第61話 狂想曲+第一地獄


 声と魔力の主の方へ視線を移動させると、そこには、女装した弘孝が光を睨みつけていた。



「おい弘孝……。走りすぎだ」



 弘孝の後を追いかけてきた猛が少し息切れしながら現れた。しかし、猛の文句は瞳を大きく見開かせた春紀の言葉により遮られた。



六花りっか!」



 大声を上げながら春紀は弘孝の所へ走り出し、そのまま弘孝を強く抱きしめた。



「ちょっと待て……! 何をする!」



 弘孝の抵抗を無視しながら更に強く抱きしめる春紀。それは愛する人と再会した青年そのものだった。


「会いたかった……。六花りっか



 弘孝の華奢な身体が綺麗に収まる光景から、春紀が意外と大柄だと可憐は冷静に考えていた。



「待て! 僕は男だ! それにそのような名前ではない!」



 弘孝の怒鳴り声と全力の抵抗により、春紀は冷静さを取り戻し、弘孝の顔をのぞき込んだ。中性的な顔立ちだが、身体は男性らしい筋肉が無駄なくついていた。それに気付いた春紀は慌てて弘孝から離れた。



「男?!」



 今までの余裕のある口調ではなく、やや裏返った声で叫ぶ春紀。女性と勘違いさせるのに慣れている弘孝は、ゆっくりとため息をついた。



「僕の名は椋川むくがわ弘孝ひろたか。大天使ミカエルと契約し、死後、大天使ウリエルとして神に仕える人間だ。花の契約者」



 自己紹介をし、指先にウリエルの魔力を灯す弘孝。それを見た春紀は自分の右手を胸に当て、片膝を地面に触れさせた。



「これは失礼しました。ウリエル様。私はヘルエルと申します」



 ゆっくりと頭を下げる春紀。その格好は正しく大天使に仕える契約者の姿だった。



「転生を知る最も古い契約者。そして、花の契約者と言われている由縁は聞いている」



 誰に聞いたかは、弘孝はあえて口にしなかった。母親から知らされた知識は、可憐に不信感を覚えさせるのではないかと不安だったが、可憐が首を傾げなかったのでこのまま話を順調に進めようと春紀に視線を送った。春紀は弘孝からの視線から大体の理由を察し、弘孝にのみ分かるように微笑んだ。



「それは光栄です。ウリエル様。先ほどは大変失礼しました。あなたの容姿が、あまりにも知り合いにそっくりで……」



 春紀の儚い笑み。光も時折見せるこの笑顔は、契約者独特のものだと可憐は勝手に理解した。


 春紀の笑みを見た猛は可憐が何かを言い出す前に口を開いた。



「ところで、お前の任務は終わったのか?」



 猛の質問に春紀の表情が凍った。数秒の沈黙の後、春紀はゆっくりと口を開いた。



「人間との契約は完了しました。既に契約者となり、私たちの心強い味方になってくれるでしょう。ただ、一つだけ問題が……」



 一度口を閉じる春紀。ゆっくり深呼吸をし、再び口を開けた。



「ルキフグスがAランクに移動しました」



 春紀の言葉を理解出来た猛と光の表情が固まった。それと同時に光の瞳が朱色に染まった。



「地獄長をどうして見逃すんだ!」



 光の魔力が春紀に向けられた。春紀はそれを弾くことなく受け止めた。腹部に鈍い痛みが走った。



「光! 落ち着け!」



 猛が光の腕を掴んだ。同時に猛の魔力が光に流れ込んだ。他人の魔力が体内に侵入することにより、冷静さを取り戻した。



「申し訳ございません」



 誠心誠意謝罪をする春紀。三人の会話をなんとなく理解した可憐と弘孝は光と春紀の間に入った。



「優美や七海さんの他に地獄長がいるということ?」



 可憐の質問に答えたのは、猛だった。既に光の腕から手を離していた。



「南風は例外として、ルキフグスは俺の知る中で一番の古株地獄長だ」



 この言葉を境に猛は可憐の知らない地獄長の情報について話し出した。


 地獄長はサタンを含め、十一人存在し、中でもルキフグスは冷酷で春紀と同様、人間以外の魔力を吸収し、使えるので倒すのが困難なのだ。春紀はルキフグスのいるDランクに潜伏し、人間との契約と、ルキフグス討伐を命じられていた。



