ショコ・ラな関係
藤咲 沙久
第1話 当たり前のように、今年も
「ガトーショコラぁ?」
「そう。材料買って帰るんだけど、
聞きながらノートを片付ける。返事がないので隣を見れば、茉朝は眠たそうに欠伸をしていた。綺麗な顔に似合わない豪快さだ。思わず笑ってしまう。
講義が終わったばかりの教室はざわめきに包まれていて、そんな私たちの話し声なんて簡単に溶け込んでいった。
「へえ、作るとかすっご。ウチは料理なら弟の方が得意でさぁ。今年のバレンタインなんか、好きな先輩にこっちから渡すんだってデカいホールのチョコケーキ焼こうとしてるわぁ」
「弟くん、相変わらず面白い子だね」
風変わりは
その感性を活かした趣味は中々の腕で、実はこっそりファンだったりするくらいだ。小説なんて誰でも書けるものじゃない。
「あ、もしかして
二月にチョコレート菓子を作るなんて言えば、まあそうなるわけで。思わず苦笑いを返した。生憎、好きな人へ手作りチョコを渡すのは初めての挑戦で心折れて以来やっていないのだ。
だからこれは別口。告白以外のチョコ。
「茉朝の作品は読みたいけど、ネタにされるのは御免だからね。だいたい彼氏なんかじゃないよ。
「むむ、おねショタの気配を察知。さあ
「ふふ、おねしょたってなあに? お隣さんなだけよ」
“しょこちゃん”。宵子ちゃん、と上手く言えなかった頃の呼び方はすっかりあだ名になっている。しょこちゃんが好き! と懐いてくれる燈くんは本当に可愛くて、いつまでも構いたくなってしまう。
「ふぅん。で、何がどうしてその子にチョコを?」
「んー、五年くらい前だったかな。二つ上の先輩に告白するために一生懸命作ったの、ガトーショコラ。でも受け取ってもらえなくて」
別に今さら未練があるわけじゃない。あの時思い切って短くした髪も、すっかり伸びてロングヘアーに戻った。それくらい時間が経ったのだ。
なのになぜか寂しい気持ちになって、特に意味もなく筆箱のファスナーを開け閉めしてみる。話しているうちにほとんどの学生が教室を後にしていて、ジー、という音が静かな空間でやけに大きく聞こえた。
それを黙って追っていた茉朝の目が、ふっと私に向けられた。続きを促してるのがわかった。
「そしたら帰りに、たまたま燈くんに会ったの。よかったら食べる? って聞いたらすごく喜んでくれてね」
「ひひ、ていのいい残飯処理だ」
「否定できないけど、もう少しオブラートに包んで……」
身も蓋もあったものじゃない。だけどそんな私に対して、燈くんの反応はどこまでも素直で可愛かったのだ。
──おいしい! しょこちゃん、また作って!
顔いっぱいの笑顔だった。来年も、その来年もと無邪気にせがむ姿がなんとも愛おしい。そんな燈くんを喜ばせたくて、ついつい毎年、彼のために焼いてしまっている。
「そんなこんなで。当日とはいかなくても、バレンタインとしてはいつも燈くんを招いてケーキをご馳走してるわけです」
「えぇ、少年を部屋にあげてんの?」
「うん? 燈くんの家に行ってお母さんにお茶とか用意させちゃうの申し訳ないし。それに、昔からよく遊びに来てるよ」
にやあっと、茉朝が猫のような目を細めて笑った。何をそんなに楽しそうにする内容があったっていうのよ。
「ふへ。アタシ知ってるよぉ。これを数年続けるうちに、無防備な宵子に向かって成長後の少年が言うんだ……俺も男だよってやつ。おねショタばんざーい」
「だからそれ、なあに?」
「年上のお姉さんと年端もいかない少年の恋っていうジャンルよぉ。大抵は、成長してから愛しいお姉さんを迎えにくる展開が待っている。ひひひ、宵子も楽しみだねぇ」
思わず目を丸くしてしまう。恋って言った? 私と、燈くんが? あまりにも予想外の見立てに吹き出してしまった。慌てて口元を押さえたものの震える肩は誤魔化せない。
どれだけ好き、好きと言われていたって、相手は十二歳だ。近所のお姉さんに甘えているに過ぎないわけで、私から見ても燈くんは可愛い弟のようなもの。それが恋だなんて。
「ん、ふ、ふ……っふふふ、ごめん我慢できなかった、ふふ。茉朝、そもそも私は年上の方が好きよ? ふふふ」
「……掛け算っていうより、少なくとも宵子的には足し算かー。表記的にも×じゃなくて&って感じ? こんなに美味しい素材なのに、もったいなぁい」
「ふふ、何言ってるのか全然わからないわ」
「まだまだ発展前ってことぉ。小学生、上等。初恋泥棒は手を出すわけじゃないから合法。のちの関係は育ってからでいいのよぉ」
「合法って言葉が出てくる時点で、逆に物騒。もういいでしょ、ほらそろそろ買い物いかなきゃ」
気がつけば三十分は経っている。コートを羽織ると、対照的に茉朝はごそごそと分厚い手帳を取り出していた。
「アタシは今得たインスピレーションをメモってから行くよぉ。すぐ終わるから下の自販機でコーヒーでも飲んでてぇ」
嘘。これはしばらくかかるな、とはこの一年の付き合いで積み重ねた経験からくる勘だ。でも茉朝が一緒に行くと言ってるんだから、まあ待ってあげることにしよう。
遠慮なく歩き出した私の背中に向かって、宵子、と茉朝が声をかけてきた。
「カップリング表記ってのは、かけ算。覚えておきなぁ?」
やっぱり何のことだかよくわからなかった。でもきっと、何かまた小説のネタについて話してるんだと思う。あとで説明してもらえばいいかと構わず廊下に出た頃には、その耳慣れない言葉のことなんてすっかり忘れていた。
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