第一章 クリシタリアの魔法使い
第1話 フェリー
ジブラルタル海峡、イスカ鉱山、青龍城に次ぐクリシタリア公国の最重要ポイント、テイラ川流域の防衛戦線は崩壊寸前であった。
いくら撃っても撃っても怯まず攻め込んでくる敵により、二週間でクリシタリア軍の前線は3ブロック後退。
たのみの特務隊も先日重傷を負ってしまった。
「なんなんだよあいつら、、何発も何発も弾は当たってるはずなのに一向に後ろに下がらねぇ」
『すまない、もう少しの辛抱だ。あと少しで代理の特務隊が到着する。それまでなんとしてもこの戦線を維持してくれ』
落ち着いて聞こえる無線の声の主も内心の焦りはひどいものだ。
なにせテイラ川戦線が破られるようなことになれば、戦線はクリシタリア公国の首都に格段と近くなってしまう。
(なんとか持ちこたえてくれ……)
だが無常にも敵の攻撃の手は弱まるどころか、激しさを増していく。
そしてクリシタリア軍はさらに追い詰められていく。
「治癒術師!こっちにきてくれ!」
と誰かが叫べば
「川沿いの砲台も全て向こうの手中に落っこちまった」
と誰かが叫ぶ。
そこには最強と謳われたクリシタリア軍の緻密な連携はなく、完全に軍隊としての機能が崩壊している。
「部隊長!これ以上は無理です。本部に撤退要請を、でなければ我々はここで全滅します!」
部隊長と呼ばれた者はまだ迷いが拭えないのか、無線を強く握ったまま、それを使おうとしない。
次の瞬間
破裂音と爆風とともに誰か、おそらく味方の、足か腕かが吹っ飛んでいった。
「部隊長!!」
ようやく決心がついた部隊長は、無線を使う。
『こちらテイラ川戦線防衛部隊、部隊長ニーナ・リンダ……これ以上の防衛は不可能と判断、撤退を要請します』
ここまでか。
50年近く守り続けたテイラ川周辺がとうとう敵国、オークランドに渡ってしまうのか。
そう、誰もが思った時だった。
そんな重たい雰囲気とは対照的に、勢いよく司令室の扉が開かれる。
「セイジュ・フェリー特務隊、及びイグナイト・イグナトフ特務隊隊員、ただいまよりここテイラ川防衛に着任します」
「よく、よくぞ間に合ってくれた、至急前線へ!」
「「了解」」
するとセイジュ・フェリーと名乗った女性は、後ろで束ねた長い茶髪を揺らしながら瞬く間に戦場へと駆け出す。
まだ少し幼さが残るも、すでに彼女の美しい碧眼には何百もの修羅場を潜ったことを伺わせる。
(司令室からの事前の情報によれば、敵はいくら攻撃を与えてもすぐさまその傷を修復し、また攻め込んでくる。しかも一人だけではなく中隊全てにその適性が当てはまっている、と。ならやはり可能性はひとつしかないかな)
私は暑苦しい太陽光とうざったいまでの湿気に満ちた熱帯気候を煙たがりながら、思考を巡らす。
しかしながら、私の足は思考が纏まるよりも前に戦場へと到着する。
こんなに押されていたとは。
だがここで足踏みをする時間はなさそうだ。
大きく息を吸い、吐く。
そして全身の魔力を外へ押し出すように体を僅かに振るわせる。
今日も、、、もちろん絶好調だ。
「部隊長!」
「やっと来てくれたか、フェリー!早く戦線へ」
「落ち着いてください。まず現在ある情報の共有から。恐れを知らない敵、だとか」
「すまない、焦ってしまて。情報に関しては仰る通り、加えてあいつらはちょっとのことではくたばらない。それこそ脳天に魔術弾をぶち当てれば止まるんだろうが、あいにくそんな無防備なやつはいなくてね」
「頭周りの魔術障壁は今やどこの軍隊でも相当厚くなってますからね。でしたら私たちがこの状況を打破できるすべは一つでしょう」
「と、いうと?」
「人が自身の魔力を用いて自身の重傷を治せるのは、たとえ効率のいい術式を持ち尚且つ腕の立つ術者でもせいぜい2回が限度です。ならこの現象に対しては何かしらの神権、そうですね、近くにいる任意の人の治癒能力を底上げする、なんて如何にも当てはまりませんか」
「つまり向こうの神権代理者の仕業だと?」
部隊長は手元のカウンターを見つめる。
「だがこの領域には一才そのような大規模な魔術流出はないが」
「確かつい先日の北東前線でも同じような現象が観測されていました。神権が明らかに行使されているにもかかわらず、魔術流出がほとんど観測されなかった。今回の場合がその例に当てはまらないと言える理由はありません」
うなずき、手元に地図を広げる。
「だとしたらテイラ川流域の戦線に満遍なく魔力を与えられて、なおかつこちらからの直接攻撃の懸念が少ない、このあたりが怪しいな」
「そうですね、見たところ私の魔術障壁を破れそうな攻撃は見えませんでしたし、ここは私に任せてください。私の突撃で乱れた隙を逃さず前線を上げてくだされば少なくともテイラ川は取り返せます」
すると我々のいる前哨基地に負傷兵が運ばれた。
見ると腕を失っており、彼の顔は重く歪んでいた。
悲鳴すら上げる余裕がないのだろう。
「部隊長、医療用魔力カートリッジがもう底を尽きています、治癒術師をこちらによんでください」
「無理を言うな!今は西域で手一杯だ!」
前線特有の薄い血と砂の匂い。それらが熱い湿気とともになって私たちの感情を激しく削っていた。
仕方のないことだ。すぐそばに命の危機があると言うのは、いつだってこういった状況に陥るはずで、今までが単に上手く行きすぎていただけなのだ。
だが、たったこれしきのことでは我々の敗北は許されない。
私はその負傷兵の枕元に立つと、静かに指先に魔力を集める。
そしてその複雑すぎる細かな魔導粒子の集まりを丁寧に丁寧に形を組み替え、ゆっくりと慎重にそれらの粒子を魔導系から質量系へと運ぶ。
集めた魔力は次第に光という形を伴い出す。そしてその瞬間を逃してはならない。
「ロールバック」
短く唱えたその一言で、彼の腕が虚空から現れた。
負傷兵はあの目に焼き付くような歪んだ顔から、一気に安らぎを取り戻し、その反動か気を失った。
「感謝の言葉は後でじっくり聞かせてもらうとしましょう。では私は本職に戻らせていただきます」
「特務隊とはいえ一人に押し付けてしまってすまない。健闘を祈る」
私は彼らを一瞥すると、いよいよ本当の銃弾の嵐に飛び込んだ。
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