地図が消える

阿部 梅吉

地図が消える

 地図が消えることになった。

 当然だが、明日俺の一部はいなくなる。ここでは地図が消えると、そこにいた人々は消えてしまう。だから俺の一部は消えてしまうのだ。跡形もなく。なんの変哲もなく。

 無くなったものは思い出されもしない。そこに何かがあったことすら、忘れられてしまうのだ。きれいさっぱり。

 なぜそんなことが起きるのか? わからない。わからないことだらけだ。わからないものが俺たちを包む。わからない中で日々もがいている。

 不思議だ。


 毎月1日になると、ある土地の一角が消える。その土地はくじで決まる。県長が毎月、土地の番号書いた紙の入った箱に手を突っ込む。彼は紙きれを開封し、声高に厳かに言う。

「 Dの南13」

と。

 こんな風にしてこの世からDの南13は無くなる。Dの南14が13になり、Dの南15が14になる。あとは、フレームシフトだ。それだけ。

 代わりに、俺の知らない間にこの世の何処かに、ある土地の一角が増えている。俺たちの知らない遠い町で、誰もいない土地ができる。そこには猫一匹いない。アリすらそこにはいないかもしれない。

 なぜこんなことが起きるのか--わからない。わからないけれど、俺たちの土地は増えている。世界は膨張しているらしい。よくわからない。わからないけれど、俺たちの土地はとても増えているらしい。

 だから、土地を人為的に消すのだ。そうしないと、世界は増え続けるから。土地が増え続けてしまうから……。

 いつかこういう日が来るとは思っていた。僕は25年間生きて来て、初めて思い出のある土地が消えることを体験する。25年だ。ある人は短いと感じるかもしれないし、ある人は長いと感じるかもしれない。俺自身、この25年をどう思っているのだろう?長かったような気もするし、短かったような気もする。振り返れば、いつもそれは短い。先を見上げれば、いつもそれは長い。

 不思議だ。


 とはいえ、その土地は誰の土地でも無い。いわば空き地である。政府は表向きくじ引きで、今月消す土地を決めているが、実際は人のいないところを優先的に消しているのだろう。しかしこれは善意ではない。政府だって立退きを勧告したり、そのために住民にお金を支払うのは嫌なのだ。デメリットの少ない選択をしているだけだ。


 このようにして土地が消える。この世界から、ある場所が、ある一角が消える。これが決まりだから。

 俺たちはそれを受け入れるしか無いし、どうせ悲しくなることも無い。


「土地がなくなって、何か悲しいことはあるの?」


 大人達はみんなそういうし、この話を先生から聞いた時も先生はそう言っていた。なぜか皆、判を押したように同じことを言う。どうせ全て忘れるんだから、と。子供の頃、なぜ大人たちはそんなにも簡単に割り切れるのだろうと疑問だったが、次第にそんな気持ちも薄れていった。考えても仕方の無いことだから、俺も考えるのをやめた。生まれた時からそうだったし、たぶん僕が死ぬまでずっとそうだろう。少なくとも俺が生きている間にはこのシステムは変わらないだろう。


 しかし改めて考えると、土地が消えるとは不思議なことだ。

 あの空き地で俺は何をしていたっけ? ……思い出せない。毎日あそこを通っていた。通学路だったから。でも、それ以外に取り立てて何か思い出があるわけでは無い。

 思い出?

 思い出の無い土地は、消えても別に良いのだろうか。どこか土地を消さなくてはならないとしたら、人々の思い出にあまりならない土地を僕なら選ぶだろうな。 例えは、誰かの家。そこには、人々があり、生活があり、思い出がある。

 一方あの空き地は……。


 俺は仕事の帰りのバスの中で、中学の時の友達にメールを送っていた。送ろうと思ったわけじゃない。あの土地が消えることを知ってから、ずっとそのことを考えていたら自然と送っていたのだ。

 その友達は俺のかつての剣道部仲間だった。山尾って奴だ。当時の俺らはまあまあ強かった。部全体としては県の大会に行けるか行けないかのレベルだったが、俺とそいつだけは全国に行った。俺が県で1番。山尾が2番。あの頃、俺は剣道一筋で、あいつあの頃から法学部に行きたいとか言ってたっけ。当時、肝心の俺は何になりたかったんだろう。


