貴方が欲しくて、苦しくて

@yumesaki3019

第1話 走り屋のいる日常

「それじゃあ、そう伝えてくるっす!!行ってきます!!」

 彼女は綺麗だ。綺麗。にも関わずいつも駆けている。どうして汗に塗れ走る事が好きなのか。そもそも、汗と青春は本来なら水と油だと私は思っている。まぁ、水というより激流の様だが。彼女の駆け抜ける青春はこれからも激動な気がする。数多くの雑多にばらつく葉…どころか小枝すら折ってしまいそうな。

 彼女の太陽の笑顔に魅力された生徒も居るらしく、『バレンタインに』下駄箱が赤く可愛らしく染まったそうだ。太陽に近づけば溶かされるという事すら知らない葉っぱも多いらしい。彼女に触れるなんて私には出来ない。物理的な意味で、だ。常に駆け走る春風に追いつける人間が居るだろうか。そう簡単に止まるとは思わないし、風が止むまで待つなんて何時ごろになるか分からない。

 

 駆橋未来かけはしみらい

 私が彼女の噂を知ったのはまだ小学6年生の頃だった。とある女子中学校に走り屋と影で呼ばれる生徒がいるらしい…と。私とは無関係だ。そう考えていた。私は(自分で話すのもおかしいが)読書家で毎年図書委員を担当する位には文学にのめり込んでいる。中学デビューとやらを果たしたとしても走り屋とつるむ事は天地がひっくり返ろうがあり得ない。

「ねぇ、噂聞いた?」

「また走り屋の話??」

 その日も走り屋の話で持ちきりになっていた。噂が広まった事で彼女は何処に行っても話が広まる様になっていた。駆橋未来かけはしみらいの話題で毎日嵐が吹き荒れる。【パンを買っていた】だの、【猫ちゃんを撫でてた】だの【老人の荷物を持ってあげてた】だの些細な出来事でクラスに黄色い声援が吹く。学校行事よりも彼女の言動が注目される。教師達も、それが気に食わなかったらしい。

『今から写真撮影委員を選びます!!!!』 


「で、選ばれちゃったんだね」

「うん…本当に最悪」

  私は放課後、図書室で別クラスの親友に愚痴っていた。もう昼休みや放課後に二人で本を読む夢の様な日常は帰って来ない。明日からは汗に塗れ走らされる日々が始まる。憂鬱だった。突然石の裏から白日に晒された虫の気分だ。私に構わないで欲しかった。図書委員に写真撮影なんて務まるだろうか。

「それで、明日からは誰を撮って回るの??」

「適当にクラスの人気者を撮ろうと思ってる…けど」

「けど??」

「例の走り屋を撮れと言われたらお仕舞いだよ」

 私は心の底から走り屋と関わりたくなかった。めんどくさい事になると直感していた。出来る事なら土下座してでも走り屋を被写体から外して欲しい。

「まぁ、大丈夫じゃない?走り屋さんも悪い人じゃないみたいじゃん」

「それはそうだけど」

 口籠る。確かに彼女は猫探しや老人の手伝い等お人好しの様に見える。

「とにかくまた明日一緒に考えてみる??」

「そうする」

 結論を出し、私達は机の片付けを始める。

「あっっ」

 憂鬱がるあまり置いていたプリントを床にばら撒いてしまった。しまったと思い拾おうとする。

「大丈夫、近いし私がするよ」

 と親友が動く。動いてくれる。その優しさが、些細な気遣いの出来る親友と居る時間が好きだった。出来る事ならこの日常が続いてくれたら良かったのに。

「はい揃ったよ。どしたの?」

「いや、なんでもない」

 別クラスな事もあり、親友とは距離が遠かった。これからは会話をする事も少なくなるのだろうか。下校する時間もずれてしまうのだろうか。思わずため息が出る。親友は気付いていないようだ。当たり前の様に横顔を見ることも叶わなくなる。

 あぁ、走り屋が居なければ撮影委員にも選ばれず読書の日々を続けられたのに。噂の得体の知れない嵐が恨めしかった。

 

