第28話 模擬戦

 朝霧が立ち込める町の南門の横にある広場に、僕は新品のシャツとズボンを身に付けて一人立っていた。

 広場の真ん中に立つ時計塔の針は、あと五分で七時になることを指し示している。


(お金に余裕ができたら懐中時計も欲しいな)


 ハンナさんが持っていた綺麗な銀製の懐中時計を思い出しながら、不安と緊張を誤魔化すように一瞬そんな事を考える。


「一体これからどうなるんだろう......」


 気を紛らわせたのも柄の間、僕は再びこれから起こる事を色々考えて不安と緊張に襲われると、一人そんな呟きを漏らしていた。


 昨日、あの名前も知らない冒険者に言われたように、二日分の食料と最低限の水を持ってきた。

 だから日帰りのリクエストじゃない事は分かる。そして多分薬草採取じゃないことも。

 これからどこに連れていかれるか朧気に想像出来るから、僕は緊張と不安に包まれている。


「まだかな......」


 時計塔の針は七時二分前を指していた。


(もしかしたら来ないかも)


 きっと昨日は酔っぱらっていて、僕に言った事もすっかり忘れているのかも知れない。

 あと一時間だけ待って来なかったら、ギルドに行ってもう一度薬草採取のリクエストを受けよう。


 そう考えて少し気持ちが軽くなった僕が、再び時計塔に目をやったその時、朝もやの向こうから、ギシッと言う音と共にあの冒険者が姿を現した。


 黒い塗装が剥げかけた金属製のくたびれた胸当てと革製の脛当てを身に付け、腰からはグレーの地味な革製の鞘に収まった剣を下げ、左手には黒い杖を握っているが、杖は使わずに歩いている。


「お、おはようございます......」


 微かな期待が外れた事で少し落胆してしまうが、そんな僕の気持ちなんて当然その人に分かる訳もなく、その人は僕を一瞥してから「行くぞ」と一言だけ言うと、左足からギシッという音を響かせながら町の南門に向けて歩き出した。


「いや、ちょっと......」


 昨日、この人の有無を言わせない威圧感に思わず、はい。と返事をしてしまったのは僕のせいだから、取りあえず付いて行く事は仕方がないと諦めているけど、何をしに、どこに行くのか、それどころか名前さえ聞いていない。


「何だ?」


 僕の声に、足を止めたその人は面倒くさそうに振り返る。


「えっと、すみません。せめてこれから何処へ、何しに行くのか教えてくれませんか?」


 僕が今優先すべきことは、旅をするための路銀を貯める事だ。

 昨日、何らかのリクエストを受けたってことは、ただ働きではないと思うけど、どんなリクエストなのか―――いや、分かってる。どんな魔物と戦うのか。僕が行く意味があるのか。せめて説明くらいあるべきだろう。


 すると、その人は暫く空中に視線を彷徨わせて考えた後、


「ボウズ、冒険者がやる事と言ったら魔物討伐しかねーだろ」


 口端を上げてそう言った後、また背中を見せて歩き出した。


 僕の質問に何も答えていないと思いつつ、遅れない様にその人の背中を追いかけて町の門に向かった。


 ♢♢♢


 空にはどんよりとした雲が広がり、北から吹く生暖かい風が僕の頬を撫でていく。


(この様子だと、早ければ午後には雨になるかもしれないな)


 ハンナさんだったらそう口にする空模様の下、小さな森と湖が点在する草原を、僕はその冒険者の数歩後ろを南に向かって歩いている。


 町を出てから既に三十分は経った。

 その間、一言も口を開かないどころか、僕の方を振り向きもしないその冒険者に、僕は思い切って声を掛けた。


「あの!さっきの話ですけど......いったいどんなリクエストを受けたのか教えてくれませんか?」


 その冒険者は僕の方を振り向きもしないで、今更気が付いたように驚きながら口を開いた。


「ん?おお、そういやまだ話して無かったか」

「はい、聞いてません。そもそも僕に魔物討伐が出来るかどうかなんて......」

「そう構えなくても大丈夫だ。大したリクエストじゃねえ。ここから南に六時間程進んだ所に小さな村がいくつか点在してるんだが、数日前、村の近くの森でゴブリンを目撃したという情報が入ってな。それで領主がギルドに討伐依頼してきたパーティーレベル九の簡単な仕事だ。それを俺とお前の臨時パーティーが受けたって訳だ」


