第10話 それは必殺技なのだろうか2

「それで、そういう時にはやっぱり気のおけないやり取りですよね。そう、まずは名前で呼びあいましょう!」

「な、名前?」


 多少声が裏返ったのは大目に見て欲しい。グイグイと、全く予想もできない方向への展開。任務中の駆け引きだって、短時間でここまで攻めこまれたことはないのでは……。


「この際もっと交友を深めましょう、愛称なんかいいのでは? いただいた名刺にはお名前一つでしたが、洗礼名は出さない主義ですか?」


 カスターグナーには様々な宗教が存在するけれど、多くが洗礼式や洗礼名を持つものだ。よってそれらを特別なものと考える人は多い。しかし最近ではそれを逆手にとって、内へと向かいがちなものをオープンにすることで、親密度を高めようという風潮が広がっていた。洗礼名を名前の後ろに続け、愛称として公に表記することで秘密のなさを示すというわけだ。

 確かに一理ある。けれどちょっと行き過ぎた感が否めないのも事実だ。現に私を始め、洗礼名は限られた人にしか明かさない派も多い。ところが不思議なことに、その頑なさもまた納得され、それを教えてもらえるほどに仲良くなりたい、と違った意味でもてはやされるようになってしまった。


「特に伏せたいというわけではないんですが、身内だけの呼び名である方が私にはしっくりくるので……」

「うん、わかります。大切なものですからね。うちの母もそうでした。じゃあ、ご家族のみなさんには呼ばれてるんですね」

「ええ、まあ……」

「そうかそうか、あっ、何人兄弟ですか?」

「え? あ、兄が、上に兄が二人……」

 

 きっと可愛がられてるんでしょうねとか、自慢の妹なんでしょうねとか、一人笑顔で頷くウィルフレッドを前に嫌な汗がさらに流れた。

 まさかこれほどまでに踏み込まれるとは。アイスプリンセスだと敬遠されがちな私には、こういったプライベートな質問はほとんど飛んでこない。ところがウィルフレッドには全く影響しなかったようだ。

 新しい経歴はきっちりと叩き込んであるからそう簡単にボロが出ることはない。けれどなんだろう。ウィルフレッドのこの笑顔の前では、なんだかありとあらゆることを口走ってしまいそうだ。嘘をついてごめんなさいと白状してしまいたくなる。

 私は必死で自分をなだめた。兄弟のことはあれだが愛称のことはあながち嘘ではない。私のことをティナと呼ぶのはボスのみだけれど、ボスは育ての親だから全くのでたらめではないのだ。

 ああ、酔いも覚めんばかりの突撃。笑顔がひきつりそうな私は、この話題の終了を今か今かと待っていた。しかしウィルフレッドはさらに豪快な前進を果たしたのだ。


「では僕はロティで。それならいいですよね。もちろんプライベートのみです。仕事の時にはきっちりオーウェンチーフ補佐と呼びますから。僕、オンオフは結構しっかり区別する派ですから安心してください。じゃあ、ロティ。僕のことはウィルと。はい、さあ、呼んでみて」

「……ウィル?」


 よくできましたと言わんばかりにウィルは笑った。

 ああ、眩しすぎる。もはや私は職務を放置しかけていた。自分を保つに必死だった。その笑顔が神々しかったからではない。いや、神々しい、けれどそれ以上に威力を発するものがあった。

 それはその呼び方だ。ロティだなんて……、今まで一度も呼ばれたことがない。初めてだったのだ。それも、推しの「おやすみ」よりも尊い声で。

 

 今回もまた押し切られたとか、もうどうでもよくなった。名前を呼ばれて意識が遠くなりかけるなど、誰が想像できただろうか。生まれて初めての経験が次々と押し寄せてきて、ちょっとしたパニックだ。

 私はまたしても過酷な意識トレーニングを思い出すこととなった。心の中で深呼吸を繰り返しクールダウンを試みる。

 名前を呼ばれたくらいどうした。仕事に支障をきたすわけではない。それよりもこの押しの強さ、下手に反抗してことをこじらせるとそれこそ厄介だ。言うではないか、触らぬ神に祟りなし。寝た子を起こすな。

 任務のために着任したわけで、いらぬところで駆け引きするつもりも体力を使うつもりも毛頭ない。この案件、サクッと請け負ってそつなく流すに限る。私はそう結論を出し、強引に自分を納得させた。


 それにしても……うちのボスはサイキック能力さえもあったのかと心の隅で舌を巻く。あの時ボスは、休日まで任務を入れる必要はないと言ったのだ。それに対して、長期戦になるからかもしれないからだろうと私は判断したけれど、まさかまさかこんな伏兵が潜んでいたとは。いや、害はないから伏兵ではないけれど、見事に足元をさらわれたのは本当だ。

 これは……チーフ補佐オーウェンとしての定着を願うボスの気合がなせる技なのか、はたまた大いなる運命をちらつかせる神の采配か。

 とにかく、予期しなかった愛称呼びと週末ごとの逢瀬は致し方ない犠牲だと諦めて、しばらくはこの天才建築家のサポートに当たることを決めた。彼が良いものを作ってくれればボスの株も上がるし、私としても仕事がしやすくなるはず……だ。


「ロティ、週末が楽しみですね。小川の水も、やっぱり湖と同じくらい澄んでいるのかな?」


 さすがにそれは知らない……、だけど嘘をついても仕方がないので、私はいつもよりも少し深めの微笑みを作って「だといいですね」と言っておいた。

 こうなったらトレッキングコースをとことん堪能しようではないか。好感度ナンバーワンと過ごすマイナスイオンたっぷりの時間なんてお肌に効きそうだ。きっと自分のためにもなるだろう。

 ようやくクールダウンに成功し、自分を取り戻しつつある私はウィルのプライベート充実のために頑張ろうと真摯な瞳を彼に向けた。ウィルはそんな私を見るとほんのりと微笑んだ。そして、ちょっとかすれたその最強ボイスで囁いたのだ。


「じゃあ、澄んだ輝きを二人で見つけに行きましょう」

「……」


 なんという殺し文句。私はポーカーフェイスの下で完全に凍りついた。いや、溶けきった。即効性の毒としか思えない美声攻撃を受け、再びパニックに見舞われる私をよそに、ウィルは流れるような仕草で綺麗なロゼを追加注文する。そして私たちは、その夜何回目になるかわからない乾杯をしたのだった。


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