「ルキフグスは人間に溶け込むのも慣れていると聞いている。花の契約者、ルキフグスがここに移動したのはサタンが関係あるのか?」



 猛の質問に春紀は首を縦に振った。



「恐らくは。これは、私の勘ですが、奴の狙いはサタン復活と同時に現れた大天使様だと思います」


 春紀の視線が可憐と弘孝に向けられた。突然話の中心になった二人は、お互いに視線を合わせることしか出来なかった。



「僕たちが天使側お前たちと契約する前に悪魔にしようという作戦か」



 弘孝の言葉に春紀はゆっくりと頷いた。



「大天使様に転生が可能ということは、地獄長になることが可能ということなのです」



 春紀の言葉に全員の視線が可憐に向けられた。視線の意味を理解した可憐は俯き、右手で拳を作った。



「私が……私が優柔不断だからみんなを危険に巻き込んでいるのよね」



 可憐の言葉に春紀はゆっくりとため息をついた。右手にはいつの間にか赤いバラの花があった。



「一番恐ろしいことは、もちろん、可憐さんが悪魔と契約することです。しかし、生半可な契約内容ですと、契約者としての寿命が短くなります。あなたは、神に最も愛された人間の一人として、契約内容は慎重に選んで下さい」



 自分の持っているバラの花を可憐にそっと渡す春紀。バラに刺は無かったが、可憐はバラに刺があることを知らないので無防備に掴んだ。



「おい、花の契約者。あまり口を滑らせるな」



 猛が春紀を軽く睨みつける。猛の言葉は春紀にしか意味を理解出来なかった。



「いずれはこのラファエル様も知る運命なのですから。しかし、悪戯に回数を増やすようなことは避けたいですね。失礼しました、ミカエル様」



 悪戯いたずらをした子どものような笑みを浮かべる春紀。その笑みの意味を知らない可憐たちは、ただ首を傾げるしかなかった。



「話を戻すぞ。今、俺たちがしなければならない事は、磯崎を悪魔から守ることだな。磯崎、お前は無理に契約内容を考えるな。花の契約者の言葉により、無理矢理契約させると堕落していた事を思い出した」



 妙に優しく微笑む猛に可憐は違和感を覚えたが、今はそれどころではないと自分の感情を無理矢理押さえ込んだ。



「ルキフグス……。厄介な地獄長が現れたな」



 親指の爪を軽く噛む弘孝。冬の風が弘孝の頭を無理矢理冷静にさせた。


 五人の中でおそらく悪魔に一番詳しい弘孝に、ルキフグスの情報を聞く為に、猛は、一度弘孝にアイコンタクトを送った。



「確かに、アイツの力は厄介だったな」



 あくまでも弘孝は猛に知識を与えられたような文脈にし、可憐に些細な疑問を持たせないようにした。それを察した弘孝は、悪魔として、天使に教えられる限界の情報をゆっくりと口にした。



「ルキフグスは、自然に存在する無生物から魔力を吸収する。例えるならば、水や光りだ。それを更に自分の手足のように自由に操れる。つまりは、ルキフグスから魔力の源を遮断しない限りアイツは永遠に近い時間で最大限の魔力で戦える。氷結地獄コキュートスの影響なのか、僕と同じように、氷を扱うのが得意で、別名『氷の女王』と呼ばれている。だったな、猛」