 てっきり、うるせえ!黙ってついて来い。なんて返されると思っていたら、その人は意外なことに気さくな口調でちゃんと説明を始めた事に少し驚いた。


「九級ですか......あの、ゴブリンって、どのくらい強いんでしょうか?」


 僕は冒険者になって早々に魔物討伐リクエストを諦めていたから、魔物の事については、余りリンネさんに聞いてなかったけど、魔物の種類によって強さが違うのは何となく理解している。

 ゴブリンって言う魔物が、狼や黒毛熊程度だったら僕にも何とかなるけど、もしあの鎧の魔物がゴブリンだったら僕じゃ無理かもしれない。

 でも、もしそうでもこの人は簡単なお仕事って言ってるから、あの鎧の魔物でも簡単に倒してしまうほど強いか、僕が想像するよりゴブリンが弱いのかどちらかだろう。

 どっちにしても何とかなりそうな気がする。

 まあ、人頼みなのは少し情けないけど仕方がない。


「ん?お前、ゴブリン見た事ねーのか?」

「......はい、すみません」

「おいおいおい、ゴブリンも知らずに冒険者になったのか?」

「僕の生まれた村や育った場所では魔物が出なかったので......」

「ずいぶんと平和な村で育ったもんだな。じゃあ、他の魔物も見た事ねーのか?」

「あ、いえ、少し前に一回だけ......」

「じゃあ心配すんな。多分ゴブリンはソイツより弱い」


 僕はその言葉を聞いて少し安心する。


「で、ソイツは何て奴だ?」

「えっと、名前は分かりません。銀色の鎧を着た姿で長いランスを持っていて」

「銀色の鎧にランス......ソイツはランスから氷の魔響を出したか?」

「魔響?は知らないですけど、銃みたいに氷のような物を発射してました」

「はっ!良く無事に逃げられたもんだ!まあ、安心しろ、ゴブリンはソイツより確実に弱い」

「そうなんですね、ちょっと気が楽になりました」


 僕はゴブリンの強さもそうだけど、この気難しそうな人と二日も一緒に行動できるか心配だった。

 だけど、こうして話してみると案外気さくな人で、本当はそっちの方が僕の気を楽にしてくれた。

 と、同時に大事な事を聞いていなかったのを思い出した。


「遅くなりましたけど、僕、アーベル・クラウドって言います。あなたの名前を教えて貰えませんか?」


 その人は、その時初めて足を止めて僕を振り返った。


「俺か?俺はマルシオ・パリスってんだ。只のくたびれた冒険者だ」



 ♢♢♢



 このボウズがそこそこ動けそうなのは一目見て分かった。

 だからボウズがシルバーのゴーストアーマーから逃げ延びたってのも、全くのデタラメだとは思っちゃいねぇ。


(まあ、実際の所、どのくらい動けるかはこの目で確認しなきゃわかんねーがな)


 冒険者だったら当たり前だが、実力のわかんねー奴に、いきなり本番で命を預けるバカはいない。

 単純に強い弱いじゃない。弱かったら弱いなりにどこまで任せられるか、どうなったらフォローが必要か。強みは何か、弱い部分はどこか。

 それを見極め、もっともリスクの少ない作戦を立てていく。


 そして、一番忘れちゃいけねーのは信頼できる奴かどうか。

 だがそれは、昨日こいつの目を見て分かった。


 町を出て二時間程歩き、小さな森に入った所で俺は足を止める。


「ちょっと休憩だ」


 小さな森の少し開けた場所で、バックパックを降ろして少し水を口に含む。

 ボウズも慎重に辺りを警戒しながらバックパックを降ろした。

 俺はその素早く無駄のない動きに感心しつつ指示を飛ばした。


「おいボウズ!剣も外せ」

「えっ!?剣も......ですか?」


 戸惑いながら剣を腰から外したボウズを横目に、俺は辺りを見廻して手頃なキリバルの木を見つけると、ちょうどいい太さの枝を二本切り落とし、ちょうどいい長さの棒状に揃えてからボウズに投げて渡した。


