第10話 エリアヒール

 その日は、メイドさん達がラベンダーで精油を取ったとかで、私にそれを譲ってくれた。

 なので、素焼きの皿にそれをたらして、キャンドルで加熱した。だから、離宮の中でラベンダーの香りがほのかに香っていた。

「気持ちが安らぐ、良い香りですね」

 私の部屋で、私の身支度を手伝ってくれたルリが、その香りにうっとりとしていた。


「せっかくですから、お客様をお招きして、お茶でもなさってはどうですか?」

 ルリが今日の私の過ごし方を提案してくれる。

 でもなあ。私が知っている相手って、魔王陛下の四天王のお二人だけ。

 そういう立場の方って忙しいわよね?

 そうそうお呼び立てしても良いのかしら?

 そういえば、私は、この間椿オイルを作るのをみんなに手伝って貰った時に気づいたことがあるじゃない。


「ねえ、ルリ。私、この間みんなに『エリアヒール』をかけたじゃない?」

 お茶を入れようと茶器に触れていたルリの手が止まる。

「はい! あれはとても素晴らしいお力ですね。私は怪我もありませんでしたが、その日の疲れも取れて、あのあと夜はぐっすり眠れたんですよ!」

 私に向き直って、両手を胸の前で組んで、感激のポーズをする。


「あれを、できれば毎晩、城下町とか、魔族領全体にかけたいと言ったら、どうかしら?みんなが一日の軽い疲れや病なら癒やして眠れるようになるかもと思って」

「毎晩だなんて、ユリア様のお体は大丈夫なのですか?」

 最初の状態が酷かったからか、ルリが心配そうにする。

「うん、エリアヒールぐらいなら大丈夫よ。でもね、そうやって、全体にかけても大丈夫かどうか、魔族領に、どんな人達が住んでいるのか知りたいの。だから、図書室みたいなところがあるのなら、そこで調べ物をしたいんだけれど……」

 そう、私はこの領の魔族の人々の優しさに触れて、彼らのことを知りたいと思うようになったのだ。そして役に立ちたいとも。だから、その望みをルリに相談してみたのだ。

「まあ! 私たちのことをお知りになりたいなんて! しかも魔族領に住む下々の者を含めて回復をしてくださろうだなんて、なんてお優しいユリア様! 図書室はありますわ。早速、私が利用許可をいただいてまいりましょう!」

 少々お待ちくださいね! そう言って、ルリは部屋を後にした。


 ◆


「図書室の利用許可?」

 ルリが向かったのは、魔王ルシファーの執務室であった。

「はい。離宮にお住まいのユリア様が、我々魔族のことを知りたいと、図書室をご利用になりたいとお望みなのです」

 ルリはそう言ってルシファーに一礼すると、続いて、部屋にいたアスタロトとアドラメレクにも目礼をした。


「我々のことを知りたい、とはどういうことだ?」

 彼女には、離宮で自由に過ごせとだけ言ってあるはずだ。なぜ、そのような考えに至るのか、ルシファーは興味を覚えた。


「先日、椿オイルを作った際、ユリア様が、怪我をした者を癒したいと、ヒールとエリアヒールをお使いくださいました。ユリア様の聖魔法は、我々を傷付けず、癒してくださったのです」

「魔族は、悪魔とは違って『邪悪なる者』ではないから、ヒールは当然効くだろうね」

 アドラメレクの言葉に、はい、とルリは頷く。

「ユリア様は、それを見て、できれば毎晩この領全体にエリアヒールをかけたいとお望みなのです。大規模な範囲で聖魔法を行使しても、我々が大丈夫なのか、この領に住む者達のことをお知りになりたいのだと思います」

「領全体にエリアヒール……。ユリアちゃんの体は大丈夫なの?」

 ルリの言葉を聞いて、アスタロトが心配そうに眉を下げる。アドラメレクも気遣わしげな顔をする。


 ――ずいぶんと我が部下や使用人にまで好かれたものだな。


 彼らの様子を見て、ルシファーは考える。

 図書室というものは、勿論重大な情報を含むものは別途保管にしているとはいえ、この領に関する情報がたくさん詰まっている。そこへの入室を、人間であるユリアに許すか?

 確かに彼女は好ましい人間だ。魔族の皆からの愛も徐々に得ていっている。

 ――だが、この領地を預かる身としては、全ての情報を彼女に許すのはやや早計か。


「ルリ。図書室への入室は一旦今は保留とする」

「「「ええっ!」」」

 すでにユリア贔屓な三人から、非難がましい声が上がる。

「だが、ユリアが望んでいる、この領に住む者達について知ることができる本については、そなたが選んで彼女に与えるがいい。それから、『エリアヒール』の件については、ありがたい申し出だと、……その、彼女の体に障りがない範囲でお願いしたいと伝えて欲しい』


 ◆


 結果、ルリが私の部屋に、魔族領に住む者達の情報が書かれている本を持って帰ってきてくれた。

 そこには、冒頭に、どこにどんな種族の村や町があるかまで記されていたので、私は、エリアヒールに必要な範囲も知ることができた。

 本来エリアヒールってそんなに広い範囲でかけるものじゃないんだけれど、例の国に結界を張っていたのと同じように、その範囲指定を領全体って考えれば、領全体にかけることも可能なのよね。ちなみに、その分、魔力は使うけれど、エリアヒールは元々の難易度が低い魔法だから、そこまで負担はかからない。


 ――ま、レベルや魔力量をカンストしている私限定なのかも知れないけれど……。


 そして、それとは別にエリアヒールの許可は出たので、その日の晩から、私は私の離宮から、領全体に向けてエリアヒールを施してから眠るのを日課にしたのだった。

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