公爵令嬢は熊さんと庭を散策する
「ここだここだ!おお!ちゃんと大きくなってる!」
子供みたいにはしゃいで太い腕で植え込みをかき分け進む、ニメートルはある大男。
「熊兄様、待ってください!髪が枝に引っかかってしまいました!」
その後ろで細い枝に髪を絡ませ動けなくなってしまった。
「ああ!それは大変だ!」
熊兄様は慌ててわたくしの所まで戻って来て、枝に絡んだ赤い髪を解きにかかる。
剣だこでゴツゴツの太い指が、器用に絡まりを解いて行く。
「ロゼの髪は柔らかいな」
わたくしは熊兄様のごわついた黒髪に手をやる。
「熊兄様の髪は硬くてごわごわですわね」
「だから熊なんだろ?」
熊兄様はニカリと笑って言った。
初めて会った時、その体の大きさと髪の毛の色と感触で、熊のお兄様と呼ぶようになったと教えてもらった。
自分ではすっかり忘れていた。
婚約解消の準備が整ったとお父様に知らされてからひと月近く経ったけど、解消されたとの連絡はなく、こうして毎日のように熊兄様が来ては散歩だと言って庭に連れ出され、昔懐かしい場所を回って歩いている。
「ほら、ここだ!」
熊兄様に手を引かれて奥に進むと、ぽっかり植え込みが開いた空間に出た。
その真ん中に低木が数本生えていて、よく見ると小さな白い花が咲いていた。
「木苺だよ。好きだったろう?」
「まあ!」
「棘があるから触るなよ」
伸ばしかけた手を慌てて引っ込める。
そんなわたくしを見てくしゃりと顔を皺だらけにして笑う熊兄様。
懐かしい、熊のお兄様の笑う顔。
熊兄様はお父様の親友の弟で、わたくしが子供の頃に、学園に通う為我が家に滞在していた。
学園には遠方から通う人の為に寮もあるけど、歳の離れた弟を可愛がっていた親友に頼み込まれたのだそうだ。
わたくしがニ歳、熊兄様が十三歳の時から学園に通っていた三年間、わたくしの兄も含めて良く遊んで貰っていた。
学園卒業後は王国騎士団に入団して寄宿舎に入ってしまったけど、何かと我が家に来ては一緒に食事をしたり庭を駆け回ったりしていた。
わたくしが八歳になり、王太子殿下との婚約話しが来た頃に、お父様の親友だったターナー辺境伯爵が事故でお亡くなりになった。
辺境伯には子供がいなかった為、弟である熊兄様が辺境伯爵家を継ぐ事になり、騎士団を辞め領地に帰られたのだ。
「領地に帰る前に苗を植えておいたんだ。次来た時一緒に食べようと思ってな」
熊兄様は懐かしそうに目を細めて、木苺の小さな茂みを見ている。
「じゃあ、七年も誰にも食べられる事なく、ここに木苺の実がなっていたんですか?」
なんて勿体ない!と言ったら、熊兄様が大きな声を立てて笑った。
「今はまだ花だけど、夏前には赤く熟して食べられるようになる。俺が植えたのは一本だけだったのに、七年の間に勝手に増えたんだな。」
熊兄様は地面に直接座り、わたくしの為にハンカチを出して地面に引いてくれた。
遠慮なく座らせてもらう。
最近わたくしは熊兄様と散歩をする為に、汚れても破れても良い服を着るようにしている。
「こんなに長く来れないなんて、思って無かったからな」
熊兄様は木苺の茂みを見ながら言った。
十九歳の若者が、隣国との境界にある辺境伯爵家を継いだのだ。
さぞかし大変だった事だろう。
「ロゼ」
懐かしい呼び方。
幼い頃は家族もロゼと呼んでくれていたけど、王太子殿下との婚約が決まってからは、ローゼリアと呼ぶように改められた。
いずれ王太子妃になったら家族であっても、ローゼリア様、または妃殿下と呼ぶようになる為だ。
「俺はロゼより十一歳も歳上だし、見てくれも良くない。子供には泣かれるしな」
「ふふっ」
初めて会った時、兄は大泣きしたそうだ。
当時から背が高くてガタイの良かった熊兄様。
小さな子供には恐ろしい巨人のように見えるらしい。
わたくしは…熊兄様に突進して戦いを挑んだそうだ。
全く覚えていない。
「あんなちいちゃなお転婆娘が、七年でこんなに変わるのに、俺は相変わらず熊のままだけど」
「ふふふっ」
そう、わたくしはなかなかのお転婆だった。
家の中でじっとしているより、外で走り回るのが好きだった。
ユリアさんに廊下を走ってはいけませんと言っていたけど、幼い頃のわたくしにとって、廊下は走るものだった。
「その、俺と一緒にターナー領に来て欲しい。ロゼと一緒なら、きっと、毎日楽しく過ごせると思うんだ」
「うふふっ」
「こらっ!真面目に言ってんのに笑うな!」
「ふふっ」
わたくしをロゼと呼び、本当はお転婆な事を知っている熊のお兄様。
わたくしも、熊のお兄様と一緒なら、毎日楽しく過ごせると思います。
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