リクエスト

白金有希

第1話 母と息子

夜ももう遅くなり、昼とは明らかに違う人の数、ある病院の待合室では、2人の男が座って待っていた。


1人は、40~50代くらいの穏やかそうな男性で、どこか落ち着かないといった様子で、立ったり座ったりとそわそわしている。


もう1人は、30代くらいの男性で、ただ、病院の壁を一点に見つめていた。


30代くらいの男性、田中創(たなか はじめ)は時折なにかを祈るように、右手を握りしめる。


「お義父さん、母さんはきっと大丈夫ですよ。だから落ち着いてください」


「いやでもね、やっぱり心配なんだよ。ちゃんともつのかなって」


「大丈夫ですよ……あの人はすごい人ですから」


創は、自分の義父を落ち着かせようと言葉をかける。


(母さんは俺を産んでくれたんだからきっと大丈夫……)


ここで思い出すのは、これまでの自分と母のこと。順風満帆とはいかなかった人生__




創の母、田中愛子(たなか あいこ)は14歳で妊娠した。当時付き合っていた彼氏と好奇心から生で行為を行ってしまい、こどもができてしまった。


事が発覚すると、彼氏からは逃げられ、親と先生からは大目玉ではすまないくらい怒られた。中絶を確定として話を進められた。


だが、愛子はそれには従わなかった。その場の全員の反対を押し切って創を産む覚悟を固めたのだ。


これには親も親戚も先生も、絶対にやめた方がいいと口出ししたが、愛子の耳には届かなかった。


「この子にはなんの罪もない……悪いのは彼と私、償うにはこの子を育てないといけない。だから私はこの子を産む! 」


彼女はずっと主張し続けた。


その結果、出産は受け入れられたが、親戚からは絶縁、中学からは退学を突きつけられた。


それにより、愛子とその家族は一気に絶望の底へと叩きつけられた。


だが、そこから一気に希望の花が咲いた。


「おめでとうございます、男の子ですよ! 」


朝日の出る頃、助産師さんに見守られながら宝物を出産したのだ。


自分のまだ未成熟な体から産まれた元気な赤ちゃん。それを見たら今持っている不安なんて全部吹っ飛んでしまった。


「かわいい……」


自分の子を見た愛子は感激のあまり泣いてしまった。子どもというのはここまでかわいいのか。


その時、窓から見た外の景色は、朝焼けにそまった感動的なものだった。






~15年後~


創と名付けられた子どもはもう中学3年生。すくすくと元気に育った彼は絶賛反抗期だ。


「創、ちゃんとお弁当持った? 忘れ物ない? 」


「持ったよ。見送りとかいいから」


創は冷たい態度をとる。


小さい頃は、よく愛子と仲睦まじい姿を見せていたが、今は気恥しさからか、愛子を避けるようになった。


誰もが通る難しい時期だ。だから愛子は冷たくされても気にしないで接する。


「創も行ったし、頑張って仕事しないとね」


愛子は冷蔵庫からエナジードリンクを取り出すと、仕事部屋に持っていく。


この仕事部屋の内装は簡素で、大きなパソコンと執筆用のオフィスチェアの周りに資料用の本が乱雑に置いてあるだけだ。


愛子の仕事は小説家だ。


中学を退学してからなにを仕事にしようかと悩んでいた。そんな時、ネットで見つけたのはWeb小説だった。


その時に見た小説は、決して上手いといえるものではなかった。だが、本当に楽しそうに書いているって文面が語っていた。


それを見てしまったから……自分の思いを、理想を、小説というかたちで表現したくなった。それに一生を捧げたくなってしまった。


その思いがたまたまいい方向に働き、賞を取り、プロになった。今ではエッセイを主に書いている。


「よし今日も頑張るぞー」


愛子はエナジードリンクを一気に飲み干して仕事に取りかかる。




(なんであんな態度とっちゃったんだろ)


創は学校への道で思う。自分の母親のことだ。


(俺は母さんがどれだけ苦労したか知ってるのに、どれだけ大事にしてるのかも知ってるのに……)


創は反抗期だが、母親への愛情は腐るほどあった。だが、思春期特有の感情が母親を邪険に扱ってしまう。


周りは両親がいるのにうちは片親、そのことがなんというか……恥ずかしいと思ってしまう。


(どうしたらちゃんと話せるんだろう? どうしたら、このいらない気持ちは無くなるのだろう……)


