第23話 少女の苦悩
見上げた空には雲一つない青空が広がっていて、降り注ぐ太陽がどこまでも続く草原を明るく照らしている。
そんな陽気とは裏腹に、これから向かう目的地の事を考えると、足を進める度に私の気持ちは沈んでいく。
「なあ、ルーナ。浮かない顔してどうした?」
そんな私を見て、隣を歩くジェラルドは知ってか知らずか、そんな質問をしてきた。いや、知っていてワザとそんな風に言ってきたのだろう。
「うん。ちょっと......あの事、で」
「あの事?何だ?」
この一週間、私たち二人の間で一番の問題だからあの事で分かるはずのに、ジェラルドはまた気が付かない振りをして誤魔化そうとした。
だけど今は周りにパーティーの皆がいる為、はっきり口に出していう事が出来ないし、こんな所で揉めるわけにもいかなかった。
「......本当に分からないの?」
「だから何のことだよ?俺が何かしたのか?」
相変わらずとぼけるジェラルドと、今はこれ以上話しても無駄だ。
私は小さくため息をつくと、わざととぼけたような顔で私を見てくるジェラルドに「ううん、もういい」とだけ小さく答えてまた空を見上げた。
私たち二人の間で問題となっているあの事と言えば、今回のベスバール行きの件以外に何があるというのだろう。
事の始まりは一週間前。
私とジェラルドが所属するパーティー『ゴールドソード』のリーダーであるマレクさんが、パーティーメンバーと専属契約しているサポーター全員を集めて発表した仕事の内容は、ソルダーノ子爵とタルデッリ子爵の間で起こった内戦にソルダーノ子爵側の傭兵として参加するという内容だった。
一応は相談という形だったけれど、実際は強制的に参加することを宣言されたようなもので、最後に形だけの多数決を取った時に反対したのは、私とサポーターのマリーだけだった。
そして彼女は翌日、少なくない違約金を払ってサポーター契約を破棄し、パーティーから去って行った。
あの日から私は、幼馴染であるジェラルドと毎日話し合いを続けて来たけど、このパーティに加入してまだ半年たらずの新参者の私たちの意見ではパーティーの方針は変わらなかったし、パーティーを抜けるにしても今の私たちには払えない脱退金が必要だった。
ジェラルドは実入りの多い今回のベスバール行きについては賛成らしく、マレクさんには裏で私を説得すると言ったらしい。
これから向かう先で自分に何が起こるか、自分が何をしてしまうかを考えると、私の心は恐怖と不安に押し潰されそうになる。
マレクさんは周辺警戒が主な任務だから戦闘になる可能性は少ないし、破格の報酬だから美味しい話だと言っているけど、可能性が低いだけで戦闘にならない保証なんてどこにもない。
もし仮に戦闘になって自分やジェラルドの身に危険が迫った場合、魔物ではない、人に対して私は剣を振るう事が出来るだろうか。
倒さなければ誰かが不幸になる相手だったら私も躊躇わずに剣を振るえるだろうけど、敵だって全員が好きで戦争に参加しているわけではないだろう。
無理やり徴兵に取られた人だって沢山いるはずで、その人たちにも故郷には心配して待っている家族がいるはずだ。
近い将来、私のこの手が人を殺め、私たちの様な孤児を生み出すことになるかも知れない。
私は空を見ていた視線を戻して、自分の右手をじっと見つめた。
♢♢♢
途中で昼食をとった私たちパーティーは再び街道を東に向かって歩き出した。
隣を歩くジェラルドは私の悩みを知っていても、相変わらず普段通りの軽口をしながら呑気そうな振りをしているので、私も彼の話に適当に相槌を打ちながらも、やっぱりこれからの事を考えてしまっていた。
予定では三日後にタランガと言う小さな町に到着するらしい。
その町でもう一度ジェラルドと話をして今回の仕事を抜けるように説得してみよう。
もし、ジェラルドを説得できなかったら?
その時、私はジェラルドを置いて自分一人でパーティーを抜けられるだろうか?
