第32話 フラッシュスワロー
冒険者ギルドがリクエストを受け付けた際には、一部の例外を除いて事前調査を行う。
ただ魔物が出たという依頼だけでは冒険者を向かわせる事が出来ないので、出現場所、魔物の種類、数などを正確に把握するためには、事前調査と言うのは重要だ。
事前調査の結果を基に依頼主に依頼報酬を通知するが、事前調査費用はギルド負担になる。
ただ、僕が最初に受けた討伐リクエストのように、複数の目撃者の証言から、魔物が少数のゴブリンの場合や、緊急性を要する場合には事前調査を行わない事もある。
僕もマルシオさんと一緒に事前調査のリクエストを二回受けたが、基本的には魔物と戦う事はないので危険性は少ないけど、リクエスト報酬も多くは無く、そのくせ正確な情報を手に入れる為には経験や知識が必要なため、大事な仕事なのにギルドも手が回らない事が多い。
なかには、事前調査や完了確認を専門にしたパーティーもあるそうで、戦闘には向かない斥候だけでパーティーを組んでいたりするらしい。
♢♢♢
「もう一体来ました。オークですね」
「これで二体目か。一応、事前調査通りって所か」
パレン山地でのオーク討伐リクエストの二日目。
日の出と共に山に入った僕らは、事前調査がだいぶ古いこともあり、オークが出入りしているという報告があった横穴から、百五十メートル程離れた藪の中で二時間程監視していた。
その結果、これまでに二体のオークが横穴に入って行ったのを確認できた。
「どうします?予定通り行きますか?」
僕の問いにマルシオさんは少し考えてから口を開いた。
「二時間で二匹しか見てねーしな......多くても三、四匹って所だろう」
「フラッシュスワローは大丈夫でしょうか?」
「分からんが、まだ見てねえからもうとっくに北に向かったか、見間違いの可能性が高いな。だが、念のため長居しないでとっとと引き上げた方がいいだろうな」
「じゃあ、作戦通りに?」
「ああ、だが決して無理はするなよ。あまり深入りはするな」
「分かりました」
今回、事前調査でオークが出入りしている横穴が山腹の斜面にあることが分かっていたので、僕とマルシオさんはオークを横穴からおびき寄せる作戦を立てた。
オークは人型の魔物で、身長は百八十センチ前後。
角のない頭部には赤褐色の頭髪がまばらに生えていて、肌の色は濃いベージュだ。
ゴブリンより少し知能が低いらしく、石や丸太を振り回して襲い掛かってくる。
ゴブリンとは比較にならないほど力があり、攻撃が当たれば大怪我や、下手をすれば命も失いかねない。
だけど、スピードも遅く、動作は鈍いので僕にとっては戦いやすい相手だ。
オークの出入りしている横穴は山の斜面に開いていて、マルシオさんの足じゃ上り下りが厳しいから、今回の作戦は足の速い僕が横穴に入ってオーク達をおびき出し、マルシオさんが待機する平坦な場所まで誘導して、二人で一気に叩こうという寸法だ。
僕はマルシオさんに頷くと、素早く斜面まで走り、雑木林で覆われた高さ二十メートル程の斜面を登り切って横穴の近くまで行ってから近くの藪に隠れて様子を伺うが、二メートル四方の口をぽっかりと開けたその横穴の中はシーンと静まり返っている。
僕は一旦後ろを振り返ってマルシオさんまでの退路を確認してから、身を起こして横穴に近づいた。
「おーーい!出てこいオーク!」
横穴の入り口で大声で叫んで暫く様子を伺うが、横穴は相変わらず静まり返ったままなので、背後から近づいて来る魔物がいないか確認してから、ゆっくりと足を踏み入れてまた大声を上げた。
ヒンヤリとした真っ暗な横穴の中に僕の声が響いて吸い込まれていくが、やっぱり何の反応もない。
(だけど、この中に確実にいる)
横穴の奥から魔物独特の黒い空気が流れてくるのを感じた僕は、七メートル程進んだところで音響玉を取り出して、真っ暗な穴の奥に投げつける。
パアァァーーン
横穴の岩肌に当たった音響玉が鋭い大きな音を立てて破裂し、一瞬横穴の中を明るく照らしたあと、穴の奥から小さな音が聞こえてきた。
その音は近づいて来るにつれ、ドスドスという複数の足音になって僕に迫ってくる。
(来た!......二......いや、三体か?)