一人歩みを進める。その背は悩みでいっぱいの、年頃の男の子にふさわしいものだった。






それから、また15年の時が過ぎた。創は大学に進学の後、なかなかの企業に勤めた。


今はひとり暮らしで毎日せっせと働いている。


愛子とはまだ上手く話せないままだ。大学を機にひとり暮らしを始めたため、どうにも話す機会を、帰省する機会を逃しっぱなしだった。


LINEで連絡はとるのだが、この気持ちは直接伝えないといけない気がしたので、なんだか素っ気ない返信しかしてない。


(今日も疲れた……)


創は帰りの電車の中で、重い体を座席にあずける。


給料は悪くないし仕事は楽しい。心や体は成長しているのに、それでも創と愛子の距離は15年前と変わらないままだ。


(このままじゃ駄目だよな……なんとか話す機会をつくらなきゃ)


そう思い、創がスマホを開くと、LINEの通知が1件来ていた。


『来週の休みにこっち帰ってこれる? 少し報告があるんだけど』


愛子からのメッセージだった。


愛子は度々帰ってこれるかを尋ねてくる。無視されても断られてもめげずに。


創はこのチャンスを逃したくなかった。自分はもう子どもじゃないし、母親を愛していないわけじゃない。


だからこそ、帰るという選択肢をとった。それは創にとって12年ぶりの帰省であった。




週末、見慣れた家に帰ってくる。12年の歳月を感じさせないほど、変わっていなかった。小さい頃つけてしまった外壁のシミも、玄関前の床の傷も、全部そのままだった。


創はひと呼吸おくと扉に手をかける。


「ただいま」


できるだけ素っ気なくないように気をつけて声を発する。創の声を聞きつけたのか、奥の方から足音が聞こえる。


「おかえり、創! 」


嬉しそうに寄ってくる人物、愛子は笑顔で創を迎える。


自分の母親の変わらなさに、創はなんともいえないこそばゆさを感じた。


「12年ぶりだよね!? こんなに立派になってお母さん嬉しい!! 」


「ちょっ、あんまり騒がないでよ。恥ずかしいし」


創は思う、母はいつもこんな感じだったなと。なんというか前向きで、温かい人だ。


「さっ、ほら上がって。たくさん話したいことあるから」


「あっ、ちょっと!? 」


強引に腕を引っ張る愛子に創は戸惑う。


(冷たくされるよりマシだけど、この感じは調子狂うな……)


そう思いながらも、どこかで嬉しいと思っている自分がいる。


(ちゃんと話そう、言葉にしよう、ごめんって……ありがとうって)


だが、その決意はなんともいえないかたちで霧散していった。


「えっ……」


愛子に連れてこられたあの頃と変わらないリビング、そこにはひとつだけ異物が混じっていた。


歳は40か50代くらいだろうか。白が混じってきた毛先に顔に出始めたシワ、優しそうな顔立ちの男が座っていた。


こちらに気づくとペコリと一礼してくる。礼儀正しいようだが創にはそんなの関係なかった。


「この人は洋(ひろし)さん、私の結婚相手なの」


愛子は創の思いなど知らず、相変わらずの笑顔で話し続ける。


「どうも、洋です。創くん、だよね? 君のことは愛子さんから聞いてるよ。仲良くしてくれると嬉しいな」


創には、柔和に笑う洋という男がどうしても異物に思えてしかたなかった。


(母さんはどうして結婚なんか……男にかなり苦労したはずなのに)


創は思う。逃げた自分の父親のこと、反抗期の自分、幾度となく言われたであろう刃物のような言葉、それを経験したら結婚なんてしないと思うはずだと。


だが、愛子は結婚を……この男と……


「なんで結婚なんてするんだよ! その空席に人なんていらないだろ! 俺が大人になったからいいと思ったのかよ!! 」


「はっ、創……落ち着いて、ね? 」


「そもそも母さんはかなり苦労しただろ!? だったら結婚なんて必要ないだろ! 」


創は一方的にまくし立てると、逃げるように家から出ていった。


その場には大きな沈黙がやってくる。


「ごめんなさい洋さん、私、あの子と上手く話せないままここまで来ちゃって……」


「謝らないでください。いきなり私が居座ってしまったのが悪いんですよ」


洋は優しい言葉をかける。


「それに、創くんは愛子さんのことを思ってるからこそあの言い方だったと思いますよ。愛子さんの背中、一番見てるでしょうから」


「……ありがとうございます。私、話してきますね」


愛子は元気を取り戻すと、外へ向かって急いで駆け出した。


「……頑張ってください」


洋は2人の仲がよくなりますようにと祈りをこめた言葉を吐いた。





(……どうしてあんなこと言ったんだろ)


