人魚の死骸

ゆゆち

人魚の死骸

 いくら校則が自由だからって、入学初日から真っ青な髪の女の子はそうそういない。そんな理由でミナちゃんは目立っていた。

 髪の毛だけじゃなくて、刺々しくあいたたくさんのピアスだとか、ヴィランのように真っ赤な口紅だとか、目が合うとどきりとしてしまう紫色のカラコンだとか、ミナちゃんが背負うと大きく見えるMCMのリュックだとか、ミナちゃんを構成するパーツの一つひとつがうちの学校では浮いていた。

 ミナちゃんは友達が少ないみたいで、いつもうつむいてスマホをいじっている。スマホカバーはよくわからないけど、「推し」のキャラクターらしい。ミナちゃんと同じ青色の髪(ミナちゃんはこのために髪の毛を染めたと話していた)、悪い人魚で、主人公のプリンセスを海に攫おうとするそうだ。やがてお姫様を助けに来た王子と対峙するも、お姫様が病で倒れた折に、自らの血肉を差し出して死んでしまうという。

「血肉?」

「人魚の肉を食べると不老不死になれるんだって」

「その人魚、損な役回りだね」

「アハ。そうだね」

 わたしにその「推し」の良さは分からなくてもいいらしい。ミナちゃんは、同じキャラクターを好きな女の子が嫌いだそうだ。

 ラインストーンや3Dアートが乗ったごてごての爪は、スマホをいじるときに邪魔じゃないのかな。フリック入力がやけに早いミナちゃん。スマホの壁紙の変え方も分からないわたしとは大違いだ。

 真逆のわたしがミナちゃんと仲良くなれたことは、人生最大の幸運と言っていいと思う。

 ミナちゃんと仲良くなったのは、高校一年生の夏だった。生まれたときからずっと女の子が好きなわたしは、ふと、かわいい女の子がたくさん並んでるのを見てみたいな、と思った。かわいい女の子がたくさんいるところ、といえばパッとキャバクラやガールズバーが思い浮かんだけど、高校生じゃお店に行けない。調べると、少し離れた駅にはメイド喫茶があって、老若男女を問わずメイドさんにお給仕してもらえると書いてあった。

 本物のメイドさんは見たことがないけど、かわいい女の子がメイド服を着ていたら、きっととってもかわいいに違いない。思い立ったが吉日、すぐに電車に飛び乗って、メイド喫茶「しゅがーどりーみん」の扉を叩いた。

「おかえりなさいませ〜」

 出迎えてくれた女の子は、思っていたメイドさんとは少し違った。楚々とした大人しい女性を思い浮かべていたわたしは、メイドさんのまばゆい金髪と、短いスカートから覗く病的に細い足に面食らった。

「はじめてのご帰宅ですか〜?」

「はい……」

「じゃっ、システム説明させてもらいますねえ。あ、うちのことはみるぴちゃんって呼んでもらってー」

 みるぴちゃんは慣れた口ぶりですらすらとお店のことを教えてくれた。500円だから高くはないけど、テーブルチャージがかかるのは普通の喫茶店ではないことだ。

店内を見回すと男の人ばかりだった。それもおじさん。

 わたしはおじさんが嫌いだ。気持ち悪いし、変な匂いがする気がする。髪の毛が脂ぎってるのも汚いし髭が生えているのもいやだ。

 女の子を見に来たのに、お客さんのおじさんばかり見回すのも目に優しくない。メイドさんは5人いて、それぞれ笑顔でおじさんとお話している。みんなギャルとサブカルのあいのこみたいな不思議な雰囲気だ。

 女の子はかわいい。女の子がまばたきをするとアイシャドウがちらりと光ってお星様が空を飛ぶみたい。女の子の子のくちびるが紡ぐことばは何でも物語のようにロマンチック。

 ふと視線が合った。

「あ」

 いつも孤立して、誰とも喋ってるところを見たことがないクラスメイト。深い青色の髪はくるくるに巻いて耳にかけている。彼女は特徴的な八重歯を覗かせておじさんに笑いかけていたけれど、わたしと目が合うと鬼の形相でこちらに向かってきた。

「あんた、冷やかしに来たの?」

「ううん。かわいい女の子が見たくて来たの」

「あたしがここで働いてるって、言いふらすの?」

「言いふらさないよ」

「なんで?」

 なんでって、なんで?

 憎悪の眼差しが肌を刺す。わたしはよく知らないクラスメイトの機嫌を損ねてしまったらしい。

「言いふらしたら、このバイト辞めちゃうでしょ。メイドさんの中で一番かわいいよ。言いふらさないから辞めないでほしい」

 真っ白な肌が花のようにぱっと赤く色づくのを見て、それもまたかわいらしいと思った。

「キモっ。よくそんなこと言えるね」

「ええっ、ごめん」

「謝んないで。……お嬢様、おかえりなさいませ。新人メイドのミナです」

「ミナちゃん」

「それでよし」

 ミナちゃんは教室にいる時よりも、お店にいるときのほうが輝いて見えた。退屈そうに板書を眺める姿よりも、気持ち悪いおじさんに優しく、甘く話しかける姿の方が蠱惑的だった。

