第190話 鎮魂歌+四重奏(4)
皐月と同じ、アメジストのような紫色の瞳。女性と間違われる程の華奢な身体。可憐よりも長い黒髪。魔力を放っていたのは、可憐の親友でもあり幼なじみでもあった弘孝だった。
見慣れた背丈や格好だったが、唯一違っていたのは、六枚の黒い翼と、光が持つものとは真逆の、負の感情が込められた魔力が彼を包んでいた所だった。
「弘孝……」
無意識に彼の名を口にする可憐。その声に弘孝は反応して、顔を可憐に向けた。彼の視界には、恋敵に抱えられながら、宙に舞う想い人。
「可憐、サタンになる決心はついたか?」
弘孝は、光を一度睨みつけると、普段通りの表情で可憐を見つめる。可憐はそんな弘孝を睨みつけていた。両手を光のブレザーを強く握りしめる姿を見た弘孝は、魔力を両手に込め、バイオリンと弓を具現化させる。
「磯崎は、サタンにさせない……!」
バイオリンを具現化させた弘孝に猛は剣を振り上げ、攻撃した。弘孝はそれをバイオリンで受け止めた。魔力で作られたバイオリンは、猛の剣を受け止めても、四本の
「猛、嫌、裁きの大天使ミカエル。お前との契約により、僕は全てを失った……」
見た目は木製のバイオリンそのものだったが、剣とぶつかり合う音が妙に重い。それは、魔力の性質なのか、弘孝の感情から生まれた音なのか誰も分からなかった。弘孝は、力任せにバイオリンで受け止めていた、猛の攻撃を押し返し、距離をとる。
「違う! お前は自分たちの仲間の幸せを願っていた! それなのに、何故二重契約を……!」
アメジストのような美しい輝きを放つ弘孝の瞳。それを見ながら猛は叫んでいた。再度剣を構え、弘孝を睨みつける。
弘孝は、仲間の幸せと二重契約という言葉を聞いた瞬間、一度だけ儚い笑みを浮かべたが、すぐさま地獄長モロクとして、威厳のある表情へと変えていた。
「何度も言わせるな。僕がウリエルとして生きていても、ラファエルである、可憐と結ばれる運命には決してならない。ただ、僕がモロク、可憐がサタンであるならば、共に地獄を統べればいい。ガブリエルと結ばれる運命を僕が……壊す……!」
一度だけバイオリンを構え、弓をひいた。G線と呼ばれる四番目の弦だけを上から奏でたその一音は、猛の耳に直接響き、体内の内臓を破壊する勢いだった。咄嗟に六枚の白い翼を羽ばたかせ、猛は音が届かない範囲まで弘孝と距離をとる。
「皐月、来い」
猛との距離を確認した弘孝は、視線を彼から手を痛めている皐月へと向けた。そのまま弓を持っている方の手で皐月を手招きする。弘孝の命令に従い、彼の側へと移動した皐月。そのまま弘孝は、皐月の傷付いた手に魔力を流し込んだ。すると、焼けた肉と血の臭いで充満していた傷口だったが、嘘のように消えていた。
「ご慈悲……感謝致します……」
手の痛みが完全に消えた皐月は、蝿の王ベルゼブブとして、目の前の上司である兄に感謝の言葉を述べる。しかし、弟としての屈辱を味わい、無意識に下唇を噛んだ。皐月の口内は自身の血の味が広がった。
「お前はミカエルを倒せ。僕は、ウリエルを始末してから、可憐を奪う」
次は失敗するなよ、と付け足し、弘孝は視線を皐月からジンへ向けた。自身の唇を噛んでいる皐月の心境に気付いていたが、弘孝はそれを見て見ぬふりをしていた。
皐月は弘孝の命令に、御意と短く答えると、猛に向かって再度剣を具現化させ、戦いをしかけていた。
「コジレてんなぁ、オマエ」
弘孝の視線に気付いたジンは、剣を振り上げ攻撃する。しかし、弘孝はそれをバイオリンで受け止める。猛の攻撃と同様に、弘孝のバイオリンは傷がつくこともなくジンの剣を受け止めていた。
「ジン……いや、戦いの大天使ウリエルと呼ぶ方が正解か。別に僕は、拗らせてなんかいない。ただ、他人の運命に閉じ込められている、僕の想い人を救いたいと思っているだけだ」
バイオリンでジンの攻撃を受け止めた状態で、淡々と話す弘孝。右手で持っていた弓の方をジンに向かって振り上げた。ジンは即座にバイオリンを攻撃していた剣をバイオリンから離し、弘孝の攻撃を受け止めた。
「それを世の中では、コジラセテルって言うんだよ!」
弓と剣がぶつかり合う音がする。ジンは力任せに弘孝の弓を押し返した。単純な力比べでは、華奢な弘孝はジンには敵わず、押し返される。その勢いを弘孝は、自身の六枚の黒い翼を使って、ジンと距離を取るスピードに使った。
「本当に、どんな事を言っても、記憶が戻る事は無いんだな……」
ジンと距離を置き、弘孝は呟いた。翼を羽ばたかせる音と、弘孝とジンの距離が開いた事により、弘孝の言葉はジンに届くことは無かった。
そのまま弘孝は、バイオリンを簡単に目視で傷などを確認すると、バイオリン本体を自身の肩に優しく置いて構えた。そのまま弓を使い、演奏をする。
悪魔の魔力で作られたバイオリンで奏でられるのは、シュトラウス二世の皇帝円舞曲。完璧な演奏だったが、音に乗せられるように放たれた弘孝の魔力は、超音波のようにジンの脳を直接攻撃した。
「うぅ……! 頭が……! イテェ……!」
咄嗟に耳を塞ぐジンだったが、その時には既に体内に弘孝の魔力が侵食し、肉体を蝕んでいた。表面的には無傷だったが、ジンの内臓は焼けるような痛みに襲われていた。
