公爵令嬢は熊さんに出会う


あれから一ヶ月が経ち、体の痣は消え、頬の腫れも赤紫から紫へ、そして青に変わり今は黄色っぽくなっている。

メイクで隠せるようになったので、頬につけていた当て布はもうしていない。


左眼は…お医者様に診て貰ったら、少し見えない部分が出来てしまったそうだ。

普段は気にならないけど、ふと左側を注視した時に違和感がある。


王太子殿下との婚約者解消、見えにくくなった左眼。

頬や体の痣は消えるけど、この国で貴族令嬢として生きて行くには消えない傷を負ってしまった。


「ローゼリア」


庭のベンチでぼんやりしていたら、いつの間にかお父様が目の前にいた。


「お父様、今日は邸にいらっしゃいましたのね」


もともと忙しかったお父様は、ここ一ヶ月殆ど邸に帰って来なかった。


「王太子殿下との婚約解消の準備が整ったよ」


そう言ってわたくしの隣りに座ったお父様は、大分お疲れのご様子だ。


「ありがとうございます」


あれから学園へは行っていない。


あの時王太子殿下はわたくしに、二度とその醜い顔を見せるなと仰っていた。

八歳の時に婚約をしてから七年間、初恋の人であり、わたくしを好きだと仰ってくれた方からの強い拒絶に、抗う気力はすでにない。


ずっと王太子殿下のお役に立てるようにと勉強を重ね、王太子殿下の隣りに立ち支える事だけを夢見て来たわたくしに、残されたものは何も無かった。


これまでの努力も、これから先の未来も、何もかも色を失い灰色に見える。

何をする気力も無く、こうして毎日庭のベンチにただ座り、ぼんやりと日々を送るだけ。


このまま学園には戻らず、婚約が解消されたら修道院に入ろうと考えている。


「ローゼリア、私はお前に幸せになって欲しいと思っているんだよ」


そう言って黙り込んでしまったお父様。

どうしたのかと思い見ると、わたくしと同じ紫色の瞳が剣呑な光りを放っていた。


「アラン王太子殿下には失望したよ。ローゼリアに手を上げた事を謝罪するどころか、国王陛下にローゼリアを退学処分にしろと言って婚約破棄を求めて来たらしい。今だに何もしていないお前の罪の証拠を探しているそうだ。バカバカしい」


「お父様、不敬ですわ」


「何が不敬なものか。あんな男に大切なローゼリアを託そうとしていたなんて…」


お父様ががっくりと項垂れる。


「お父様、お疲れなんですわ。わたくしの婚約解消の為に奔走してくださっていたのでしょう?どうか少しお休みになってください」


「ああ、いや、大丈夫だ」


お父様が顔を上げる。


「今度は失敗しない」


「何をですか?」


「ローゼリアに会って欲しい人物がいる」


「え?」


お父様はわたくしの手を握りしめて言った。


「歳は離れているが人物は確かだ。あの男ならローゼリアを幸せにしてくれる」


「お、お父様、それは…まだ早いのではありませんか?王太子殿下との婚約解消も、やっと準備が整ったばかりです。それにわたくしは…」


「修道院へ行くつもりだろう?」


わたくしより先にお父様に言われてしまった。


「お父様、わたくしは王太子殿下との婚約を解消した傷者になるのです。次期国王となる王太子殿下に疎まれているのです。何処かに嫁いだら先方にご迷惑をお掛けしてしまいますわ」


バレット公爵家の、お父様のお力があれば、こんな傷者のわたくしでも嫁ぎ先は見つかるかもしれない。

でも、王太子殿下に顔も見たくないと言われる程疎まれているのだ。

嫁いだ先に不利益をもたらす事もあるだろう。


「王族とはあまり関わらないから問題ない」


「?!」


お父様の声と違う野太い声に、思わず体がビクンと跳ね上がる。

声のした方へ振り向くと、後ろの木立から背の高い大きな男性が現れた。


ごわついた硬そうな黒い髪、優しい青い瞳。


「あ…?」


記憶の片隅に何かが引っかかる。


「ローゼリア、俺の事、覚えているか?」


低くて太い声がわたくしを呼ぶ。


「あ…あ…、くま…熊のお兄様?」


その人は大きな体を屈めてわたくしを見ると、くしゃりと顔を皺だらけにして笑った。


ああ、その顔!


「覚えてたか!久しぶりだな、ロゼ!」


記憶にある姿より、さらに大きくなり大人びてしまっていて、すぐに分からなかった。


幼い頃、まだ王太子殿下と婚約する前によく遊んでもらっていた。

熊のお兄様と呼んでいた懐かしい人がそこにいた。

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