 あくまでも、猛から教わったように話す弘孝。弘孝の言葉に猛はゆっくり頷いた。



「それ故、人間から魔力を借りている俺たちからしたらかなり厄介な相手だ」



 弘孝にのみ分かるように感謝の笑みを浮かべる猛。しかし、それは弘孝だけではなく、春紀にも見られていた。



「なるほど……。それ故、私との戦闘も私と互角の体力があったのですね」



 指先を美しく顎に触れさせる春紀。一度弘孝に視線を送ったが、彼は可憐を見ていたので春紀の視線に気づかなかった。



「ルキフグスは地獄長の中でも上から四番目の強さだ。それに長期戦タイプの契約者となると、短時間で倒さないと、僕たちには負けしか見えない」



 混血にのみ分かる両契約者の力量に弘孝は拳を作った。ルキフグスの能力にも少し差し支えの無い嘘が混ざっている。本当は真実を全て契約者に伝えたかった。しかし、それは半分の血が許さなかった。



「確かに、契約者で一番持久戦向けの私でさえも、砂漠ならば、私は役に立ちません。花畑ならば、私は有利ですが、相手も有利なのには変わりありません。それならば、ルキフグスを倒すのは、火力の高いミカエル様とウリエル様が適任かと……」



 春紀の提案に光がゆっくりと頷いた。しかし、砂漠と花畑を知らない可憐には、春紀の例えが理解出来ずに、素直に納得する事が出来なかった。



「いいのか? ルキフグスは、お前が長い間戦った相手だぞ。横取りされるのは嫌だろ? 花の契約者」



 猛の言葉に春紀は目を丸くしたが、直ぐに元の瞳に戻り、微笑んだ。



「私がルキフグスを未だに倒せていないのが、力量不足の証拠じゃないですか」



 自分を蔑んでいることが分かるその笑みは、可憐を不安にさせた。 不安の原因が分からない可憐はそっと自分の服の裾を握り締めた。



「ルキフグスが動いた以上、僕たちは、極力悪魔からの接触を避けなければならない」



 弘孝の言葉を聞き取れたのは契約者だけだった。微かに震えた声は、悪魔としての血が弘孝にこれ以上話すなと訴えているようだった。コートを着ていても寒いと感じるくらいの気温なのに、弘孝の頬には汗が流れていた。



「弘孝、顔色が悪いぞ。ジンたちも待たせているならば、早めに帰った方がいいんじゃないか?」



 弘孝の異変に気付いた猛がさり気なく話題を変えた。


 身寄りのない弘孝たちは、孤児院に近い施設に住む予定だ。しかし、そこの院長の話しによれば、あくまでもAランクとしての人間に育てる施設であり、それ相応の学力と常識を身に付けるまでは外出禁止と命令されたのだ。そこで、弘孝は院長の目を盗む為に女装し、この場まで走ってきたのだ。



「そうだな。僕が居ないのがバレたらジンたちも連帯責任で咎められるかもしれない。そろそろ僕は失礼する。可憐、気分を害すると思うが、なるべく契約者光たちから離れないでくれ。契約者から自分を守るには、契約者の力が必要なんだ」



 その時、可憐は弘孝の声がいつもよりか弱く聞こえた。しかし、それは猛の先ほどの言葉により、体調不良によるものと勝手に自己解釈した。



「院までは俺が送る。ガブリエルと花の契約者はラファエル……。磯崎を頼む」



 猛の言葉に光と春紀は頷き、可憐に分らないように視線で弘孝に合図を送った。



「分かったよミカエル。花の契約者と一緒というのが気に障るけど、今はわがまま言っている場合じゃないからね」



 光の嫌味に春紀も敵意のこもった笑みを送った。



「それはこちらの台詞ですよ。相手がルキフグスでは仕方ありませんが、私はあなたの力を認めてはいませんからね。ガブリエル様」



 可憐が二人のやり取りにため息をついている間に弘孝と猛はゆっくりと姿を消した。


 弘孝が立っていた所には微かに悪魔の魔力が残っていた。



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