第22話 道中での出来事

 僕はウェントワースの町を目指して歩き続けている。

 毎日、日の出と共に目を覚まし、簡単な朝食を摂ってから出発する。


 生まれてから十五年間、村と風車の森から出たことが無かった僕には、どこまでも続く広い草原や遠くに見える高くそびえる山並みなど、目に見えるもの全てが珍しくて、ただ歩いているだけでも飽きる事がなかった。

 そして、時々休憩をしながら太陽を追いかけ、西に向かってひたすら歩き続け、日が暮れると街道から少し外れた森や林で野宿をする。

 野宿についてはハンナさんとの狩りで散々経験しているため全然問題なかったし、今の所は狼にも野盗にも出会っていなかった。


 そして毎日歩きながら、これからの事や今までの出来事を考えていた。

 僕でも冒険者になれるのだろうか、なれなかった場合にどうしたら旅を続けられるかという事。

 そして家族やエンビ村の事だ。

 村で最後に見た光景は未だに鮮明に思い出す事が出来る。


 折れた剣を構えて炎の壁を前に背を向けて立つ父さん。

 微笑みながら僕らに向かって手を伸ばす母さん。

 必死の形相で僕に向かって手を伸ばす兄さん。


 あの時の事で分からない事はいっぱいある。

 何故父さんが剣を持っていたのか。僕は父さんが剣を持っているなんて知らなかったし、剣を使っている所なんて見た事もなかった。

 僕はなぜ風車の森に倒れていたのだろうか。

 あの日、村に何が起こったのだろうか。

 父さん、母さん、兄さん、村の皆は無事だろうか?

 いや、無事に決まっている。だから僕も無事なことを早く知らせたい。

 風車の森に来てから今日まで毎日考えている事を思うと、歩き続けている足に力が入る。


 あとはハンナさんの事。

 ハンナさんと過ごした森での日々を思い出すと暖かい気持ちになるけど、ハンナさんを守れなかった事を考えてしまうと後悔が押し寄せてくる。

 だからハンナさんと最後にした約束、もう一度風車の森に戻ってくること。

 この約束だけは必ず果たしたい。


 そして感傷的になった気持ちを切り替えるように、また冒険者について考え始める。

 こうして同じ事をずっと繰り返しながら僕は歩き続けていた。


 ♢♢♢


「さて、そろそろ行こうかな」


 春の太陽が僕の真上から照らし続ける中を午前中歩き通し、街道から少し外れた大木の木陰で休憩を取っていた僕は、そんな独り言を呟いてからバックパックを背負うと、再び街道を西に向かって歩き出した。


 タランガの町を出発してから今日で四日目。

 初日は殆ど進んでいない為、やっと半分くらい進んだところだろうか。

 馬車一台が通れる平坦な道は、森の中と比べれば比較にならない程歩きやすいとは言え、常に木陰がある森に比べて日の光を遮るものがない平野を歩き続けていると、春とはいえ、暑くて体力の消耗が激しい。


 汗だくになりながらも照り付ける太陽と格闘しつつひたすら歩いていた時だった。

 遥か前方から人が歩いてくるのが目に入った。

 徐々に距離が近づいてくるにつれ、砂粒の様に小さかった姿が一人ではなく数人のグループであることが分かって来た。


 一、二、三、四......全部で九人のグループらしく、何か楽しそうに話しながら道一杯に広がってこちらに向かってくる。

 この四日間に三回ほど他の旅人とすれ違ったことはあったけど、一応野盗のたぐいではないかと注意しながら徐々に距離を詰めて行った。

 そして徐々に近づくにつれて彼らの姿がはっきり分かるようになる。


 僕の剣よりずっと長い剣を腰に下げている人。

 背中に大きな盾を背負っている人。

 三メートルはある長い槍を抱えている人。

 大きなバックパックを背負っている人。


 最後尾には荷物を一杯積んだ馬車が一台続いていて、荷台の側面には剣を掴んだ鳥の足をモチーフにしたような絵が描かれている。

 見た所十代後半くらいだろうか。皆僕より少し年上の感じのそのグループは男の人だけじゃなく、半数は女の人のようだ。

 これまですれ違った人たちに比べて明らかに武装が物々しく感じるけど、どういったグループなんだろうか。もしかしたらこの人たちが、冒険者という人たちだろうか?

