第二十六話 夜空の色

「ザキナ……! ザキナ」


 ドーズは流された建物の、折れた柱に寄りかかったまま、うたた寝をしているザキナを揺り起こした。もう夕暮れだ。

「あ……」

 ふぁ、とザキナは目を開けて小さく欠伸をした。一瞬、自分がどこに居るのか分からなかったが、それもそのはずだ。

 ……こんな夢を見てしまうなんて。

「もう夜だぞ、野営をしよう。火を焚いたから、こっちに来ると良い」

 ドーズがザキナの手を取る。そのごつごつとした掌は、いつかの父の手を想像させる。手足に鎖を回されたときの、あの手。あの感触。それをありありと思いだし、ザキナは思わず、ドーズの手を振り払った。

「……あ、嫌だったか。すまん……」

「いえ、ごめんなさい、嫌じゃないの、ただ……ちょっと」

「ちょっと?」

「いえ、なんでもないの」


 ザキナは今度は自らドーズの手を握った。父の手と違って、その手は温かく、伝わってくるぬくもりに、ザキナはほっ、とする。

「今日も空気が澄んでいるから、星が綺麗だろうな。その分、冷えるだろうが」

 ドーズはザキナの手を引きながら、暮れゆく空を見上げた。宵の星がすでに煌めき始めている。

 ザキナはふと、立ち止まって広がる空に視線を投げた。そしてなんとはなしに疑問を口にした。


「どうして夜空って、真っ黒なのかしら。星の輝きはあんなに綺麗なのに」

「……さあな、俺には良く分からんが。たぶん、たくさんの物質の色が詰まってるからなんだろうな」

「たくさんの色?」

 ザキナは、首をかしげた。

「ああ、例えば、どんなそれぞれの色が綺麗な絵具でも、混ざれば黒……というか褐色になってしまうだろう。それが夜空の色なんじゃないのか?」

 ザキナは感心したように、自分の手を引くドーズを見上げた。

「大尉、あなたは、いろいろ物知りなのね」

 ドーズは軽く苦笑した。

「……いや、他人の受け売りだ」

「誰の?」

 するとドーズの笑みが微かに濁った。

「……ビエナのだ。そういえば、そんなことを言っていたと、今、思い出した」


 そのとき、急にザキナが足を止めた。

 ドーズが何事かとその顔をのぞき込むと、ザキナはどこか虚を突かれたような表情で固まっている。そして彼女はドーズに聞こえるか聞こえないか、という小声で、囁き、頷いた。


「そういうことなのね……」

「……どうした、ザキナ?」

 ドーズは急に胸が騒いで、再びザキナの顔を見た。だんだんと世界には夜の帳が降り始め、その表情はもうはっきりとは窺えない。だが、次に発せられたザキナの声は、もう普通の声音だった。

「いえ、面白い考えだな、と思っただけ」

 そのときには、2人はもう、ドーズが熾した火の前に立っていた。ドーズとザキナは火を囲んで座りこみ暖を取る。

 不意に、ザキナがドーズの肩に寄りかかってきて、ドーズは少し慌てる。だがそれに構わず、ザキナはそのままの姿勢で、呟いた。

「……いつまでも、こういう時間が続けば良いのにな」


 そう言って再びザキナは、顔を夜空に向けた。どこか遠くを見つめるような面持ちで。

 ドーズの言うとおり、空には満天の星が広がりつつあった。


 ……それが2人で過ごした、草原での、最後の安寧の夜であることに、まだこのとき、ドーズは気が付かなかった。 

 翌朝、ドーズが目を覚ましたときには、駐屯地跡にザキナの姿はなかったのである。

 

 そして、焦るドーズが、荒野の地平に、ザキナの姿の代わりに見いだしたものは、追っ手の馬影であった。


「俺の命運も尽きたか」

 ドーズは自嘲気味に呟いた。

 そして、この場にザキナが居ないことに、ドーズは却って安堵したのだ。

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