第268話 魔族の進軍

 薄暗い針葉樹林の中を魔族たちの大軍が進んでいく。決して整然とした行軍ではないが、一人一人が普通の人間の兵士とは桁違いの強さを感じる。現に愚かにも軍勢を外れたと判断をし、一人の魔族に集団で襲い掛かったゴブリンなどはその一人に皆殺しにされた。

 もちろん人間の兵士とて1対1ならゴブリン如きに後れを取るものではない。だが集団なら別だ。一人の時、10体以上のゴブリンに襲われたら普通の兵士は退却するだろう。だが、その魔族は30体以上のゴブリンをいとも容易く葬り去った。そして、それを荷車に載せると、軍勢の中へと戻っていく。その魔族は軍勢の中でも最下級に位置する食用調達係だった。人間たちは食べないゴブリンとて魔族にとっては北の大地で捕れる貴重な肉なのだ。

 ゴブリンの肉どころか、堅い木の皮をまるでクッキーを食べるように食べている魔族もいる。収納持ちの魔族に食料を運ばせるものも中には居る。食料を運ぶ魔族は全体の中では少数だ。魔族にとってこの辺りの土地は、補給が無くても困らない、食料となるものがたくさんある森であった。

 故に、補給が脆弱であるにもかかわらず、脱落者を殆ど出さずに行軍していた。


 その軍勢の中に、一人だけ10人の大柄な魔族が担ぐ豪華な輿に乗って進軍する人物がいる。魔王ダラグゲートだ。


「魔王様。ご報告が」


 斥候に向かわせていた魔族が戻ってきて報告を始める。


「魔王様が様子を観察できなくなっていた地域には、おそらく人間どもが築いたと思われる壁ができておりました。その壁は海まで続いております。そこを防衛拠点とするつもりでしょう」


「壁に隠れて我らに立ち向かおうとは、か弱き人間どもの考えそうなことよ。だが、奴らにはそれ位しかできぬであろうな。後は数に任せるぐらいか。今回は数の上でも我らの方が多い。壁ぐらいでは覆らぬであろう」


 ダラグゲートはニヤリと笑う。


「全くその通りでございます。ただ、少々私が知っている人間どもが作っている城壁と呼ぶものより大きいように思えます。具体的に申しますと、高さは20mほどあり、幅も10mほどあると思われます」


「ふむ。まあ、何の魔法を使ったかは知らぬが、人間どもにしては短期間によく作ったと褒めてやるところか。いずれにせよ、我が魔法で打ち壊せぬほどのものではないな」


 ダラグゲートはそう言って愉快そうに口角をあげ、顎を撫でる。


「魔王様直々に先陣を切らせるほどの敵ではありませぬ。ここはまだただの通過点でございます。城壁攻めの一番槍はこのババザットにお任せください」


 そう言って魔王ダラグゲートの前に出てきたのは、巨大なハンマーを抱えた、筋骨隆々とした大男だった。その筋肉を誇示するように、上半身は半分以上露出している。更に特筆すべきはその身長だろう。大柄なものが多い魔族の中でもさらに大きく、3mを超えている。それでひょろ長いという印象ではなく、がっちりとしたという印象を受けるのだ。この魔族の男が如何に筋肉が発達しているかが分かるというものである。オーガと比べても遜色のない身長とそれよりも広い肩幅をしている。牙があったら、間違いなくオーガと思うだろう。


「いいだろう。存分に暴れてみよ」


 鷹揚にダラグゲートは頷く。ダラグゲートは今回の城壁攻めなど些事だと考えていた。確かに多少人間に有利になるところはあるだろう。しかし、手に入れた情報では相手は5万そこそこの人数である。勝負になるとは思えなかった。

 人間の面倒臭さはその数にある、とダラグゲートは考えていた。魔族はハンデルナ大陸全土でも1,500万ほどの人数だ。他の大陸に隠れるように住んでいる魔族を合わせても2,000万には届かないだろう。

 だが、今から攻め込むタリゴ大陸はその3倍以上の5,000万の人間が住んでおり、更に隣のフラメイア大陸に至っては7,000万の人間が住むという。この二つの大陸だけで、ハンデルナ大陸に住む魔族の10倍近いが、他の大陸や島をも合わせると更にその2倍以上は居るという。他の大陸は、この2つの大陸程人口は密集していないが、それでも十分脅威と感じられる数だった。

 しかもドワーフやエルフはともかく人間はとにかく繁殖力が強い。ゴブリンと違って、小集団が短期間に爆発的に増えることは無いが、着々と人口を増やしている。特に人口密度が低い大陸での増加が多い。殺し続けたとして果たして数が減らせるものか疑問に思えるほどである。一カ所に集まっているならともかく、そうでない以上、たとえ一地域で圧倒したとしても、他の地域で増えていくだろう。

 だが、幸いにもと言うべきか、驕っていると言うべきか、人間どもは我々を忘れ去り、今や人間ども同士で争っている。付け入る隙はいくらでもあり、何も魔族だけで全ての人間を支配する必要は無い。少々腹立たしいことではあるが、敵対する人間どもの片方に肩入れし、その勢力を使って、間接的に支配すればよいのだ。


 ダラグゲートが身振りで一人の魔族の男を呼ぶ。その男は魔族にしては小柄で年を取っていたが、並々ならぬ魔力を持っていた。


「マジヒード。フラメイア大陸の方はどうなっている?」


 マジヒードと飛ばれた男は、空中に浮かびあがり魔王のそばまでくると報告を始める。


「はい。ウィーレ様を指揮官とし、3万の兵が向かいました。もっとも寄せ集めの雑兵ともいえぬものですので、幾ら人間ども相手とはいえ、陽動程度しか役に立たぬでしょうが……」


「それでよい。どうせ、我々はマナの薄い地域では、長期間活動はできん。身体に負担が大きいからな。奴らならその点は問題ない。元々マナを多用できぬ弱者だからな。それでも、陽動程度はできよう。可能ならば各地に散らばり、混乱させてほしいものだが……ウィーレにそこまで期待できるかな?」


 なにせ、ウィーレは一度失敗している。それに、王族の娘というプライドがあるせいか、土にまみれて這いずり回るような戦いはすまい。今回求められている役目はそうなのだが、それが実行できるとはダラグゲートには思えなかった。

 だが、所詮は捨て駒である。この行動でフラメイア大陸に魔族の侵攻の可能性があることを知らしめることができるし、北方諸国と人間どもが呼んでいる地方では、ウィーレでもそれなりに長い間混乱させられるだろう。

 もし、リューミナ王国が出張ってきて、ウィーレを撃退したのならそれはそれで良い。潜在的に敵国だと思っているこの大陸の人間の帝国は、ならば自分達もと躍起になるだろう。

 人間どもはあの数で散らばっているからこそ面倒なのだ、自分達を倒すために集まってくれるのならこれほどやりやすいことは無い。一戦して、叩き潰し、その後は帝国を支配し、その帝国の力を利用して支配域を広げる。そのためにまずはタリゴの北部を手に入れる。

 ダラグゲートは人間を支配する階段の一歩目と思っていた1段目がもっとも高く、困難な、最早階段ではなく、高くそびえ立つ壁である、ということをこの時点では気付くことができなかった。

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