 次の日足早に校舎に入った私は昨日言われた通り職員室に入った。

 『連絡通り朝早くに来てくれたんだな、準備は出来てるぞ。このカメラを持ち歩く様に。休み時間に撮る様にしてくれ』

『後、放課後カメラを回収するからな。帰る前に職員室に寄ってくれ。』

 私は、寝ぼけ眼のまま担任からカメラを渡される。実にチープなトイカメラだった。写真自体に意味はなく、カメラを通して走り屋以外の話題が生まれて欲しいのだろう。

『それじゃあ、頼むぞ。写真は後にプリントして配布するからな。』

 一応写真を撮る目的はあるらしい。いっそ風景を撮ろうか。それでは後から叱られそうだ。しかし、眠い。現在時刻は7時40分。普段であれば親友と合流し登校している筈だ。


 親友は今頃どうしているだろうか。やはり他の友達と楽しく会話しながら今日の給食は何かなと考えているのだろうか。いや、親友は何が出てこようと黙って食べる人だ。3年の頃同クラスだった時はいつも同じ机で給食を食べていた。その時も私が苦手だった食べ物を自分から進んで食べてくれていた。無論、当時の私には彼女が天使に見えた。そのお礼もいつかしなくてはいけない。そうだ、折角今思い出したんだし今週給食で出るゼリーをこっそり持って行こうか。きっと喜んでくれるだろう。楽しみだ。

 ここで思考が散らかっている事に気づき目を擦り、ほっぺをつねる。ダメだ、頭が回らない。

 不服だが、目を覚ます為にも撮影を始めるしかない。早く友達が来てくれれば良いのに。

 

 結果は大成功だった。無事写真に表情を写す事が出来た。少々一部の生徒の写真ばかりな気がするが合格ラインだった様だ。親友や友達の良い表情は今迄何度も見た事がある。一瞬を切り取るなら任せて欲しいと豪語できる。特に親友の事なら尚更だ。

 それだけではない。どうやら私には才能があるようで暇潰しにレンズに写した犬の一挙一動が見事に撮れていると絶賛された。授業中に隠し撮りした教師のドアップ顔もクラスメイトに好評だった。ここまで褒められると助長してしまう。悪くない。後から親友にも自慢しよう。喜んでくれるだろうか。その時は、軽く考えていた。帰りの会で私は担任に残酷に告げられた。


 「上手く撮れすぎて失敗した??」

「うん…この休日で走り屋の写真を撮ってこいと言われちゃった」

 失敗した。隣に座ってる親友に見られない様に顔を伏せる。流石に泣き顔を見られたくはない。こんな事があるだろうか。成功が裏目に出るとは。最悪だ。そもそも教師達は校門で生徒を待ち撮影するのと、噂の走り屋を撮影するのでは難易度が違うと把握していないのだ。恨めしくて仕方ない。

「そんなに落胆しなくても……ね??」

 心配そうに肩を揺すってくる。落胆のあまりそれすらも薄っぺらい同情に思えた。内心笑っている様に思えた。

「それならわたしも」

 何か言おうとする親友に被せる様に

「いいよ、私頑張るよ」

「でも」

「大丈夫だから、私才能あるらしいから」

「それに、写真撮影委員じゃないと分かんないでしょ」

 と尖った言葉を投げ、意地を張ってしまった。


「それなら、いいよ。邪魔しない様にする」

 伏せたまま、私は親友の顔が見れなかった。声が少しだけ震えていた様に思えたからだ。傷付けてしまったのかも知れない。いつも隣に居る人を。一緒に本を読んでくれる人を。月のように優しい人を。私達の間に沈黙が走る。生きた心地もせず、永遠にも思えた。

「うん、大丈夫??」

 先に口を開いたのは親友だった。

「大丈夫」

 話せなかった。何を話せば良いか分からなかった。強く言の葉を投げたのは私の方なのに。

「帰る??」

 といつものトーンで話しながらまた肩を揺らしてくる。

「うん、帰ろう」

「でもちょっと一人にさせて」

「分かった、待ってるね」

 暫くした後、図書室のドアが閉まる音がした。

「何やってるんだ私は」

 景色が潤んで見えない。親友とは一年生の頃からの付き合いだがちょっとした喧嘩をしたのは今回が初めてだった。親友は何時も優しかった。だから、私達は今日まで仲良くやってこれたんだ。いや、優しくなくても上手く行くかもしれない。直感だが。とにかく、どうしよう。どうすれば良いんだろ。

「とりあえず、教室から出よう」

 これ以上待たせる訳にもいかない。タオルで雫を拭い、精一杯の笑顔を作る。ほっぺもつねる。よし、これで大丈夫だ。きっとまた仲直りできる。私は意を決して扉を開けた。


 「あれ??」

 そこに親友は居なかった。荷物も置いていなかった。暫く待ってみるも帰ってくる気配はない。教室に居るんだろう。そう祈り親友の教室を見に行く。居なかった。考えられるのは一つしかない。

