第19話 先輩、デビューなのだ


 深海から、ゆっくりと浮上していく。

 穏田先輩、大きいなぁ。

 10mくらいはあるんじゃないかな。もしかしたら、相模湾で最大の魚かもしれない。


 仁堂くんと私、それを上から見守る。

 そして、私たちも浮上中。


 魚探とか、船自体の動きとか、そこから出る音とかでなんとなく目安を付けて、危険を避けるんだ。

 目指すは漁船以外。



 水面に身体をさらさないようにして、じっくりと視界の中の船を観察する。

 海のこと、殆ど知らない私でも、釣り船がどれかはわかった。


 あんなに人が乗っていて、1人1本の釣り竿を出している。よくよく見れば、2本出している人もいる。

 これは確かに漁船じゃないね。


 仁堂くんも、私と同じ観察結果になったみたい。

 「あの船にしよう」

 と、腕を差し伸べるのが、私の観察していたのと同じ船だったから。

 そして、穏田先輩にそれを伝える。


 穏田先輩、私たちの横を泳ぎ去る。

 浮上する前に、仁堂くんが穏田先輩の身体をクリーニングしたんだ。

 あやしい寄生虫とか、コバンザメとか、剥がせるものはみんな剥がした。

 すこしでもきれいな姿で、デビューして欲しいからね。

 いくつか吸盤の痕が残っちゃったのは、ご愛嬌ということでー。


 さあ、どうなるだろう?


 穏田先輩は、悠然と釣り船に近づいていく。

 しばらくして、いきなりその釣り船、大騒ぎになった。

 叫び声が聞こえる。

 さらに、こちらから見えていなかった、向こう側の舷からも、たくさんの人たちがこちら側に押し寄せる。

 スマホを持った人が、写真を撮ったり動画を撮ったり誰かに報告していたりするのがわかる。

 今日は、あの人たち、もう釣りにはならないだろうなぁ。


 穏田先輩、背びれを見せて、それから胸鰭も水面からあいさつをするように上げて、ゆっくりと戻ってきた。

 私たち、一緒に一気に深海に戻る。


 「どうでしたか、先輩?」

 仁堂くんが聞く。

 「最初は気がつかれなくってな。

 で、ちょっとばかり、波を立ててやった。

 そうしたらもう、大騒ぎになった。

 最初に俺を発見した人、すっごくきれいな二度見を披露してくれたよ。

 あの人、その芸だけで食べていけそうだ」


 思わず、私たち3人で笑いが起きる。

 そうだね、私がタンカーを追いかけちゃったときも、きっと二度見をした人はいただろうなぁ。


 穏田先輩、しみじみと言う。

 「俺って、あんなに大騒ぎになる対象だったんだなぁ」

 「そうですよ。

 歌って踊れる深海アイドルを目指すんですから」

 私、これはもう完全に焚き付けている言葉だなー。


 穏田先輩、笑いながら答える。

 「魚は歌えないぞ。

 それより、仁堂とあおりでダンスユニットを組んだ方が引っ張りだこになるよなー。

 並んで揃って腕を振り回したら、ちょっと時代遅れだけど、パラパラになるぞ。

 ただ、いくら踊っても、ギャラは一円ももらえないだろうけど」

 「それが問題ですねー」

 仁堂くん、ちょっと残念そう。


 興奮が覚めぬまま、そんな話で盛り上がって、初日は過ぎていったの。

 でもさ、仁堂くんとクラーケン・パラパラ、これ、絶対にブリテンズ・ゴット・タレ◯トに出たら、審査員のサイモ◯が目を丸くするよねー。

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