創はとぼとぼと町をさまよう。家を出てから真っ先に襲われたのは、さっきの発言の後悔だ。


(母さんは幸せそうにしてた、だったら問題ないじゃないか。苦労してるからこそちゃんと相手のことを見てるだろうに……なんで俺はあんなことを)


確かに12年ぶりの母親が変わっていたのには驚いた。だが、それだけの歳月が経てば人間は変わる。それを創はちゃんと理解していた。


(せっかくの話すチャンスだったのに……なんで俺は無駄にしてるんだ)


創は自分を責め、悔やむ。彼は体は大人なのだが、まだ母親に対しての精神は子どもだった。



最終的にたどり着いたのは公園だった。ここは創が小さい頃よく母親と遊んでいた場所だ。


創は公園のブランコに、職を失った大黒柱よろしく座り込んでいた。傍から見たら本当に落ちぶれたおじさんだろう。


夕日で30歳の体が照らされる。まるで誰かに存在を伝えるかのように。


「こんなところにいたんだ……創」


優しい声が近くで感じられ、創はばっと顔を上げる。


そこには、若干息を切らしながらも微笑を浮かべる愛子がいた。


「母さん……なんで……? 」


「深い理由はいらないでしょ、だって家族なんだから」


母親のその言葉に、創は唇を噛みしめる。


「ほんと、ごめん……今までろくに話せなくて、親孝行できなくて」


「そんなこと気にする必要ないの。だって私は知ってるから。創がこっそりお手伝いをしていたことや、私に心配かけないように頑張って就職活動してたことをね」


「うん……ほんと、ごめんなさい。それと、ありがとう、俺は母さんが母さんでよかった」


「うん、私も創が息子でよかったよ」


この瞬間、永く距離のあった親子は歩み寄りに成功した。その時の夕焼けは、二人の心を表しているようだった。




その帰り、重大ニュースと言った愛子の口からとんでもないことが話される。


「ちなみに、もう子どもできちゃってるんだよね」


「えっ、ちょっ!? 」


創は、いきなりの報告にただただ戸惑うばかりだった。


「最近できたんだ。婚姻届を出した次の日ぐらいに……ねっ? 」


「ねっ? じゃないよ!唐突すぎてびっくりするわ!! 」


「いつ言おうか迷っていたんだけどさ、タイミングがちょっと悪かったかな」


「悪すぎるよ……心の整理がつかない」


この歳で弟か妹を持つことになろうとは……創は思いもしなかった。


「やっぱりこの歳になっても子どもって欲しいの? 」


「そりゃあ欲しいに決まってるでしょ。子どものかわいさはあなたでわかりきってるから」


愛子の声色は当然と言っているようで、創はなんだか嬉しくなる。


「創にとっても子どもみたいなものだし、ちゃんと守ってあげてね」


「うん……わかってる」


戸惑いは当然ある。だが、今の状態なら受け入れることは容易く思えた。






そこからはあっという間に時が過ぎた。愛子のお腹の子は女の子だというのがわかり、名前の候補を前もって考えておいたり、仕事の合間に妹の接し方をうんうん考えたり……そんなことをしている間に愛子のお腹は大きくなっていった。


その間に、創は洋と気が合うようで、かなり仲良くなっていた。


(なんていうか……母さんはとんでもなく前向きな人なんだな)


創が見てきた中で、愛子がめげている所を見たことがない。そんな人なら、自然と大丈夫と思えてしまう。


むしのしらせを感じ取ったのか、突如として創が顔を上げると、赤ちゃんの元気な鳴き声が聞こえてくる。


「おめでとうございます、元気な女の子ですよ!! 」


創は洋とともに愛子の元へ駆け寄る。愛子は花のような笑顔を咲かせる。


「創みたいに元気でかわいい赤ちゃんだよ……これからよろしくね」


創は感極まったのか泣きそうになる。洋も目元をうるうるさせている。




病院の窓から見える景色は、はじめに見たような朝焼けが広がっていた。

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