第33話 マルシオの戦い
空がピカッと光った次の瞬間、キィィンと言う音を発した僕の剣を伝って鋭い衝撃が右腕に伝わってくる。
僕はそれでも振り向かず、再び剣を強く握り締め、木を盾にし、岩の陰飛び込みやり過ごし、低い体勢で藪の中に突っ込むんでからまた走り出す。
「ハァハァ......ここまで来れば」
マルシオさんと別れてから全力で山を下り、マルシオさんから既に三百メートルは離れただろう。
僕は巨大な岩がゴロゴロと転がっている、木の生えていない平地に出ると、剣を構えて上空を見上げる。
「一、二、三......四、よし、全部僕に付いて来てる」
視界が開けた上空には、四体のフラッシュスワローが僕を取り囲むように円を描きながら飛び回り、光った瞬間に僕めがけて襲い掛かってくる。
僕は僕の身長より高い大きな岩の陰に飛び込んでその攻撃をやり過ごしてから一旦息を付いた。
ここまで離れればフラッシュスワローがマルシオさんに攻撃することは無いだろう。
木刀一本でここまでの時間を凌ぎ切れば、マルシオさんが木刀を剣に持ち替えても大丈夫なはずだ。
もし、マルシオさんが木刀で支えきれなければ、僕がフラッシュスワローとオーク達から挟み撃ちになってここで死んでしまうだろうし、僕がフラッシュスワローにやられてしまえば、奴らはまたマルシオさんの下に戻るかも知れない。
(せめて二体......僕がフラッシュスワローを倒さないと!)
二体倒せれば僕とマルシオさんで一体ずつ相手に出来る。
もっといい作戦は無かったのか?僕がフラッシュスワローを倒せるのか?
少し冷静になってそんな事を考えてしまうが、この瞬間にも僕が盾にしている大岩がガツンと鈍い音を立てて削られている。
でも、やるしかない。そうしないとマルシオさんを危険に晒した意味が、僕らが二人で生きて帰る事も出来なくなってしまう。
自分で決めた事だから......やるしかないんだ。
左肩の傷を止血用の布で縛り、僕はフラッシュスワローを倒すべく岩陰から飛び出した。
♢♢♢
「ツバメども、は......もういねぇ、か......」
木刀で叩き殺したオーク二匹の魔核晶が薄汚いねぇ色で光っているのを横目で見ながら、俺は折れかかった木刀を手から落とし、震える右手で剣を抜いた。
ボウズがツバメどもを引き連れて去って行ってからどれくらい経ったのか。
数分前のような気もするし、数時間前のような気もする。
ツバメ共が戻ってこない所を見ると、取りあえずボウズはまだ無事だろう。
頭から流れる血が右目の視界を奪い、ゆっくりと警戒しながら近づいて来るオーガが霞んで見える。
奴らの攻撃を防ぎ続けた左腕は感覚がなく、だらんと垂れ下がったままでピクリとも動きゃしねぇ。
義足は外れちゃいねえが、負担を掛け続けた右足は震え、背にしたカッタラの大木に寄りかかって立っているのがやっとだ。
俺が木刀でぶん殴った左足にダメージがあるのか、少し足を引きずりながら近づいて来るオーガに向かって、震える右手だけで剣を構えるが、剣の重ささえも支えきれなくなった右手がゆっくり下がっていく。
五年前のあの日から俺が望み続けた結末がゆっくり近づいて来る。
俺の前まで来たオーガが、怒りで血走った眼を俺に向けながら、ひしゃげた鉄棒を横に薙いで来た。
カッタラの木を背にした俺に横薙ぎで来るなんて馬鹿な魔物だぜ。
こういう時は突いて串刺しにすんだよ。
そんな事を思いながらも、今の俺には躱す力なんて殆ど残っていなかった。
僅かに上体を傾けて躱そうとしながら、切っ先が地に着いた剣を最後の力で摺り上げてオーガの顔面を切り付けた瞬間、左肩に衝撃が走り、俺の身体は大きく吹き飛ばされた後、地面を転がった。
「ぐっ......あぁ......」
本当だったら死んでいた一撃。だが俺にはまだ意識があった。
「ほ、ら......言わんこっちゃ......ねぇ......」
苦痛を堪えて顔を上げると、さっきまで俺が背にしていたカッタラの木に鉄棒をめり込ませたオーガが、俺に切り付けられた顔面を抑えて悶えている姿が目に入った。
そんなオーガを横目に、俺は右手で上体を起こし、両足に力を込めて立ち上がろうとしている自分に気が付いた。
(何で......俺は立ち上がろうとしている?......もういいじゃねえか。もう十分生きて来ただろう。身体だって動かねえ)
これでやっとエイミィの所に行けるんだ。
最後まで冒険者として生きる約束を果たしたんだ。エイミィだって喜んでくれる筈だ。
ゴブリン共に叩きのめされて、薄汚ねぇ血反吐を吐いてくたばる予定が、冒険者らしくオーガと遣り合って死ねるなんてこんな機会はもう二度とないだろう。
あの日から死に場所を求め、色んな冒険者に声を掛けてきて、やっと待ち望んだ結末が迎えられる時が来たのに......どうして俺は立ち上がろうとしている?
