第54話 それぞれの道

 最後のリクエストを終えた三人は、誰も喋らないまま休憩も取らずに黙って歩き続け、午後二時にはグランデの町に戻って来るとその足でギルドに向かい、リクエストの完了報告を済ませた。

 ウェントワースのギルドより少し大きいホールには、時間が早い事もあってアーベル達三人しかおらず、ガランとしたホールはシンと静まり返っていた。


 受付で完了報告を済ませたエリーとレオナルドを、広いホールの真ん中でポツンと一人待っていたアーベルは、戻って来た二人を少し見つめた後に、レオナルドに向かって右手を差し出した。


「レオ、短い間だったけど今日までありがとう。約束通りここまで無事に一緒に来れてよかったよ」


 レオナルドは、一瞬躊躇する素振りを見せた後にアーベルの手を握り、レオナルドの隣に立っているエリーはただ黙って俯いている。


「こちらこそありがとう。アーベルの、君の戦いは凄く参考になったよ」


 そして二人は手を離すと、レオナルドがアーベルに今後の予定を聞いてきた。


「アーベルはこれから予定通りエステリアスに向かうのかい?」

「うん。エステリアスから船で湖を渡ってオリエンテ共和国に向かおうと思う」

「そうか......」


 レオナルドは再び躊躇うような素振りを見せてからアーベルに伝えなければいけない事を口にした。


「僕は......はこのまま南に下ってから王都に戻ろうと思ってる......彼女の強くなりたい理由を聞いて、僕だったらこれから彼女の力になれると思うんだ」


 その瞬間、レオナルドの横で黙って俯いていたエリーの身体がビクッと跳ねた。

 そんなエリーの様子を見たアーベルの胸には、エリーと出会ってから今日までの半年間の出来事が遠い昔のように思い出される。

 多分こうなることはだいぶ前から分かっていたし、決断も、気持ちの整理もつけた。


 アーベルには最後まで分からなかったエリーの強くなりたい理由。

 エリーがそれをアーベルにではなく、レオナルドに話して頼ったのであれば、アーベルにはもう何も言う事はない。


 エリーが強くなったことの喜び。

 エリーに信頼できる仲間が出来た事の安心感。

 そして、エリーとの旅が終わってしまう事の言いようのない寂しさ。


 始まりはエリーが強くなりたいという理由でアーベルに付いてきただけのパーティーだったし、いつまで、どこまで、なんて決めていなかった。

 エリーがアーベルをこれ以上不要だと思えば、パーティーを抜けるのもエリーの自由だ。

 ハンナとの身を切り裂かれるような別れとも、マルシオとの希望を抱いての別れとも違う、今まで経験した事のない気持ちがアーベルの心の中で吹き荒れた。


 でも、もう―――


 やっぱり今のエリーと二人だけで旅をすることはアーベルには出来なかった。


 レオナルドの言葉を聞いて暫く黙っていたアーベルは小さく頷いてから、自分の決意を、エリーに対しての決別の言葉を口にした。


「うん、分かった。レオ、エリーの事よろしく頼むよ」


 アーベルのその言葉に、俯いて震えていたエリーがパッと顔を上げ、握りしめた拳が痛いほど白く、そして小刻みに震える。

 そして数週間ぶりにアーベルと視線を合わせると、大きく見開かれた金の双眸からポロポロと涙を零し始めた。

 アーベルはそんなエリーに向き合って右手をスッと差し出した。


「エリー、今日までありがとう。身体に気を付けて」

「ア......べル......どう、して......」


 アーベルの手を取らず、ただアーベルを見つめたまま涙を流し続けるエリーは何かを小さく呟いた。

 アーベルは、結局最後までエリーが取らなかった右手を諦めて引っ込めると、二人に頭を下げてから背を向けて歩き出し、その足音がギルドの扉の向こうに消えていった。


「アーベルっっーーーーー!!」


 アーベルの背中を追いかけてきたエリーの声は、ゆっくりと閉じられた扉に断ち切られて、アーベルに届くことは無かった。


 ギルドを、二人を後に歩き出したアーベルの胸には、未だに言いようのない気持ちが渦巻いていて、その気持ちの正体が分からないアーベルは考える事を止めてフウに話しかけた。


