discipline‐09
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シーク達がギリングの町を旅立ってからおよそ2ヶ月。このところギリングでも雪が舞い始めた。
正午を過ぎても雪雲に覆われたまま。どんよりとした空の下、1人の少女が石畳の道を靴の踵でコツコツと慣らしながら家へと駆けていく。
「ただいま戻りました」
「おかえり。寒かっただろう、さあ、荷物を置いてこっちに」
「またたび茶を入れたわよ、温まりなさい」
少女は武器や防具が並ぶ店の中を抜け、フード付きのコートを脱いでハンガーに掛けた。フサフサの尻尾、そして頭にはピクリと動く猫のような耳。
茶色い髪はやや伸びたようだが、間違いない。シャルナクだ。
武器屋マークの主人ビエルゴと妻のマーシャは、シーク達の話でシャルナクの存在を知った。女の子が心細い手持ちでボロ宿に泊まるなんてと心配し、シャルナクを下宿させた。
当初は獣人に驚いていたが、今では町を離れた孫のように可愛がっている。
シャルナクは町での暮らしに慣れるにあたって、読み書きの練習から始めなければならない。まずは店に並んでいる商品の名前や、値札で字や数字を覚えていった。
「武器」「防具」「防水性」などの文字を、自分の名前の綴りより先に覚えた者は、シャルナクくらいではないだろうか。
「ああ、美味しいです。いつ飲んでもナンの事を思い出します」
「そうかい。わし達が連れてってやるにはちと遠すぎるが、もし里帰りがしたくなればいつでも言いなさい。馬車代、汽車代、そんなものは気にせんでいい」
「いえ、わたしは決めたのです。シーク達が頑張っている間は、わたしが出来る事を精一杯しようと」
シャルナクは週に3日、アルバイトとしてバスター管理所に通っている。本格的に管理所勤めをするのは、最低でも読み書きが出来てからだ。
そして、彼女にはもう1つ、取り組んでいることがあった。
「ビエルゴおじさま、今日は工房に行くのですか?」
「ああ、シャルナクも来るかい」
「勿論です!」
「今日は鉄の温度による叩き方の違いを教えてやろう」
「はい! それではマーシャおばさま、行って来ます!」
「あらあら、帰って来たばかりだというのに。夕ご飯はお魚を焼きますからね、早めに帰っていらっしゃい」
シャルナクはビエルゴと共に笑顔で店を出て、すぐ近くにある工房へと向かう。管理所のアルバイトでお金を貯めて買ったグレーのコートは、フードを被れば耳まで温かい。
ビエルゴもこげ茶色のポンチョのようなコートを羽織って、傍から見ればおじいさんと孫だ。
アルバイトがない日には、毎日家で読み書きと算数の勉強をしていた。しかしそれだけでは退屈だろうと、マーシャが工房へ連れて行った事がある。その時、ビエルゴに「やってみるか」と冗談半分でハンマーを渡されたのがきっかけだ。
グレー等級用の短剣くらいなら、数回素人が叩いても後から修正できる。笑いながら試させた夫妻は、次の瞬間その目と耳を疑った。
キーンと響く音を奏で、なおかつ気力をハンマーから溢れさせていたのだ。
1ヶ月ちょっとで鍛冶の事を色々と教わり、先日はとうとう1本のロングソードを仕上げた。勿論、店に並べるにはまだまだ。この工房の壁に第一号として記念に飾られている。
「おじさま、あのロングソードはいつまで飾っておくのですか」
「お前さんが胸を張れる作品が出来上がるまでだな。その時、最初の一振りからの歩みが理解できる」
並みの職人では太刀打ちできないような鍛冶のセンスを、ただ放っておくのは勿体ない。いずれムゲン自治区に戻るとしても、そこで役立てる事も出来る。ビエルゴはシャルナクが教わりたい分だけ、鍛冶を教える事にした。