「その枝、何の枝だか分かるか?」

「キリバルの枝です」


 即答したボウズにまた少し感心する。

 冒険者はいつどんな時に戦いになるか分からん。

 季節、天気、時間、地形、ありとあらゆるものに注意を向け、それが戦いにどう影響するかどうかを常に考えなくちゃダメだ。

 動植物でも昆虫でも鉱石でも、戦いの場で自分達を取り巻く全てを知り、それを味方に付ける努力を怠った奴は長生きできない。

 そんな奴はピンチになった時、キリバルの木を知らずに盾にして、そのまま木ごと吹き飛ばされるのがオチだろう。

 昨日、ギルドでこのボウズをバカにしていた冒険者たちの中で、白鈴草を見て分かる奴がいったい何人いるか。


「ほぅ、どこで覚えた」


 ボウズは、俺がキリバルの枝を渡した意味をすぐに理解したのか、緊張した面持ちで俺に向かってゆっくりと棒を構えた。なかなかいい構えだ。


「森で......僕を育ててくれた人に教えて貰いました」

「森?ハンターか?」


 俺もキリバルの枝を右手だけで構える。


「はい。父も兄も......その人も猟師でした」


 ハンターだったら納得だ。

 この若さであの身のこなしや注意力。動植物や自然にも精通しているだろう。


「そうか。どっからでも来な」


 キリバルの木は成長が早く、軽く簡単に火が付くので焚き付け用の薪として重宝する。が、反面、繊維がスカスカで腐りやすく、非常に脆い。

 だからこの太さの枝でぶっ叩かれても怪我一つすることはまず無い。


「行きます」


 その瞬間、ボウズの気配が変わった。


 速い―――右っ!


 ボウズが一瞬で距離を詰め、俺の右から薙いできた棒を角度を付けて跳ね上げるように逸らす、が。


「ああ、これじゃダメだな」


 ボウズが振るった棒も、俺が受けた棒も、触れた瞬間にポッキリと折れていた。


(思った以上にやるじゃねーか。いい動きだ)


 俺は折れたキリバルの棒を放り投げ、ボウズに次の指示を飛ばす。


「おい、新しい枝で木刀を作れ」


 俺がそう言って様子を見ていると、ボウズは暫く辺りを見廻した後、一本の木に近づき、腰のナイフを抜いて鮮やかな手捌きで二本の枝から木刀を作った。


(ほう、カッタラの木を選んだか。こいつも楽しみたいらしいな)


 カッタラの木は成長が遅く、薪にしても火が付きにくい。

 だが、密度のある硬い繊維の為、腐りにくく、また長時間燃え続ける。

 そして、こいつで殴られると、打ちどころが悪けりゃ命まで持って行かれる程―――硬い。


「いいぜ......」


 ボウズから渡されたカッタラの木刀を構える。

 が、ボウズも流石にさっきみたいには軽々しく踏み込んでこない。


(ククッ!しょうがねーな!)


 俺がほんの一瞬だけ、わざと視線をボウズの後ろに逸らした瞬間、ボウズはさっきと同じように右から薙いできた。


 右!いやっ!下か


 右から薙いできた木刀がスッと下がり、次の瞬間、跳ねるように切り上げて来た。


 つっ―――なかなかっ!だがっ!


 俺は逆手に持ち替えた木刀を、跳ね上がるボウズの木刀の下に滑り込ませ、軌道を逸らしながら押し上げる。

 フォッっという風切り音と共に、俺の顔面を紙一重で通り過ぎたボウズの木刀が、摺り上げた勢いのまま俺の頭上で翻り、真っ向から切り下して―――


 いや、フェイント!本命はこっちか!


 振りかぶったままコマの様に回転した坊主の右回し蹴りを、左肘で押し下げた流れで、そのまま左足を軸に坊主の顔面に右のハイキックを飛ばす。が、坊主の身体がスッと沈み込み、半ば逆さまになった状態のまま、木刀で俺の足を薙ぎに来つつ、頭上から踵を落として来た。


 くっ!あぶねえ、なっ!