「こっちだ!」
僕はオークが向かってくる足音を確認すると、再び大声を上げてから横穴の入り口に向かって走り、入り口から五メートル程斜面を下った所で剣を構えてオークが現れるのを待った。
すると、横穴からオークがヌッと顔を出し、辺りを伺うように見渡してから、横穴から出てきた。
僕は確実に誘導するために、オークに向かって再び大声を出した。
「おい!ここ―――」
だけど、途中まで声を上げた僕は、横穴から現れたソレを見た瞬間に息を飲んだ。
オークの後ろから屈むように姿を現したソレは、横穴の前に出ると、僕に気が付いて血走った眼を向けてきた。
(あれは......何だ!?)
ソレはオークより二回り程大きく、二メートル強の身長があり、ブルーゴブリンよりも更に青い肌と、頭髪のない頭には二本の長く鋭い角が生えている。
筋肉が発達し、盛り上がる右手には、錆びた鉄の棒が握られていた。
明らかにオークよりも強そうなその魔物を見た僕は、この異変をマルシオさんに伝えるべく、すぐに全力で斜面を下った。
斜面を下りきって一旦後ろを確認すると、角の生えた青い魔物を先頭に、二体のオークが僕を追いかけて斜面を下ってきているのが目に入った。
(このままマルシオさんと合流して......どうするかはマルシオさんに確認しないと)
余り足の速くない三体の魔物を引き離しながら、僕は木がまばらに生えた平坦な広場、マルシオさんが待ち構えている場所に目を移したが、待っているはずのマルシオさんの姿が何処にも見つからない。
(あれ!マルシオさんは!?どうして?)
僕はマルシオさんがいない事に焦りを感じながら、辺りを見廻した。
すると、合流地点から更に五十メートル程先の、木が密集している場所からキンッと言う金属がぶつかる音が聞こえてきたので、音が聞こえてきた方を見ると、カッタラの大木に身を寄せて、剣を構えて立っているマルシオさんの姿が目に入った。
「マルシオさんっ!」
何故こんな所に。と一瞬思ったけど、正体不明の魔物がいる事を伝えようと、マルシオさんに声を掛けた時だった。
「ボウズっ!しゃがめ!剣をしまえっーー!」
マルシオさんの叫びを聞いた瞬間、僕の視界の隅、左上で何かがピカッと光ったと思った後、僕の左肩に衝撃が走った。
「つっ―――!」
思わずよろけて転びそうになるのを堪え、マルシオさんに向かって走りつつ、衝撃のあった左肩を見ると、刃物で切り裂かれたようにシャツが十センチ程裂けていて、ぱっくり開いた傷口の白い断面から真っ赤な血が泉のように染み出していた。
(フラッシュスワロー!)