 山尾からメールが返って来た。

「そうなんだ。何で知ったん? てえか中学の奴らと会ってる?」

「会ってないけどパーソナルブック(本名で行うSNSの一種だ)で近況見てる」

「みんなどうなったんやろ?てえか同窓会しねえ?良ー機会だし」

 同窓会? よく考えれば、俺は同窓会というものをしたことがない。なんだかんだで忙しくて成人式にも顔を出さなかったから、もう10年もみんなに会ってないことになる。

「良いけど、連絡先知らんし。お前は?」

「パーソナルブックで呼びかけてよ。俺も知ってる奴に話しかけるし」

こういう時のあいつの行動は早い。

「一応やってみる」

 俺はとりあえず携帯の画面を操作し、馴染みの土地が消えること、同窓会を企画していることの旨を書いた。


 二日後にはもう、「いいね」が20件押されていた。そのうち、中学の時の友達は5人だった。みんな元剣道部。行くとコメントしてくれた人は4人だけ。とりあえず行くと言ってくれた人には個人メールを送り、他の知り合いにも教えてあげるように頼んだ。俺は希望の日にちを何日か割り出し、その日程と時間、場所の希望をとった。

 結局、当日は俺含めて6人が集まった。正直まあまあ集まった方だと思う。久々に再会した俺らはまず仲間の変化に驚き、笑い、近況を報告した。転職してるやつもいたし、もう子供がいるやつもいた。中には婚約者がいるのに会社の受付に恋してるやつもいた。色々だ。色々ある。俺らはその日だけ、中学生だった。


 あれから更に6年が過ぎた。あれ以来、俺たちは再会していない。あそこにいたうちの何人かとは何回かサシで会った。でもそれだけだ。サシじゃないと都合が合わないのだ。皆それぞれが、自分のフィールドで生きているのだ。そこで交わり会える時間はごくわずかに等しい。山尾にももう3年ほど会っていない。

 パーソナルブックはサービスを停止した。いっときは持て囃されたサービスだったが、今では名前を変え、若者向けではなく中高向けのサービスを提供している。

 時代は変わる。



 そうそう、俺には今、本当に自分でも信じられないことだが、奥さんと娘がいる。俺は彼女のことが好きだし、今のところは彼女も僕のことが好きだと思う。娘もまだ2歳だから、僕のことが嫌いではない。言葉をどんどん覚えてきて、今は一番可愛い盛りだろう。俺は俺で、自分のフィールドでそれなりに頑張っているのだ。


 中学の時、国語の授業で先生からこんな話を聞いた。

「『一生懸命』って言葉はね、今はこれが広く使われるようになったけど、本来は


一「所」懸命


って書くのよ。昔は、今もだけど、領土がお金かそれ以上に重要な財産だったのよ。それを必死で皆守って、戦って、勝ち取ってたのね」


先生は優しい表情で言っていた。何故かその言葉が、今も時々頭の中をリフレインする。


 ある土曜の朝、洗濯物を畳んでる妻が何気なく言った。

「そこのガソリンスタンド、なくなるらしいわ。ちょっと不便になるわ」

「そうか」

と俺は言った。

「車を洗ってくるよ。今日は買い物だろ?」

「助かる。じゃあ任せちゃおっかな」と彼女は上機嫌で言った。


 この街の地図は変わる。変わったことについて、人々はさほど気に留めない。変わる前の事を思い出せないから、考えることもできない。

今、俺には変えたくないものがある。俺はここにいるんだ。

 俺はガソリンスタンドに向けて車を走らせた。街が通り過ぎる。いくつもの風景が俺の前を通り過ぎる。あらゆるものは通り過ぎ、やがて失われる。たとえそうだとしても、俺は今、存在している。

 ガソリンを入れながら、俺は妻の顔をぼんやりと思いだした。今日見た笑顔は、いつまでも続くのだろうか。いや、と俺は思う。ガソリンが満タンになる。続かせるのだ。

 俺は俺の愛する場所へと、車を走らせた。


(了)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

地図が消える 阿部 梅吉 @abeumekichi

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