許さなかった。自分たちの財布をがっちり握り込み、銅貨一枚たりとも無駄遣いをさせないようにしていた。
「コボルドを見ているだろう。あれは私たちを殺さんとする魔物だ。私たちは冗談抜きで私たちだけなのだぞ。たまたまこんな力があったから何とかなっているに過ぎない。その身を守るためにもっと鍛え上げねばならないのだ」
「だったらなんで赤井君に付いて行くのを反対したの」
「それはだな、現状では足手まといにしかならぬと思ったからだ!くどいようだが私たちはもっと強くならなければならぬ!聞いただろう、ナナナカジノの事件を!」
日下は神林と木村が財布のひもを開けようとするや毎度のようにそう吠え、二人を東の山へと駆り出して行く。そして稼いだ金で財布を膨らませ、装備品を求める。
一応その過程で舞台衣装と言う名目で比較的見栄えするようなドレスを二着得ることはできたものの、それがほぼすべてのぜいたくだった。
しかも本当に「舞台衣装」扱いで、夜に舞台に出る時以外は袖を通す事さえ日下は許さなかった。
ナナナカジノ襲撃事件の後、上田裕一たちはペルエ市にいったん戻っていた。その際に神林は赤井たちに付いて行くべきだと言ったのだ。
(私たちは月子の言うように弱いのはわかってる。どう考えても強い人間に、そしてクラスメイトと言う名の仲間について行った方がいいのに、月子もずいぶんと強硬だったもんなあ)
ところが日下はその神林の言葉に強硬に反発。上田や市村の強さ、赤井の回復魔法、大川の元からの実力。それらと自分たちの差を事細かに持ち出し、その上に上田がナナナカジノ襲撃事件で盗賊を五十人単位で斬り殺した事を力説した。
(「お前たち、山賊と言う名の人間を何十人も斬れるのか?私だって自信はない。だが上田たちはすでにそれをやっている。上田たちはおそらくこれからもっと過酷な戦いに巻き込まれる事になるだろう。もし行くのならばそれこそもっととんでもない物を見る羽目になる。お前たちが心を病んだらどうする気だ!私一人で二人も背負えないぞ!」)
日下の強硬な反論に木村も言い返せず、結局こうしてペルエ市にとどまったままずっと同じ生活をしていた。
「日下、このままずーっととどまっていて何か変わると思うの?」
「思わん、だがむやみに猪突するよりはずっとましだ。とりあえず己が力を見極め、その上で鍛え上げなければならない。とりあえず歌か魔法の練習でもしろ。それがいい」
「もう日下ってWランク冒険者でしょ?十分に他でも行けると思うけど」
「神林、お前も少しは木村を見習え!毎日毎日魔法の練習を欠かさず、今ではかなり大きな物まで持ちあげられるようにぃぃぃぃ!!」
しかめっ面を極めていた日下の体が急に浮かび上がり、宿屋の入り口へと飛ばされて行く。神林があわてて体を起こして廊下を走ると、宿屋の入り口では木村が日下と同じように顔をしかめながら必死に手を動かしていた。
その側には銀貨銅貨の山ができており、安宿に集まっていた客たちがやたらとはしゃいでいた。
「ああ皆さん、私は彼女の仲間です!すみませんおじさん、迷惑料として一部渡しますから!」
神林も銀貨銅貨を拾いながら、宿屋の人間と客たちに向かって挨拶をする。手足をバタバタさせる日下の事などまったく目に入っていない。
そしてその日下が着地を決めると、拍手が巻き起こりさらに銀貨銅貨が投げ付けられた。声援が安宿を包み、結果的に昨日のコボルドの倍の収入が十分足らずで入る事になった。
「私だってね、気弱な日下には懲り懲りなんだよね。さんざん威張ってるけどさあ、結局はそれって自分に自信が持てないって事だよね」
「私が威張ってる?」
「うん。確かに日下はちゃんとしてるよ。でもそれって結局はちょっとでも失敗したらどうしようって怖がってるだけでさ、レベルの上げ過ぎだよ」
体勢を立て直して宿屋に駆け込みどういう事だと怒鳴り付けようとした日下に向かって、木村は整然と言葉を紡いだ。威張ってると言う予想外の言葉に日下がひるんだのをいい事にさらに木村が畳みかけると、日下の膝から下の力が消えて文字通りの女の子座りになった。
「私たちはあまりにも無力だと言っただろうに……」
「正直さ、日下って赤井の事嫌ってたよね。その赤井と同じ事やってるのに気づいてハッとなっちゃった訳?」
日下が生まれたての小鹿のようになりながら木村の手を握ると、木村はもう一方の手を添えながら日下をテーブルに座らせた。日下は木村の力で投げ飛ばされてなお伸ばしていた背を折り曲げ、テーブルに全体重を預けた。
日下は三田川のように極端ではないが、大川のようにオタクを嫌っていた。
ましてや日下は大川と違って勉強はできても運動はできないと言う赤井勇人に近いタイプの生徒で、成績で目立とうとするといつも赤井が壁となる。その赤井は三田川にケンカを売られまくっており、その分だけ自分の存在が薄くなっていると言う感覚を日下に与えていた。
「私はな、三田川がいなければもっと赤井に噛み付いていた気がする。三田川があまりにも醜悪だったのでな、そんな人間の真似をしたくないと思ってただけだ」
「三田川ねえ、あの子もどうしてあんなんなっちゃったのかしら。自分が一番じゃなきゃ気が済まないって言うか、そのためならば何でもするって言うか」
「正直に言う。この世界に来た時、一緒だった神林を見捨てようかと思った」
「それはひょっとしてギャグで言ってるの!?」
「単純に、どうしても理解できなかっただけだ。神林が言うようなそれの何がいいのか、何の意味があるのか」
実は日下自ら、赤井に対して喰ってかかった事が一度だけある。
汗臭いだの、キモいだの、モテないだの、目が悪くなるだの、様々な形で赤井にケンカを売った事もある。だがその時にはすでに三人の女友達を確保していた赤井には数の差があり、その上に赤井があの弁舌で日下を言い負かし、さらに三田川と言うそれ以上の化け物の登場で日下はすっかり口をつぐんでしまった。
その代わりのように勉学に励むも三田川にも赤井にも勝てず、やがて日下は赤井にケンカを売れない代わりのように神林たち赤井の彼女に敵意を向けるようになって行った。無論それは神林たちの赤井依存を深めるだけでもあったのだが。
「変な所で意固地になって、我ながら何をしたいのかわからなくなっていたのは事実だ。この世界がこんな世界だと言うのから未だに逃げていたのは私かもしれん」
「だったらさあ、もういい加減動こうよ。日下は本気で定住する気!?」
「わかった、腰を上げる。もういい加減十分なはずだ、たぶん、おそらく、大丈夫のはずだ……」
何もトイレだけでもなく、何もかもが非常時だと言うのに。それでもなおわずかに残った学級副委員長と言う権力と炎の剣と言う武力をもってなんとか逃げ回ろうとしていた自分からどうしても逃げ切れない日下に対し、神林と木村は実に年上じみた笑顔を向けていた。
————————ちなみに、実際に神林は十日ほど、木村はひと月ほど生まれたのが早かったのだが。
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