第31話 六月一週(⑧)
「はぁ? 放課後松本さんと南さんと勉強するだと?」
昼休み、駄菓子屋の飲食スペースで昼食を取りながら、住田に今日のことを話す。
南が松本さんに声を掛け、放課後の勉強に誘った。
松本さんは顎の下に手を当てて考える素振りを見せた後、「いいわよ」と答えた。
「あぁ。別に遊ぶ訳じゃないけど」
「クラスでもツートップじゃねぇか、ふざけやがって」
「いや、だから住田も来いよ」
「アルバイトだよ、アルバイト! やっすいラーメンを客に運ぶんだよ!」
住田はよほど悔しかったらしく、「クソッ、クソ」と言いながら自分の太ももを殴りつけていた。
顔と成績は良いが、頭はおかしいようだ。
気の毒な住田を放置し、俺と日置は話を続ける。
「あの感じだと、松本さんが日置に教えてくれるのかな?」
「だろうな。松本が本当に女教師になっちまった」
日置は以前松本さんのことを『女教師』呼ばわりしていたが、まさか自分が生徒役を務めることになるとは、考えてもいなかっただろう。
「まぁでも、日置と松本さんはそれなりに絡んでるからいいだろ?」
「普通だよ」
「ゲームセンターでも盛り上がってたし」
「普通」
日置と俺の『普通』の認識には、大きな齟齬があるようだ。
ちなみに俺は松本さんとほぼ話したことがない。
他のクラスメートとも話さないので、それが俺の『普通』だ。
寂しいやつなんだな、俺って……。
「そう言えば、茂田メッチャ見てたね」
「あ、マジ?」
「うん。さっき四人で話してる時」
「あ~、俺達が話してたから南と話せなかったってことか」
「多分な。とんでもない顔で見てたぞ。ちょっと前のお前みたいに」
「……。女に不自由してなさそうなのにな」
昨日の感じだと、南に脈はないと思うが。
それでもグイグイ行こうとする茂田は、ある意味凄い男だ。
俺達の会話に強引に入ってくるほど、空気が読めない訳ではないらしいが。
「どうでもいいけど、とりあえず追試はクリアするぞ」
「ああ、追試なんかさっさと終わらせて、俺達の夏を迎えに行くぞ」
「おっ、なんかカッコいいこと言ってるじゃん」
「へへっ」
そんな俺達を見ながら、住田が「俺もキミタチくらい頭が悪ければ良かったよ」と言った。
――
放課後四人で集まり、俺と日置は数学の試験問題を解いていた。
最初に自分の理解度を確認し、できていないところを潰していくという作戦だ。
前回と同じ問題なので、答えまでは覚えていないものの、解き方は大体分かっている。
今回は制限時間を設けて、本番の半分程度の問題に取り組む。
「はい、終わり」
「え、早くね?」
「時間ピッタリだよ」
文句を言う日置に、松本さんはタイマー代わりのスマホを見せる。
そんな松本さんに、日置は自分の腕時計を見るかのような素振りで言った。
「俺の時計だともう少しあるぜ」
「だから遅刻が多いんじゃない?」
「バスには間に合うんだけどな」
「学校には間に合わないけどね」
そう言いながら松本さんは日置の回答を回収し、採点する。
俺は南と一緒に確認しながら採点した。
「……うん、間違えてるのは二問だけだから、40点くらいだね」
南に言われるが、俺自身、その二問は解けないと認識していたので問題はない。
解けるまで取り組むか、今回の追試では捨てるか、だ。
他の問題は計算ミスもなく正解できていたので、上出来と言えるだろう。
「よしっ! 日置、どうだった?」
「……」
真顔で黙り込んでいる、日置と松本さん。
手元に置いてあった試験問題の採点状況を確認すると、不正解よりも圧倒的に正解が少ない。
――再追試。俺の頭にはそんな言葉が浮かぶ。
「……さて、そろそろバスの時間か」
立ち上がった日置の肩を、松本さんが掴む。
「ううん。日置君の時計は、壊れてるみたいね」
「最新型なんだけどな」
嘯く日置を引き留め、座らせて説教を始める松本さん。
意外と面倒見が良いらしい。
日置が言っていた『女教師』というのも、案外間違っていないな、と俺は思った。
――
日置は泣きそうな顔をしながら、松本さんのマンツーマンの指導を受けていた。
俺は追試のクリアに向けて見通しが立ったので、本当に分からない部分だけ確認した後は、南と雑談していた。
「おつかれさま、遼太郎は何とかなりそうだね」
「いや、本当にありがとう。南がいなかったらどうなっていたことか」
「私なんて全然だって。多分今試験受けたら、遼太郎の方が点数取れるんじゃない」
「いやいやいやいや、俺の場合所詮一夜漬けだから」
「それだけ理解が早いってことだよ」
そんなことを話していると、日置が死んだ魚のような目をして俺達を見ていた。
だが、松本さんに「集中!」と言われて、すぐに勉強に戻っていった。
四人で雑談してしまわないよう、日置達と俺達は席を離して座っている。
「日置も松本さんが見てくれれば何とかなりそうだな」
「あ、松本でいいよ」
松本さんは――松本は日置の勉強を見ながら、俺にそう言った。
「せいらのところも『南』って呼んでるでしょ? 呼びやすい呼び方で呼んで」
「ああ、分かった」と俺が言うと、「松本」と日置が言った。
「日置君は『さん』付けで呼んで」
「なんでだよ!」
「なんか嫌だったから」
「意味が分からん」
「この問題が解ければ分るかもね。ハイ、集中集中」
日置には雑談を許さず、勉強させる松本。
「……何か、凄いね」
「あはは、千恵、結構人に教えるのが好きみたいだから」
日置は人に教えられるのが好きじゃなくなるかもしれない。
「昨日もそうだったけど、私、話が逸れちゃうとあんまり戻せないからさ」
「あ~、確かに昨日はあんまり捗らなかったもんな」
「楽しかったけどね。でも、それじゃ追試をクリアできるか分からないから」
「なるほど……。それで、松本を連れてきた、と」
「そう。日置君には私より千恵の方が教えるの向いてるかな、って」
「確かに。家では勉強なんかやりそうにないしな」
南は否定も肯定もしなかったが、その曖昧な笑顔が返事だと、俺は受け取った。
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