 一応野盗かも知れないと警戒はしつつも、僕は平静を装いながら彼らとの距離を詰めて行った。

 だけど、僕の緊張をよそに彼らは僕のことなんて視界に入らない様に道一杯に広がって、何か大声で談笑しながらドンドン近づいてくるので、このままではぶつかってしまう。

 あと十メートル程ですれ違う距離まで来た時、僕はぶつからない様に立ち止まって道の端に寄って彼らをやり過ごそうとしたが、隣の人に話しかけながら先頭を歩いていた男の人は僕とすれ違う事に全く気付かなかったのか、隣の人と何かふざけた拍子に僕の方によろけて来た。


「あっ!」


 咄嗟に躱しきれず、その男の人とぶつかってしまった僕は、足場の悪い道の端に立っていたこともあり、思わずバランスを崩して転んでしまった。


「あー?何だ?」


 その人はぶつかってから初めて僕に気が付いたらしく、倒れた僕を振り向いて見下ろした。

 こんな経験は初めてで、どうしたら、何を言ったら良いのか分からない。

 取りあえずぶつかってしまった事を謝った方がいいだろうか。


「ごめんなさい。すみませんでした」


 僕が転んだまま謝罪すると、その人はチッっと舌打ちをした後、


「ガキが、気を付けろよ!」


 そう吐き捨てると、再び隣の人と話し始めて歩きだした。


 てっきりむこうも謝ってくると思っていた僕はその言葉にびっくりしたけど、もしかしたら街道を歩くルールの様な物があって、僕がそのルールを破っていたのかも知れない。失敗したと思いながら立ち上がろうとしたその時だった。

 グループの中程にいた一人が倒れている僕に近づいてくると、僕に向けてスッと手を伸ばしてきた。


「ごめんなさい。大丈夫だった?」


 日よけの為か、全身をフードで覆ったその人は僕に向けて謝罪の言葉を口した。

 その人の頭上から照り付ける太陽が逆光となって、フードで隠れた顔は良く見えないけど、僕に向けられた白くて細い指に僕の心臓の鼓動が早くなる。

 十五年生きてきて今まで出会った女性は、母さんと同じ位の年齢の村の女性とハンナさん位だったけど、今僕の前で手を伸ばしている女性は、幼さを残した鈴が鳴る様な声や小柄な身長からして僕と同じ位の年のような気がする。


 初めて間近に接した同年代の女の人に緊張した僕が差し出す手を取れずにいると、彼女は小さくあっ!っと言って、差し出した手を引っ込めた。

 しまった!風車の森を出てもう一週間近く経つけど、風呂はおろか水浴びさえ一回もしていなかった。

 連日の陽気で汗をたくさんかいている僕はとても臭いはずだ。

 恥ずかしくなった僕が急いで立ち上がろうとすると、驚いたことに彼女は再び、恐る恐る手を差し出してきた。


「あっ!すみません。僕臭かったでしょう?だ、大丈夫ですから。自分で立てます」


 初めて口にした言葉が自分の臭いに対する言葉だなんて恥ずかしくて死にそうだったけど、彼女はその細い手を引っ込めずにいる。


「フフッ。全然臭くなんてないですよ。さあ」


 少し楽しそうな声でそう言ってくれた彼女を前に、僕は少し躊躇った後、恐る恐る彼女の手を取った。

 握るというより、軽く指を絡ませる程度で彼女の白く細い指に触れた瞬間、何故かまた心臓の鼓動が早くなって、顔に熱を帯びて行くのが分かる。

 彼女に触れている手に力を入れず立ち上がった僕の意識は自分の指に集中していた。


「あっ、ありがとう......」

「怪我はない?」

「はい。大丈夫、です」

「あの人がよそ見をしたせいでぶつかってしまったのに、あんな態度をとってしまってごめんなさい」

「いえ、僕もちゃんと避けなかったから......」


 僕より頭一つ小さい彼女の顔は、フードに隠れて俯いて見えないけど、フードから零れたミルクティー色の髪が日の光を浴びてキラキラと輝いている。


「あっ、あの―――」

「おーい!」


 意味もなく何か話したくてもう一度お礼をしようとしたその時、そのグループの一人の男の人がこっちを振り向いて声を掛けて来た。


「何してんだ!早く行くぞ!」

「うん。ごめん」


 彼女はそう言って、グループの、その男の人に向かって歩き出し、その瞬間までずっと触れていた事に気が付かなかった僕の指が彼女の指から離れた。

 そして僕に背を向けて数歩歩いた所で彼女はもう一度僕を振り返った。


「ホントにごめんね。旅、気を付けてね!」


 そう言い残し、僕に小さく手を振ってから小走りに戻っていく彼女に何も言えず、僕は声を掛けて来た男の隣に並んで小さくなっていく彼女の背から視線を逸らして、初めて感じた言いようのない気持ちに戸惑いながら、ウェントワースの町を目指して再び歩き出した。



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