Reunion-09

 

 木地の床、開けられた扉と風になびくレースのカーテン。差し込む午後の陽射しがが逆光となり、一瞬目の前の状況への判断が鈍る。


 そこへ、確かに耳に馴染みのある声が聞こえてきた。


「やっぱりまだ体が重いよ。清々しい気分なのに、まだ体が自分のものじゃないみたい」


「君の体は君のものさ。重いと言っても何か背負っているようには見えないけれど」


「確かに肩の荷は下ろせたけど……」


「まさか肩の荷って、僕の事を指してはいないだろうね」


「さあね」


 そうだ。やっぱりそうだ。間違いない。ベッドに腰かけたそのシルエット、優しい声のやり取り。


「シーク……さん?」


「ああ。やあ、ディズ」


 声の主が僕を見て、僕の名前を呼んでくれる。


 優しい声。5年前に会えるはずだった僕の英雄と同じ声だ。


「シークさん……シークさん!」


 嬉しいのに視界が歪み、駆け寄りたいのに足に力が入らない。


 喜びを表しているはずなのに顔は溶けたように崩れ、触れたい手は床で体を支えている。


「駆け付けられなくて……ごめんなさい! ごめん……なさい……」


 一番に言わないと、そう思っていた言葉。5年掛かってようやく出来た懺悔。


 自分達が絶対に助けるなんて、そんなせめてもの誓いはまたもや叶わなかった。シークさんはきっと、また自分で苦難を乗り越えた。


 また、力になれなかった。


「有難うディズ。色々な方法を世界中回って探してくれていたんだってね」


「ぼく……何も、また何もできませんでした! 恩返し……絶対にするんだって」


「俺は返される恩なんて覚えがないよ。封印から出て、まさか真っ先に謝られるとは思ってなかったな」


「言わなきゃって、謝らなくちゃいけないって……」


 シークさんの横では、チッキーくんがしがみつくようにして泣いている。僕だって、何かにしがみ付いていないと心から崩れ落ちそうだ。


「あの……『横剣』を入れて申し訳ないのだけれど、ディズ、君は嬉しいのかい? それとも悲しいのかい? シーク、君は封印されても出てきても泣かれるんだから」


「そんな、俺が悪いことしたみたいな」


「僕を放り投げて勝手に封印して、おまけに人を泣かせるだなんて、誰がどう見ても悪い事さ! 極悪人だね」


 シークさんと聖剣バルドルが、かつて当然のように繰り広げていた掛け合いをしている。


 その光景にまた視界が歪み始めると、言葉が詰まる俺の肩にそっと手が置かれた。その手はゆっくりとぼくの頭を撫でる。


「なんだろう。ああ、帰って来たんだって、これが5年前確かに経験していた日常だ、夢じゃないんだって、ようやく実感が湧いてきたよ」


「……おかえりなさい、シークさん」


 まだ歪んでいる視界の中、真正面にあるシークさんの顔はとても穏やかだった。まるでこの5年間、特に何もなかったかのように微笑んでいた。


 僕が憧れていた英雄、シーク・イグニスタ。英雄がようやく帰って来た。


「誰か、来た?」


 部屋の外で足音がする。きっとアンナ、クレスタ、それにミラだ。


 いや、足音の数が多い。


「シーク! あんた、私がどれだけ心配したか……」


「ああ、シーク! ゼスタから連絡をもらってすぐ馬車に乗ったんだ、本当に良かった……」


「シークさん!」


「やっぱり封印が解けたんですね!」


「ようやく、ようやくアークドラゴンを倒せたんですね!」


 足音の主がそのまま部屋に入ってきた時、シークさんはこの場にいる全員に声を掛けた。


「母さん、チッキー、ゼスタ、イヴァン、ディズ。それにビアンカ、シャルナク、アンナ、クレスタ、ミラ、父さんも。ただいま」


「お、おかえりぃ……兄ちゃあぁぁん……!」


「おかえりなさい! これでパーティー復活ですよ!」


「シークおかえり!」


「ああそうだ。テュール、ケルベロス、アレス、グングニル、アルジュナ、君たちも有難う」


 シークさんは律儀に武器達にも声を掛け、窓から入って来る風を浴びるように天井を仰ぐ。


 そんなシークさんに、少し納得がいかないような声を上げたのは聖剣バルドルだった。


「あの……僕はまだ『ただいま』をもらっていないのだけれど」


「そうだったかな。ただいま、バルドル」


「おかえり、シーク。ついでに言うと、有難うもまだもらっていない」


「じゃあ……有難う、バルドル」


「どうもね。もう1つ、ついでに言わせてもらうとだね」


「まだ何かあったっけ?」


 シークさんはバルドルを見つめて考え込んだ後、降参だと告げる。バルドルはそんなシークさんに、ちょっとだけ申し訳なさそうな声色で尋ねた。


「えっと……お替りをお願いしても?」


 風がピタリと止み、一瞬だけ時が止まる。その後、誰かがプッと噴き出したのをきっかけに、その場の皆が笑い声を上げた。


 誰もが驚くような演出や盛大な儀式は何もない。大勢に見せつけるような劇的な復活を遂げた訳じゃない。


 それどころか、アークドラゴンを倒した事すら自慢する気もないらしい。なんともシークさんらしい帰還だ。



 シーク・イグニスタ……攻撃魔法と聖剣バルドルを同時に扱う唯一の魔法剣士。


 どんな時だって少し控えめで、それなのに誰よりも熱い冒険と偉業を成し遂げた人。


 世間一般の知名度もさることながら、魔法使いのベテランから剣術を志す子供まで、皆が憧れ、そして称える優しい人。



 ぼくが憧れる英雄。



 彼が自らを犠牲にし、復活した魔王アークドラゴンを再び封じ込めてから、およそ5年。



 彼を中心にして、確かに今、みんなの止まっていた時間が動き出したんだ。





【Reunion】―あの夏の日、英雄に憧れた者たちへ―


やがて英雄と呼ばれる大剣使いの青年のお話。

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