 木刀を突き立て、足に来た薙ぎ払いを防ぐと同時に、突き立てた木刀を支えに上体を反らして踵を躱しつつ右足で前蹴りを放つと、ボウズは跳ねるように大きく後ろに飛んで、一旦距離を取ってから再び木刀を構えた。


(まだまだ粗削りな所もあるが、スピードと反射神経は普通じゃねーな。それにフェイントも上手い。何が、ゴブリンは強いんですか?だよ!ったく)


 俺が苦笑いを浮かべると、微かに口端を上げたボウズは、俺が初めから一歩も動いていない事を見て、スピードで俺を翻弄しようと、前後左右からヒットアンドウェイで掛かって来た。


 当たれば死ぬかも知れない状況で、楽しそうで何よりだ。が、ボウズ、お前の苦手な所が分かったぜ!




 ♢♢♢




「参りました。もう降参です」


 息が切れた僕は、木刀を放り投げて地面に腰を下ろした。

 ハンナさんと対人戦の訓練をやった時以来の緊張感から解放された僕は、大きく息を吐いて呼吸を整える。


 それにしても流石に冒険者は強い。僕じゃ全く歯が立たなかった。

 スピードと技の切れはハンナさんの方が上だけど、この人―――マルシオさんの場合、まるで僕が次にどう来るかを先読みしているように防いでくる。

 逆に僕はマルシオさんの攻撃が全く読めず、毎回咄嗟に躱す事で何とか当たらないで済んだ。けど、やっぱり僕の負けだ。

 結局、マルシオさんは始めに立っていた場所から一歩も動かず、今も立っているのだから。


 負けたど、この緊張感が何だか久しぶりで心地よかった。


「おいボウズ。結構やるじゃねーか」


 マルシオさんは僕の所に来て、僕と同じように地面に腰を下ろして僕と同じように大きく息をついた。


「ありがとうございます。でも全然ダメでした」

「いや、なかなかのもんだったぜ......だけどお前の弱点も分かったな」

「僕の弱点、ですか?」

「ああ、後で教えてやる。が、今の模擬戦で俺の大体の力が分かっただろ?」

「はい。僕より全然強い事は分かりました」

「全然って事はねぇ、結構ギリギリだったぜ。だが、俺の力と自分の力を客観的に覚えておけ。無駄に卑下することも誇張することも無しでだ」

「僕の力とマルシオさんの力を客観的に......」

「そうだ。戦うか、引くか、誰が何処をどう攻めるか、助けに入るか、まずは仲間の実力が分かんねーと正しい行動が取れねーからな」


 それを聞いて、あの時ハンナさんと一緒に鎧の魔物と戦ったのが正解だったのか、また考えてしまう。


「......はい。分かりました」

「あと、俺の戦い方を見て、真っ先に気が付いた事があるだろ?」


 真っ先に気が付いたこと。

 そう、二、三度打ち込んでみてまず気が付いたのは、マルシオさんは足を一切使わなかった。左足を軸にしてその場から動こうとしなかった。

 だから早い動きで翻弄する作戦に切り替えたんだ。


「足を使わなかった事、ですか?」


 すると、マルシオさんはニタっと笑い、左足のズボンを捲り上げた。


「えっ?足が......」


 僕が見たマルシオさんの左足は、膝から下が細い金属になっていた。


「普通に歩くことは出来るが、走ったり激しい動きをすると外れちまう。ボウズはこの事を頭に入れておけ」

「......だから杖を持っていたんですね」

「一応、いざって時のためにな。だがこう見えても元......いや今も四級冒険者だ。ゴブリンごときに遅れは取らねーから安心しろ」

「四級!?」

「まあ、歳も取っちまったし、義足になる前とは比べられない程衰えたけどな。それでも七級......いや六級冒険者くらいは使えるぜ。強さはランクじゃねーけどな」


 四級冒険者。

 強さはランクじゃないって言うけど、若いころのマルシオさんの強さを想像すると、四級冒険者はどれ程強いのか。十級の僕じゃ、敵わないのも納得だ。

 僕が驚いていると、重い雲が垂れ込めた空を見上げたマルシオさんは、ゆっくりと腰を上げた。


「雲行きが怪しくなってきたな。そろそろ行くぞ」


 予想以上に天気が崩れるのが早そうだ。

 この分だと数時間以内に雨になるかもしれない。


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