木製の古い扉を押し開いて、レンガの上を何度も重ね塗りされた白い壁の工房へと入る。ランプに火を灯すと、赤いレンガの壁と土間仕立ての床がゆらりと照らし出された。
なめし皮の胸から足首まである茶色いエプロン姿も、随分と板についてきた。炉に火をつけ、シャルナクは
じきに覗き見える内部は真っ赤に燃え上がり、そして前に立つと外の寒さなど忘れる程に熱くなる。
「今日は昨日の試作の続きだ。好きな物を作れとはいったが、お前さんちと難易度を上げ過ぎじゃ」
「作りたいものが頭に浮かぶとどうしても作りたくて……もっと薄く、
「その域になると、材料の目利きからこなさんと駄目だ。まずただの鉄では到達できん。そもそも薄く叩いてのばす技術までは教えとらん」
腰の高さ程の黒く四角い金床の上には、昨日途中で頓挫した薄刃のソードの作りかけが置いてある。ハンマーで叩いているうちに割れてしまった部分、叩き過ぎて穴が開いてしまった部分がとても目立つ。
まだまだ加減が分かっていないようなミスがぎっしりとつまった剣だ。
ここから修正するのはもう不可能に近い。悔しがるシャルナクをなだめ、店主は再び炉に入れる。
「不銹鋼なら薄刃で丈夫で手入れも簡単だが、加工しづらい上に、切れ味となると相当な技術が必要だ。一方、おまえさんの練習に使っている鋼はそれなりだが、加工はし易いはずだ。もちろん製品用の鋼は全く別物だ。一括りに鉄と言ってもかなり拘っている」
「いずれビアンカ達に胸を張って防具を渡すなら、まずはこの通常の鋼をしっかりと操らなければ。炭素量が少ないものと多いもの、その違いを見極める所から……どんな材質で、どんな性質のものを加工しているのか、知らないまま他人になんて渡せません」
「いい心がけだ。さあ、今からお前さんが作るべきは、思い浮かべた薄刃のソードか、それとも分厚い鉄の均一な延べ棒か」
「……均一に熱と力を加える、基本からですよね。わたし、1人で製品を作れるようになったらマーシャおばさまに何かプレゼントしたいです」
「あいつはわしより品質に煩いぞ」
「はい!」
ビエルゴは、安全に関する事以外では決して怒らない。駄目なところはしっかりと駄目だと言い、原因を常に自分で考えさせる。分からなければ教え、理解したなら対策をさせる。
装備は自分の満足のためではなく、他人の命を守る為に作るもの。それが口癖だった。シャルナクも基礎中の基礎の繰り返しに不平不満を言わない。
「真ん中から叩いて延ばすのはただの成形だ。均一に慣らす時、叩いて薄くなった部分に周りを合わせるような鍛え方はいかん」
「はい」
シークと出会い、装備を一式売った瞬間から、ビエルゴの人生は大きく変わった。装備を売って得たお金だけではなく、鍛冶師としての夢、バスターへの希望、そして何より若者の未来を支えるという使命、それらを感じるようになった。
シーク達は武器屋マークに感謝してもしきれないと思っている。けれど、その武器屋マークという隠れた名店の老人は、それ以上にシーク達に感謝していた。
シャルナクもそうだ。もしシーク達ではないバスターにメデューサを討伐したなら、このように人間の中で生きる決意など出来なかった。
シーク達を陰ながら応援している者は確実に増えている。それをシーク達が実感するのは、物語で言えばもう少し後になる。
「さあ、次は字の勉強だ。炉の中での地金の温度について、本には何と書いてある」
「はい。えっと、800度に、なるまで、ふいご……を、つかい、上げてから、地金を引き上げて……たん、鍛……」
「鍛接だ。読んでいて意味は分かるか」
「はい、文字の意味はだいぶ分かるようになりました。口に出して読むのはまだ難しいですね」
「鍛冶と一緒だ、鍛えればどんな困難も切り抜ける力に成り得る」
「はい!」
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