そんなことを自問してすぐに小さく頭を振った。
孤児院で出会った六歳の頃から今日まで、十年間ずっと一緒に生きて来た彼を置いてパーティーを抜けるなんて事は自分には出来ないし、多分タランガの町で説得できなければ、そのままずるずると戦争に参加することになってしまうのは自分でも何処かで分かっていた。
私は隣を歩くジェラルドを横目でちらっと見てから視線を前に戻した。
最近、ジェラルドは少しづつ変わってきている。
冒険者になった頃より身長も伸びて身体も力も大きくなったのとは反対に、このパーティーに加入してからはリーダーのマレクさんを始め、先輩メンバーに媚びを売るような言動が目に付くようになってきた。
何が彼を変えたのかは私には分からない。だけど優しくて頼り甲斐のある、同じ年だけどずっと兄の様に慕っていた彼の面影が少しづつ消えて行くのが怖かった。
「どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
この所毎日考えても何も解決しない考えを、またグルグルと考えていると、最近増えた呟きが自然と口から出てしまった。
「ん?何か言ったか?」
そう聞いてくるジェラルドに「ううん」と答えて頭を振る。
相変わらず気が付かない振りをしてくるジェラルドを説得できるかを考え始めて顔を上げた私の視界の先に小さな人影が映った。
♢♢♢
何処までも続く緑の草原の中を、真っすぐに伸びる街道の向こうから現れた人影が徐々に近づいて来るのを、私は何の気なしに見つめていた。
年は十三、四歳だろうか。私より少し若く見える男の子はこちらに気が付いたのか、狭い道一杯に広がって歩く私たちのパーティーを避ける為に少し戸惑った様子で道の端に避け始めた。
黒い髪に私より頭一つ高い身長。
幼さの残る優しそうな顔の右頬には一筋の大きな傷がある。
そして印象的なのは紫色の左目。
紫の瞳を見たのは初めてだった私は、その宝石のような輝きに目を奪われてしまった。
と、その時だった。先頭を歩いていたディックが全く前を見ずにふざけていた為に、よろけた拍子にその男の子とぶつかってしまい、男の子はバランスを崩して道端に倒れ込んでしまったのだ。
「ごめんなさい。すみませんでした」
男の子は倒れたままディックを見上げ、戸惑った様子で謝罪の言葉を口にし、それを聞いたディックは事もあろうにその男の子を口汚く罵ってそのまま歩き出してしまった。
そのやり取りを見ていた私は猛烈に腹が立ってしまった。
本来ならよそ見をしていたディックが謝るべき所を、謝りもせずに逆に罵倒したのだ。
私はもともとディックが好きではなかった。いや、どちらかというと嫌いだ。
実力はパーティーで一、二を争う程で冒険者ランクは六級。八級になったばかりの私やジェラルドが二人掛かりでも到底ディックには及ばないだろう。
だけど、その力を鼻にかけて常日頃から傲慢な態度をとり、パーティーの揉め事の七割近くはディックが原因だった。
そして、そんなディックの態度が、最近ジェラルドに悪影響を及ぼしている気がするのだ。
「ごめんなさい。大丈夫だった?」
私は未だに倒れたままディックの後ろ姿を目で追っている男の子の前まで行き、ディックの代わりに謝罪をし、起き上がるのを手伝うために手を伸ばした。
だが、男の子が私の伸ばした右手を見て、戸惑っているのを見たとき思ってしまった。
「あっ!」
(これから人を、人殺しをする私の手を誰が取ってくれるのだろうか)
見せてはいけないものを見せてしまったように感じた私は、差し出した右手を思わず引っ込めた。
でも、だけど、私の手はまだ汚れていない。まだ私は汚れてなんかいない。
まるで罪を犯し、判決を受けるような気持ちで、勇気を出して、再び恐る恐る男の子に向かって手を伸ばした。
「あっ!すみません。僕臭かったでしょう?だ、大丈夫ですから。自分で立てます」
そんな私の緊張とは裏腹に、男の子の口から出た言葉は何とも間が抜けたセリフだった。
その言葉を聞いた私は自分がやけに緊張していたのが馬鹿らしくなり、フッと息を吐いてから改めて男の子の姿を見た。
かなりくたびれた長袖の白っぽいシャツは所々ほつれが見え、退色した黒い革製のズボンはよれよれで、たくさん穴が開いていたり、裂けていたりする。
腰には彼の体格にすれば小ぶりの剣を佩いていて、背中に背負った襤褸切れのようなバックパックには、これまた女性用と思われる小ぶりな弓が収まっていた。
戦争で焼け出されて身寄りがなく、身一つで逃げ出してきたのだろうか。
それにしても剣を佩いているのに何故弓を持っているのだろうか?
一瞬同業者―――冒険者かと思ったが、その幼さの残る顔立ちや一人で旅をしている所を見ると冒険者ではなさそうだ。
第一、今時弓を使う冒険者なんて滅多にいないし、いたとしても昔から慣れ親しんだ武器を手放せない年配の冒険者くらいだろう。
だけど、自分でもボロボロの格好をしているのを気にしているのか、私が手を引っ込めた理由が匂いだと思ってしまったらしい。
私はその男の子の勘違いに思わず笑みが零れてしまう。
実際、男の子は臭くなんて無かったし、何ならもう三日も濡れたタオルで体を拭うだけでシャワーを浴びていない私の方が臭いまであるかも知れない。
「フフッ。全然臭くなんてないですよ。さあ」
男の子はその宝石の様な紫の瞳でじっと私の顔を覗き込んだ後、恐る恐る手を伸ばしてきた。
そして、そっと私の指に触れて来たその指は、幼さの残る優し気な顔から想像できない程硬くゴツゴツしていて男っぽく、私は思わずドキッとしてしまった。
「あっ、ありがとう......」
「怪我はない?」
「はい。大丈夫、です」
「あの人がよそ見をしたせいでぶつかってしまったのに、あんな態度をとってしまってごめんなさい」
「いえ、僕もちゃんと避けなかったから......」
怪我がなくって良かった。
ホッとした私が改めてお詫びをすると、非が無い彼がまた恐縮したように頭を下げてしまった。
「あっ、あの―――」
「おーい!何してんだ!早く行くぞ!」
男の子が何か口にしようとした瞬間、立ち止まって遅れていた私に、ジェラルドが声を掛けてくる。
「うん。ごめん」
私は未だに触れている男の子の指の感触と体温をいつの間にか名残惜しいと感じていたのに気が付き、少し恥ずかしく思いながらそっと指を離して、パーティーに戻るべく男の子に背を向けて歩き出した。
その男の子と話している間は、これから自分が迎える未来の事を考えることなく、不思議と子供の頃にジェラルドと過ごしていた楽しかった頃と同じ気持ちを感じる事ができた。
そしてもしかしたら、綺麗な私の手に触れた最後の人が、あの名も知らない、宝石の様な紫の瞳をした男の子になるかも知れない。
ふとそう思った私は数歩歩いた所で立ち止まると、もう一度その男の子に振り返った。
「ホントにごめんね。旅、気を付けてね!」
何故か少し赤くなっている男の子に手を振り、もう二度と会う事もないであろう彼の瞳を目に焼き付けた私は、パーティーに遅れない様に再び彼に背を向けると、これから訪れるであろう、暗雲が立ち込める未来に向けで走り出した。
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