「フウ、まだ時間も早いし、荷物を取ってきてからそのまま町を出ようか?久しぶりにフウと二人だけの野営だからいっぱい話ができるしね」


 こんな時だけフウを利用するなんて自分はズルいなと思いながらも、アーベルは今の気持ちから目を逸らすようにフウに話しかけた。


 フウは今まで何千年も、数えきれない人間を、人間たちの様々な感情をその目で見て来た。

 アーベルとエリーが出会ってから今日までの全てを知るフウには、アーベルが今抱いている感情が何なのか痛いほど分かっている。

 だけどフウは自分の口からそれを言う事はしない。

 その気持ちは、いつかまた、アーベルが今日のような気持ちを抱き、今日の事を思い出して自分自身で理解するだろう。

 だからフウは、アーベルに新しい出会いや別れを経験させてくれ、アーベルの人生をまた少し豊かにしてくれたエリーやレオナルドの事を感謝こそすれ、悪くなんて思っていない。


 フランシェ人とも、この世界の人間とも、向こうの世界の人間とも違う、この不思議な少年。


 約束の人―――


 アーベルが本当にそうなのかは分からないけど、ただ、今はごく普通の感情に戸惑うこの少年が、少し大人になった事の嬉しさと少しの寂しさを感じながら、いつもの様に明るく元気なフウを演じて答える。


「え~っ、どうしようかなー?アーベルがどうしても早くアタシと二人っきりになりたいって言うならそれでもいいけど~?」

「やっぱり宿に泊まろうか!」

「ウソウソ!冗談だってば!......でも報酬は?受け取らなくていいの?」

「うん、今日は僕は何もしてないからいらないよ」

「そっか......そうだね。久しぶりにアーベルと二人だけの旅だね!」


 アーベルは、フウの普段と変わらない軽口を聞いて、昨日までの重い空気から久しぶりに解放された気がしてフウへのお礼を口にした。


「うん......フウ、ありがとう」


 一旦宿に戻り、背負い籠やハンナの剣などの置いてあった荷物を持ったアーベルは、日が傾き始めたグランデの町を誰にも気づかれることなく一人後にして歩き出した。


 風車の森、ハンナとの出会いと別れ。

 冒険者になってマルシオと一緒に戦った事。

 エリーとの出会い。

 エストレーの町での事件。

 王都、レオと出会って初めての三人パーティー。

 そして今日、グランデの町での二人との別れ。


 この国に来てからの出来事を一つ一つ思い出しながら歩いていたアーベルは、今回の別れで自分の旅に何か一つの区切りが付いたような気がした。

 理由なんてない。ただ何となくそう思ったアーベルは顔を上げて突然走り出した。


「ちょっとアーベル!いきなりどうしたのよ!」


 突然走り出したアーベルに驚いたフウに、アーベルは久しぶりに心からの笑顔で答えた。


「こんな何もない荒野じゃ、どこで野営しても同じでしょ?だから日が暮れるまで、久しぶりに走りたくなったんだ!」


 真っ赤な夕日を追いかけて、息の続く限りどこまでも走ろう。

 この国で経験した色々な出来事、良い事も悪い事も、一度全部振り払って。


 アーベルは夕日に向かって真っすぐに伸びる自分の道を走り始めた。


 ♢♢♢


 涙で霞んだ視界の先、ギルドの扉の向こうに消えていくアーベルの後ろ姿を見て、私は彼の名前を大声で叫んでいた。


 その後、いつ、どうやって宿に戻ったのかは覚えていない。

 気が付いたら、真っ暗な部屋のベットの上に座って泣いている自分がいた。


「どうしてこんなことになっちゃったんだろう......」


 昔よく口にしていた言葉。

 理由は自分自身が一番分かっているのに、その言葉をいつの間にかまた口にしていた。


 強くなりたかった―――


 何のため?


 今の私にはそれが分からない。

 復讐の為?アーベルの傍に居たかったから?

 多分どっちも正解でどっちも間違っている。


 レオの誘いに乗ったのは、両立できない二つの道の前で、どっちに進むか決めたのは私自身だ。自分で決めた道なのに、どうして私は泣いているのだろう。


 でも分かってる。本当は自分で決めた道じゃないことを。

 他人に、状況に、抑えきれない自分の感情に流されて、追い込まれて、決断したと思い込んで、自分を納得させようとして。

 それでも、アーベルにあんな酷い態度をとっておいても、有り得ないと分かっていても、それでもアーベルの最後の決断を聞くまでは心の何処かで信じて、期待していた自分がいた。


 レオの敷いたレールに乗せられて、最後の決断をアーベルに任せて、それを自分で決めたように思い込もうとして。


 今からでも遅くない。まだ間に合うから―――


 そう思えば思うほど、私はベットに座ったまま、ただ涙を流す事しかできなくなっていく。

 昨日の夜、決断した後に一晩中流したはずの涙が今も止まらない。


 やっぱり私は馬鹿でズルい女だ。

 全部自分でしでかした事なのに、大事な事は自分で何も決められず、誰かのせいにして、こうしてただ泣いているだけの、馬鹿でズルい女だ。



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