僕はマルシオさんの指示の通り、走りながら剣を納めて、全力でマルシオさんの下に向かった。
近づくにつれ、はっきり見えてきたマルシオさんは、カッタラの大木を盾にするように背にしつつ剣を構えていて、右足や左腕から血が流れているのが目に入った。
「マルシオさんっ!」
「ボウズ!これ以上近づくな!フラッシュスワローだ!四匹いやがる!」
やっぱり!さっき光ったのがフラッシュスワロー。
光ったと思ったら次の瞬間には僕の左肩が切り裂かれていた。
「マルシオさん!どうすればっ!」
「俺が囮になる。ボウズは低い姿勢を取ったまま、すぐ山を下りてギルドに報告しろ!」
その言葉を聞いた瞬間、僕の脳裏にひと月半前の光景が鮮明に浮かんだ。
「そんなっ!僕だけっ!」
「バカ野郎!戦って野垂れ死ぬのが冒険者の役目なら、生きて帰って結果を伝えるのも冒険者の役目だ!」
また上空でピカッと光りが光ったと思った瞬間、カツッと鋭い音と共に、マルシオさんが盾にしているカッタラの大木に大きな切れ込みが入った。
「いいかっ!山を下りるまで絶対に剣は抜くな!奴らは光る物に攻撃を―――」
マルシオさんはそこまで言うと、僕の後ろに視線を遣って目を細めた。
「......オークが二匹と......オーガか......」
「オーガ?」
「ったく、だから再調査しろと......ボウズ、こんな事に巻き込んで悪かったな。早く山を下りろ。急げば今日中にはギルドに駆け込めるはずだ。なるべく粘ってみるが......油断するなよ!」
「マルシオさん......」
僕は今でも毎日のようにあの時の事、ハンナさんと二人で鎧の魔物と戦った事について考えてしまう。
あの時、ハンナさんを無理やり担いでも逃げればよかったのか、戦った事が正解だったのか、僕は何を考えて行動すればよかったのか。
多分、一生考えても答えは出ないかも知れない。
いや違う......ハンナさんが最後に僕に教えてくれようとした事。
―――戦う本当の覚悟―――
多分、あの時の僕にはそれが無かったんだ。
自分の命を捨ててもハンナさんを守りたいと思った、戦う覚悟は、今マルシオさんが抱いている覚悟と同じだろう。
だけど......それじゃあ、どう転んでも誰かが悲しむ結果しか生まないんじゃないのか?
その時、僕の脳裏に、泣き崩れるリンネさんの姿が浮かんで消えて行った。
その瞬間、僕の中で一つの覚悟が突然生まれた。
これが、ハンナさんの言っていた戦う本当の覚悟かどうかなんて分からない。
だけど、一緒に逃げても、この場で一緒に戦っても僕らの命は終わるだろう。
「......マルシオさん、僕がフラッシュスワローを引き付けます。その間にあのオーク達を倒してください」
マルシオさんは驚いた顔で僕を見つめ、笑った。
「バカか?死ぬぞ?」
僕はマルシオさんの近くに素早く駆け込み、カッタラの枝を切り落として歪な木刀を作ってマルシオさんに差し出す。
「お前......俺に今すぐ死ねって言ってんのか?しかも、お前も死ぬぞ?」
木刀を見た瞬間、僕の考えを見抜いたマルシオさんはそう言って僕を見つめてくる。
剣を納めた僕にもフラッシュスワローは攻撃を仕掛けてきたから、ここはマルシオさんからフラッシュスワローを引き離すしか方法はない。
「はい。可能性は低いですけど、二人で生きて帰るにはこれしかないと思います」
「お前が逃げりゃ、お前が生き残る可能性は高い」
「でも、マルシオさんが生き残る可能性はゼロです」
「可能性の問題だ!可能性の高い方に賭けるのは冒険者の鉄則だ!それに俺はもともと―――」
「可能性は低いけどゼロじゃありません。だから僕はその可能性、二人で生きて帰る可能性に賭けてみたいんです。......リンネさんが待ってますから」
背後からオークやオーガが迫ってくる足音が聞こえてきた。もう時間もないだろう。
「......初めはただの気の弱いボウズかと思っていたが、いつの間にか一人前の口を利くようになりやがって」
マルシオさんはそう言って諦めたようにまた笑うと、剣を仕舞ってから僕の差し出した木刀を手に取った。
「ボウズ、死ぬなよ!」
「マルシオさんも......必ず二人で帰りましょう」
木刀を構え、オーガ達に向き直ったマルシオさんを後に、僕はフラッシュスワローに見せつけるように剣を抜くと、木の下から飛び出した。
「こっちだっ!フラッシュスワロー!」
ハンナさん―――
僕にはまだ本当の戦う覚悟が何か分かっていないかも知れません。
あの時、ハンナさんの命さえ危険に晒す覚悟が僕にあったら、結果は変わっていたんでしょうか?
涙を浮かべて微笑んだまま目を閉じたハンナさんに問いかけながら、僕はフラッシュスワローを引き連れて全力で山を下った。
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