四つん這いになった俺の霞んだ視界の先には、再び鉄棒を構え、ゆっくりと近づいて来るオーガが映る。
「最高......の終わり......だぜ......」
全身から力が抜け、最後の時を迎えようと目を閉じたときだった。
約束したじゃない―――
俺の頭の中で、ずっと聞きたかった、懐かしい声が響いた。
そうだエイミィ......最後まで冒険者でいるって約束したな。
だからこうやって最後まで―――
最後まで無事に帰るって約束したじゃない―――
エイミィのその言葉を聞いて、俺の記憶から懐かしい日々が次々と溢れ出してくる。
あれはいつだったか......俺達のパーティーが俺とエイミィとリンネの三人になっちまった時だったか?
そうだ、三人になっても冒険者を辞めようとしない俺に向かってエイミィが言ったんだ。
「私はマルシオがしたいようにすれば良いと思うよ。ただ、一つだけ約束してほしいの。必ず最後まで無事に帰ってくるって」
冒険者なんていつ死ぬか分からねぇ。俺はあの時何て答えたっけ・・・・・・他愛もない言葉のやり取りだと、簡単に返事をしちまった気がする。
「そうだな、エイミィ。俺は、やっぱり......お前との約束だしな......」
怒り狂ったオーガとの距離は十五メートル程しかない。
二人で帰りましょう―――
そうだったな......ボウズ。約束しちまったからな。
オーガを生かしてたんじゃ笑われちまうな。
五年振りでこの怪我じゃ上手く行くか......だが!
俺は迫りくるオーガを正面に見据えたまま、目が霞み、意識が飛びそうになるのを懸命に耐え、両足に最後の力を籠める。
(エイミィ、見ていてくれ!)
久しぶりに全身の血が熱くたぎるのを感じながら、意識を両足に集中する。
「死にぞこないの老いぼれ冒険者の最後の意地だ!スキル!
右足に溜めた力を一気に開放し、俺は土煙を上げ爆ぜる地面から一気に飛び出す。
地面を蹴った死にかけの右足が悲鳴を上げ、激痛が全身を駆け巡った。
(まだっ、まだだっ!!)
想定外の俺の動きに硬直したオーガの顔が一気に迫ってくる。
(もう一蹴りっ!だっ!)
左足を前に伸ばし、空中を蹴りつけて身体を更に加速させると、その力に耐えきれなかった義足が折れ、俺の身体が九十度傾いて、正面のオーガが横になる。
「喰らえっっっ!」
右手に握った愛剣を真っすぐ突き出すと、そのまま体ごとオーガの胸に向かって吸い込まれていき、俺の身体がオーガにぶつかった瞬間、悲鳴を上げる暇もなく奴の姿が黒い霧になって消えて行った。
地面に叩きつけられ、天翔の勢いそのままで地面を転がった俺の身体は、二十メートルほど転がって仰向けになってようやく止まった。
(ハハッ......上手くいきやがっ......た。ざまぁ見やがれ......だ)
一か八かで五年ぶりに使ったスキルの反動でもう指一本動かせねぇ。
雲一つない青空から容赦なく照り付ける太陽が眩しくて目を閉じると、笑ったエイミィの顔が脳裏に浮かぶ。
「エイミィ......俺は冒険者として......ゴメンな......」
呼吸をしているのもダルくなってきた。
今はただこのまま眠ってしまいたい。
(そう言えば......ボウズ、に......伝えていない事が......まだ......)
そこまで考えてから、俺の意識はゆっくりと無くなって行った。
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