「先に帰ったんだ」

 ぺたんと廊下に座る。置いていかれるなんて思いもしなかった。普段の親友なら何も言わずに帰るなんてあり得ない。間違いなく、私に原因がある。自業自得だった。私は朝に渡されたカメラを持ったまま

 風に晒されながら下校した。


 次の日、私は朝9時に目を覚ました。涙で濡れた枕を置き去りにし、カメラを手に取った。気合を入れる為にほっぺをつねる。昨日の事は一旦頭から置こう。この二日は走り屋を追いかけなければならないのだ。余程の覚悟がないとレンズに写せないだろう。よし、行こう。私は朝ご飯を食べすぐに出発した。

 走り屋が現れる場所は毎日耳に入る噂で知っていた。まず、駅だ。駅には野良猫が数匹居る。野良猫を可愛がる姿が何日も噂になっている。彼女が猫に弱いのは間違いない。駅でレンズを回しておけば現れる筈だ。可愛い猫ちゃんを撫でたり写真に写しながら、私はその時を待った。


 それは午後2時ごろの事だった。もうとっくの昔に飽きている。カメラの容量が余って居なければ交換が必要な程、私は写真を撮っていた。本当にこの駅で走り屋が現れるのだろうか。不安になってきた。

 そろそろ次の場所に移ろうか、と移動しようとしたその時である。

「みんな〜、元気にしてたっすか??」

 走り屋は、駆橋未来かけはしみらいは現れた。

「いやー、クロもミケもシロも可愛いっすね。癒されるっす」

 もう少し名前を捻るべきではないだろうか。些細な疑問を押し殺し、私はシャッターを切る。無事猫を可愛がる彼女を撮影出来た。今日の分は撮れた事だしバレないように退散しよう。忍足でその場から離れようとした時

「じゃーん!!みんな!!いつものこれ!!持ってきたっすよ!!!」

 と彼女の元気な声が聞こえてきた。通行人にも聞こえたのかこちらを垣間見た。なるほど、この声量なら噂になって当然だ。再び彼女を見る。そこには

「ふっふっふ、秘儀二刀猫じゃらしっすっ!!!食らうっす!!!」

 太陽の様に満面の笑顔で笑う、彼女が居た。思わずシャッターを数回切る。猫と太陽。これほど映える瞬間を私は知らない。と、ここで。

「誰か居るんすか??また子供達っすか??」

 とまだまだ遊んでと言いたげな猫ちゃんに

「ちょっと待って欲しいっす。誰かいるのか確認するだけっす」

 と謝罪しながら向かってくる。見つかったら不味い気がした。慌てて離れる。幸い後ろ姿を見られなかったのか。もう追いかけてくる事はなかった。

 私は先程撮った写真を見返す。キラキラとオーラを放つ彼女の笑顔が撮れていた。珍しいショートヘアーに宝石の様な瞳。まつ毛も長く眉毛も綺麗に整えられている。ニキビはおろかシミの一つもない肌。太陽よりも輝く景色があった。

 思わず、写真から目を逸らした。これ以上見ていると失明しそうだからだ。私とは真逆の、人を魅力する姿があった。


 次に彼女が現れるのはパン屋さん前だ。なんでもチョコパンが好きらしく何時も大量に買い漁っていくという。「走り屋は大食らいである」という定説がある程パン屋の走り屋も有名な噂だった。そこを私は狙おうと思うのだ。再びこっそり隠れようとする。とっそこで。

 キューッッッ

 とお腹が鳴った。そういえば駅に張り付いて以来何も食べていない。鳴いてしまうのも仕方ない。幸いお金は持ってきている。パンを買って食べよう。

 「いらっしゃい、今日は何パンが欲しいんだい??」

 パン屋の奥さんとはちょっとした顔見知りだった。外で遊ぶ時はいつも通い二人でピクニックの様にパンを食べるのだ。私はウィンナーパンが好きだ。

「おや、珍しいね、一人かい」

 思い出さない様に封じていた話題を切り出された。そうだ、何時もは二人でパンを選ぶのだ。

「今日はどんなパン食べる?」

「そうだなぁ、私はウィンナーパンかな。」

「なら、私はカレーパンで!!」

「ねぇねぇ、偶にはパン取り替えっこしようか!!」

「いいね、そうしよう!!」

 親友は何時も私に選ばせてからパンを選ぶ。今思うとそれも心遣いだったのかも知れない。私がチョコパンを食べる気分の時は普通の食パンを食べ、私がカレーパンを食べようとするとチョコパンを選ぶ。今迄なんで気付かなかったんだろう。私の頭は空っぽなのだろうか。