「ぐはっ……!」
負傷した内臓が悲鳴をあげ、吐血する。ジンの口内はもちろん、食道や胃までも血の味が広がっているような感覚に襲われた。吐血によって血が通った部分が焼けるような感覚。契約者でなければ、とっくに内臓が全て腐敗し、心臓も止まっているであろうその攻撃に、ジンはただ、口元から溢れる生命力を失った血を押さえるしか出来なかった。
その間に、猛と剣を交えていた皐月が、魔力を放ちジンを攻撃する。ジンはそれを剣を使い、雑に弾いていた。そのまま猛との戦いに混ざるように、血だらけの身体にムチを打つように白い六枚の翼を羽ばたかせ、猛のもとへ向かった。
それを見た可憐は目を見開き、ジンに向かって手を伸ばす。可憐を抱きしめている光もまた、ジンのもとへ飛び立とうとし、翼を広げた。
「ジン! 待って! 今私が回復を——」
「お前は僕だけを見ていろ!」
可憐がジンに向かって叫んだが、その言葉は、弘孝の声により遮られた。再度バイオリンを構え、今度は可憐たちの方へ向けて演奏をする。音色に混ぜられた弘孝の魔力が二人を襲った。
弘孝の攻撃を光は六枚の白い翼の半分を盾のように使い、防いだ。右側の三枚の白い翼が弘孝の魔力によって、焼けるような痛みに襲われた。
「うっ……!」
翼の半分を火傷をしたような痛みに、光は思わず苦痛の表情を浮かべる。しかし、痛みに気を取られ、可憐を離すような事はしなかった。
「やめて! 弘孝……これ以上は、やめて……!」
光の表情と痛みに耐える声を聞いた可憐は、弘孝に向かって叫ぶ。左手に魔力を込め、光の体内に優しく流し込む。すると、光の翼の傷は一瞬にして痕も残らずに完治していた。
可憐の言葉を聞いた弘孝は、バイオリンを構えながら、弦を強く指で押した。
「ならば、サタンと契約し、僕と共に生きると誓え! 僕のものになれ!」
力任せに弦の上に乗せた弓を引く弘孝。そこから出る音は、先程のクラシックではなく、無作為に弦と弓を合わせる事により出る、不快な音だった。まるで、鏡に刃物を立てて思いっきり引いたようなその音は、可憐と光の耳に直接響いた。
二人は頭痛を起こし、眉をひそめた。頭が割れるような痛みに、可憐は思わず両手を両耳に当てる。可憐を抱きしめている状態に近い光は、両手がふさがっている為、目をきつく閉じる事しか出来なかった。
「好きな女の子に、そんな身勝手な事をするなんて……随分と卑怯な男になったね、弘孝君」
弘孝の攻撃が一時的に止まると、光はゆっくりと目を開けた。表情を歪めながらも呟いたその言葉を聞いた弘孝は、目を見開き、バイオリンを肩から外した。
「運命にという名の、ぬるま湯に浸かっているだけのお前に……言われたくない!」
バイオリンを手放し、弓を魔力で剣に変える。それを弘孝は大きく振り下ろした。それを見た光は、可憐を左手だけで抱きささえ、右手に剣を具現化させ、弘孝の攻撃を受け止めた。
「ガブリエルとラファエルの器。それだけで、無条件で可憐を想い、可憐もまた、自分に好意を持つと考えているだけだろ」
剣と剣がぶつかり合う金属音が三人の耳を支配する。十七歳の少女を一人抱えている状態で、受け止める弘孝の攻撃は、光の想像以上に重かった。
「違う。ぼくは、光明光として——」
「黙れ!」
光の言葉を遮るように叫ぶ弘孝。何度も剣を振り上げ、光に向かって振り下ろす。光はそれを何度も受け止めていた。
「本当の想いは、運命なんかで片付けられるものでは……無い!」
弘孝の視界には、剣を片手で持ちながらも弘孝の攻撃を受け止める光と、そんな彼に抱きしめられるように宙に浮く想い人。光との戦いに恐怖し、目を固く閉じる可憐に、弘孝はこれ以上にない嫉妬心と支配欲に襲われた。
剣を右手だけで持ち、左手に魔力を込め、不意に光に攻撃する。光はそれを避けようと翼を羽ばたかせた。
弘孝の攻撃を避ける事に気を取られていた為、思わず急に身体を捻るように飛んだ。
その時だった。
「きゃっ!」
予想外の光の動きに、光の首の後ろに回していた可憐の手が、思わず離れた。
手を滑らせた可憐を片手で支えようとしていた光だったが、弘孝との戦闘の疲労により、可憐を強く抱きしめる事が出来ず、光の腕の中を抜け、真っ逆さまに落ちていった。
「可憐!」
「可憐!」
光と弘孝が同時に少女の名を叫ぶ。しかし、既に可憐は、その声が届く距離に居なかった。光が具現化させていた剣を消すと同時に、翼を滑空に向いた状態にすぼませ、可憐を追いかけるように垂直に降り立った。
弘孝もまた、光と同様に可憐を追いかけるように黒い翼を動かした。
「磯崎! 光!」
「ラファエル! ガブリエル!」
皐月と戦いながら、可憐の異変に気付いた猛とジンだったが、名を呼ぶ事しか出来なかった。二人の戦いの集中が、途切れた隙を見逃さなかった皐月は、剣を振り上げ、猛に向かって振り下ろした。しかし、猛はそれを自身の剣で受け止めていた。
「二人はオレが相手してやるよー」
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