 ミナちゃんとの初めての会話から一夜明けて、学校でもわたしにだけ話しかけて来てくれるようになった。内容は本当にとりとめのないことばかりで、バイトの話が多かった。

 欠けちゃったジェルネイルを悲しげに見つめる視線が子犬みたい。ミナちゃんの隣に並んでお話をしていると新しく気づくことがたくさんだ。

「あたし5ちゃんねるに悪口書かれてるんだ」

「5ちゃんねる?」

「なんか、名前を隠して書き込みできる掲示板……みたいな。客に貢がせてるとか、客とホテルに行ったとか」

「そんなの、書いてる人が勝手に思い込んでるだけじゃないの?」

「そう。貢がせてるんじゃなくて勝手にくれるだけだし、客とホテルなんか想像するだけで鳥肌立つ」

「しゅがーどりーみん」にいたお客さんの顔を思い出そうとしてみる。けれど、どれも似たような男の人だったな、としか覚えてなくて、そのおぼろげな輪郭だけがふよふよと脳裏に浮かんだ。

 その誰かがミナちゃんを悲しませているのが、わたしにはどうにも許しがたかった。ミナちゃんの感情を、客のおじさんなんかが揺さぶるのが面白くない。

「あんまり気にしちゃだめだよ。酷かったらお店の人に相談しよう」

「でも、あたしのことを嫌いな他のメイドが書いてるかもしんないじゃん」

「ミナちゃんのことを嫌いな人が店にいるの?」

「わかんない!わかんないから困ってんの……」

 ミナちゃんの瞳からぽろり、と雫がこぼれた。マスカラが混じってちょっと黒いし、ひろく言われる綺麗とはきっと対極のはずなのに、わたしにはなぜだか真珠のようにきらめいて思えた。あれを呑み込めたらどんなにいいだろう。

 泣いている女の子をなぐさめる術をわたしは知らない。わたしがもっと男前だったら、優しく抱いて泣き止ませることもできたかもしれないけど、わたしは陰気な女子高校生でしかなくて、ミナちゃんの王子様にはなれそうもない。

 抱きしめる代わりに手を繋ぐと、ミナちゃんの手は熱かった。怒ったり泣いたりすると熱くなるんだろうか。ふと、彼氏と手とか繋いだりするのかな、とよこしまな疑問が頭をよぎって、ミナちゃんの啜り泣く声ですぐにかき消された。

「……泣かないで」

「うるさい」

 化粧は崩れてカラコンもずれて、それでもわたしを睨むミナちゃんはとびきりかわいくて、時が止まりますようにと、普段はあまり信じない神様に、心の中でお願いをした。


 ミナちゃんとの別れは突然だった。

 ミナちゃんは「しゅがーどりーみん」のお客さんに刺されて死んでしまった。客のおじさんはミナちゃんに恋をして、フラれたから無理心中を図ろうとしたらしい。出刃包丁を持ち込んで店に乱入し、まっすぐにミナちゃんの腹を刺した。腹だけでは飽き足らず、首も胸も、あの綺麗な顔にも包丁を向けたという。動かなくなるのを見届けたら、今度は自分が死のうとそのまま己の腹を刺した。二人とも救急車で運ばれたけれど、ミナちゃんだけが失血死しておじさんは一命を取り留めた。

 女子高生が殺されたことがセンセーショナルなのか、ニュースには何度も「皆川ゆうり」の名前が流れた。ミナちゃんがやっていたSNSのコメント欄は野次馬の群れで埋まり、そこには偽善者の優しさと、知らない大人の口汚いことばがたくさん並んでいた。

 急遽開かれた全校集会では、しばしの黙祷のあとに、校長が何度も汗を拭いながら、

「アルバイトはよく選ぶように」

と、しきりに口にした。

 ミナちゃんがたった一人の肉親だと言っていた父親は、葬式をしないことに決めたみたいだった。クラスメイトと元々交流のなかったミナちゃんの死は、誰にも響いていなかった。「しゅがーどりーみん」は二週間だけ休んだ後、何事もなかったかのように営業を再開した。

 わたしはミナちゃんが言っていた5ちゃんねるを見に行った。Google検索で上から五番目にあった掲示板では、ミナちゃんが刺されて以来、ぴたりと悪口が止まっていた。書いていたのは、ミナちゃんを刺したおじさんだったのかもしれない。自分と好きなものが同じ人を許せなかったのだろうか。わたしにはわからないけど、ミナちゃんなら分かる?聞こうにもミナちゃんはわたしの隣にはいてくれない。

「あーあ」

 オレンジ色は嫌いだ。わたしは青色が好きだ。わたしの地味くさい黒髪は夕陽に照らされても全然かわいくない。何度もブリーチしてようやく入れたというミナちゃんの髪色が好きだ。夕焼けと夜の間に沈もうとする教室は嫌いだ。ミナちゃんの推しが泡になって消えた海が好きだ。

「お姫様ならよかったけどさ、オタクなんか、オタクなんか救っても意味ないよ。ミナちゃん」

 ミナちゃんの血肉は食われてはないだろう。燃やされて灰になって、その煙は空のどこかをふらふらしている。死体でも盗んで食べたらわたしだけ長生きできたりしたのかなと、ありもしない未来を考えた。

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