「…今日はただでウィンナーパンあげようかい??」

「いえ結構です」

「いいから!!お駄賃は結構だよ!!!!ウィンナーパン二つ食べいきな!!」

 何故か気を遣われた。やはり気遣いの理由がわからない私だから傷付けてしまうのだろうか。本当に、月曜日からどうすればいいのだろう。どんな顔して親友に会えば良いんだろう。

「本当に大丈夫かい??」

「大丈夫です」

 ますます気を遣われる。この場から逃げ出したい。気を遣われたくない。ウィンナーパンを2本渡されたまま私は出口に向かった。


「こんにちわっす!!!今日もチョコパン買いにきたっすぅ!?!?」

「わぁっっ!?!?」

 下を向いていたからだろうか。つい先程聞いた声をする人に真正面からぶつかってしまった。宙を舞う2本のウィンナーパン。そのパンは仰向けに後ろに倒れた駆橋未来の子供っぽい服に2本ともびちゃびちゃと落ちた。彼女の服が台無しになってしまった。

「あちゃー、やっちゃったっすね…」

「ごめんなさい!!!!」

 苦笑いする駆橋未来。私は彼女の顔を見る事が出来なかった。出来るわけがない。つい先程まで隠し撮りしてた人にどんな顔して出れば良いのだろうか。しかも服を台無しにしてしまったのだ。間違いなく大目玉である。

「えっと、そこまで気にしなくていいっすよ、この服昔から持ってる服だし、これぐらいの汚れなら洗えばすぐ取れるし」

 あはは、と笑いながら彼女は明るく振る舞う。不機嫌そうな顔なんて一切しない。気遣いの天才なのだろうか。私も彼女程の人物になれれば仲直り出来るのだろうか。

「でも家に着くまでが大変じゃないですか…??」

「あ、そこ気付いちゃっすか!!天才っすね!!!」

 よくぞ聞いてくれました!とでも言いたげにピースサインをしながら満面の笑みを見せる。いや、笑う場面ではないと思うのだが。

「これぐらい走っていけば乾きますっすよ!後は人混みを避けてにおいがでない様にすれば問題ないっす」

 真剣な顔をしたと思えばすぐ笑う。考え込んだとしてもすぐに明るく振る舞う。彼女は全てにおいて私を超える人だ。この時そう確信した。

「君こそ大丈夫だった??真正面からぶつかっちゃったから足擦りむいてない??」

 心配りまで完璧だ。噂になるだけはある。実は先程頭からぶつかり少したんこぶが出来ていた。少し精神が安定したからだろうか、頭が痛くなる思わず手を添える。そこを彼女は見逃さなかった。

「あー、たんこぶ出来ちゃった??ごめんなさい、痛かったっすよね」

「えっっっ」

 彼女は座り私と同じ目線になった上で頭を撫でてきた。太陽の様に明るい顔と近くなる。綺麗に整えられたまつ毛に、ぷるんとした唇が見える。彼女の息遣いが聞こえる。吐息も少しかかるが悪くは感じなかった。むしろ何故か、胸が高鳴る、鼓動も早くなる。頭を撫でられただけでなんで私は狼狽しているんだろう。

「痛いの痛いの飛んでいけー!!!」

 私の平常心が飛んでいきそうだ。なんでこの人は、初めて会った私に親しげなんだろう。誰も彼もにこんな事をしているのだろうか。彼女のファンが多い理由が分かった気がした。

「あ、っっ、あり、がとう、」

「いいっすよ!!これで五分五分っすかね!」

 明らかに私の方に非があるのに笑いかけてくる。その笑顔で、魅力されてしまう。その視線すら恥ずかしかった。

「あのー、服なら娘の服があるわよ??今電話して許可は貰ったわ。」

「おばちゃん良いんですか!?ありがとうございます!!」

 彼女の身体が私の身体から遠くなる。顔が見えなくなる。心臓の鼓動が聞こえていなかったか不安だ。でも、しかし。彼女が離れた事に少し、少しだけ不満に思う自分も居た。


 結局私は自分が隠し撮りしている事を打ち明けられずにいた。パン屋の奥さんから服を借りた駆橋未来は別人の様だった。人って服が変わるだけでこんなに見違えるのか。先程の服から少しダボついた青パーカーにジーパンの姿はやっぱり子供っぽかった。が、彼女は気に入っていた。

