第44話 ああ、あなたに会いたくて3
「……それで、容態は」
一気に熱が弾け、体に震えが走った。そう、少佐がここへきたのはそれを伝えるためだ。初めて聞くあれこれが衝撃的すぎて我を忘れかけていたけれど、本題はそれだった。
「詳しいことはまだ掴めていないが、緊急搬送された。今は集中治療室にいる。かなり危険な状態のようだ。……最悪の事態もありう、リック?」
ボスの顔から完全に表情が抜け落ちていた。さすがの少佐も心配になったのだろう、腰を浮かしかけた。けれどボスはそれに手を振ると、うっすらと微笑みながら言ったのだ。
「ロブ、ありがとう。色々と助かったよ。お前の力がなかったら俺は何も知らずじまいだった。恩にきるよ。フェルがもう帰ってこないことはわかってたさ。諦めはついていた。いつかはこういう日が来るとも思っていた。遅かれ早かれな」
「待て、まだ決着はついてないぞ! お前何言っ」
「ははは、ロブらしくないな。どうした、そんなにムキになって」
「リック!」
少佐が鋭く叫んだけれど、ボスは切なげに笑うばかりだ。中尉の命は風前の灯。はるか遠い他銀河の中にあってどんなに手を伸ばしても届かない。もう、なすすべはないのだ。
冬の日の太陽が、白い輝きを総督室の中に投げかけていた。美しく整えられた室内、微かな香りは飾られた花からだろうか。平和で穏やかでいつもと変わらない時間。
けれど私たちは、重くのしかかるような沈黙の中にいた。目の前で今にも崩れ落ちそうな人を守るための言葉を見つけることは叶わなかった。ただただ、はるか遠い空の向こうに想いを馳せたまま、あまりに残酷な展開に必死で耐えるしかなかった。
しばらくして私と少佐は総督室を出た。
「シャーロット、リックを頼むよ。あいつ、あんな風に気丈に振る舞っているけど、あれはパフォーマンスだからな。まあ、お前にはわかりすぎるくらいわかっていると思うが……。昔からそうなんだよ、物分かりが良すぎるんだ。いつもは強引なくせして、肝心な時にあっけなく引くんだよ。本当は辛いくせにな。フェルみたいに暴れて叫んで、自分の気持ちを言ってくれればこっちだって!」
「少佐。わかります。でも、ボスが同じようにしていたら、中尉はボスを頼れませんでしたよ。だからあれでいいんです。ああいうボスだから……。しばらくは一人にしてあげましょう。あとでもう一度見に行きます」
「ああ。何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「はい、ありがとうございます」
午後の仕事をこなし、夕暮れ迫る中、私は再び総督室を訪れた。大きな窓からはスロランスフォードが一望できる。ホリデーシーズンの喜びを感じさせるイルミネーション、珍しい冬花たちで賑わう花畑。街も森も一新されて心浮き立つようだ。その光景を見つめたまま、ボスは一人デスクに座っていた。
私は静かにお湯を沸かし、ボスの好きなお茶を入れた。エキゾチックな香りが部屋に広がる。そこに、持参したシェリルベルの蜂蜜を一さじ足す。きっとあれから何も口にしてはいないだろう。
「ああ……ティナ、すまんな」
ことりとカップをおけば、疲れた表情のボスが私を見上げた。こんな弱々しいボスを見るのは初めてだ。いつかこういう日が来るとわかっていたなんて言ったけれど、まさかそれが今やってくるなんて思いもしなかったはずだ。もしかしたらこの先のどこかで、もう一度会うことができて、誤解が解けるかもしれないと、ボスだって考えなかったわけではないと思う。
「ティナ、俺は夢見てたよ」
「夢……?」
「ああ、フェルがこのスロランスフォードにやってきて、さすがにリックが作った街はすごいと言ってくれる夢さ。だけど本当に夢だったんだな。まさか歩くこともできなかったなんて……。そんなこと……、そんなことちっとも知らなかったよ。半身不随……、どんなひどい怪我だったんだよ。辛かっただろうな、痛かったよな。そんな時にそばにいてやれなくて、俺は……。いや、全部俺のせいか……そうだな、あいつにしてみれば、顔も見たくないか……」
「ボス! それは違います。中尉はボスのことを忘れたことなんてないと思います。だからこの世界に帰って来たんじゃないですか! そんな大怪我をしながらも、ボスのところに帰りたいって願い続けたからこそ!」
「憎くて憎くて、殺したくなったからな」
「ええ、そうですね。でも、愛が深くなければ憎しみだってそこそこです。殺したいほど憎いなんて最上の褒め言葉なのでは? そんな相手そうそういませんから。自分だけのボスでいて欲しいという思いが、それを引き出したんですよ。それだけ、ボスを想ってるんです……」
ボスの顔がくしゃりと歪んだ。頼りなげな少年みたいで、きっとこんなボスを知っているのは中尉だけなんだろうと思ったら、不覚にも熱いものがこみ上げてきた。ぐっと耐えて顎を上げ、私はボスに微笑みかけた。
ボスが中尉のことを忘れたことがなかったように、きっと中尉も一日だってボスのことを忘れたことはない。それは紛れない真実なんだと確信していた。
「……ティナ、一つ頼まれてくれないか?」
「ええ、私にできることでしたらなんでも」
ボスは引き出しから小さな箱を取り出した。ラボのマークが貼られている。未開封だ。
「種だ」
マローネ3かと思って、とっさに身構える私にボスが笑った。
「マローネはマローネだが、3じゃない。これは2だ」
ボスの予想通りマローネ2は完成していたのだ!私の胸はもう張り裂けんばかりだった。中尉は、内戦が終わったらそれを形にして、ボスと一緒に育てようと思っていたのかもしれない。そして花が咲いたら歌うのだ。あの天使の歌声で。大聖堂に響くかのように花たちと……ボスに聴かせるための歌を。そんな美しい日々が終戦後の夢だったはず。それなのに……。
「ティナ、これを育ててくれないか? 白い花が咲くそうだ」
「……はい。で、どんな花なんです?」
「さあ、そこまではわからん。ただ、ずいぶんと小さい花のようだ。まあ、本物のマローネも小さいものだから、できるだけ似たようなものにしたかったのかもしれないな」
私はボスから種の入った箱を受け取った。そっと開けてみれば、小さな茶色の薄っぺらな楕円形。五十粒ほどが薄紙に包まれている。私はそれをじっと見つめた。私にできることは、院長先生や少佐が言うように、そばにいて笑ってあげることだ。そんなことしかできない自分がどうしようもなく歯痒かったけれど、種を渡されて心が決まった。
この種を無事花開す。中尉が本当に作りたかった、本物のマローネ。種という形にはなったけれど、育つかどうかの保証はない。だけど育ててみせる、チーフ補佐として得た全てを使って。中尉の夢を絶対に叶えるのだと、自分に喝を入れた。ボスのために、中尉のために……。
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