「おばちゃんありがとうっす!!とりあえず今日は家に直行するっすね!!」

 鼻歌まじりに出口に向かう彼女。しかし体をこちらに向け、

「忘れそうになってた!!いつものチョコパン買って良いっすか!!」

 とパンを強請った。さっきまでケチャップに濡れた服を着ていた人とは思えない元気の良さについこちらも笑顔になってしまう。バレない様に下を向きながら笑いを堪えていた。ここで笑ったら今度こそ戻れなくなる気がしたからだ。もう昨日の私に戻れなくなる気がした。

「勿論だよ!!!はい、チョコパン15個お買い上げ!!」

「じゅっ15個!?そんなに食べるんですか!?」

 思わず疑問が口から飛びれる。失礼だったかもしれないが彼女はどこ吹く風な様だ。

「あんた知らないのかい?未来ちゃんの家庭は皆チョコパン大好きなのよ。弟も2人いるから尚更まとめ買いしないと行けないのよ」

「もしかして、私が一人で全部食べると思ってたっすか??不服っすよ!!!」

 とここで初めて大声で突っ込まれる。走り屋とはいえ彼女も女の子だ。食事の件では弄られたくないのだろう。失礼しました。

 グーッッッ

「あっっっ」

 ここで再びお腹が鳴った。そうだ、結局ウィンナーパンを食べ損ねてしまっていた。いや、無理矢理押し付けられたかの様な事になってしまったが。流石に行為を無碍にした事もあり、おばちゃんに言い出しづらい。

「しょーがないっすねー!!!チョコパン2個あげるっすよ!!」

 再び顔が近づく。彼女は中腰になり私の手にチョコパンを二つ握らせた。またまつげをみてしまう。宝石に見つめられる。

「そのぉ、パンは、家族のじゃ」

「大丈夫っすよ!!!!後で言い訳しとくっす!!!」

「でも」

 と、ここで誰かが入ってくる。パン屋の扉が開きふわっと春風が入り込んできた。風が気持ちいい。

「それじゃ、そろそろ行くっすね!!二人とも楽しかったっすよ!!ありがとうございました!!」

 と彼女は春風と共に、外に飛び出していった。もう彼女は走り屋となったのだ。思わずその場に座る。さっきまでの出来事が夢の様だ。あんなに近づかれるなんて。なんで私は、動揺しているのだろう。とここで気付いてしまった。

 なんで、私は。親友の事をさっきまで忘れてしまっていたのだろう。彼女の事を考えてしまったのだろう。頭から親友を放り出してしまったのだろう。

 最低だ、私。

 チョコパンを食べる気にはなれなかった。


 その日の夜、ベッドの中で私はずっと考え込んでいた。彼女と親友ではどこが違うのだろうか。なんで心が震えたのだろうか。なんで、狼狽したのだろうか、ずっと見ていてもらいたいなんて、心に願ってしまったのだろうか。分からない。分からないし、分かりたくなかった。この理由が分かってしまったら、もう私は戻れなくなる。戻れなくなってしまう。改めて私は、そう確信していた。

「会いたい…」

「会いたいよ…」

 私は、そう口に出さずにはいられなかった。

 どうか、答えを、誰か教えてほしい。


 次の日、つまり日曜日。結局私は眠れなかった。布団を抱き抱えながらずっと考え込んでいた。だめだ、こんな頭では昨日みたいに揺らいでしまう。おかしくなってしまう。

「だめ、大丈夫、私なら、多分、うん」

 おかずが喉を通らなかったので仕方なくコンビニのゼリーをお腹に流し込んだ。洗面台で鏡を見る。髪はボサボサで隈が出来ている。そして泣き腫らし真っ赤に染まった、不細工な顔が写っていた。あまりに酷いため思わず笑ってしまう。顔を洗い、歯を磨き、そしてほっぺをつねる。

「大丈夫、大丈夫、大丈夫」自分に言い聞かせる。私ならやれる。大丈夫。

 私は、家を出発した。


 この日私が狙いを定めたのは老人ホームの前だった。これもまた噂の定説なのだが、走り屋はやけに老人を助ける日が多い。きっと何かの理由があるのだろうと私は睨んでいた。尚、当然駅やパン屋にも来訪したのだが、生憎彼女は来てくれなかった。というか二日連続で同じ景色をレンズに写しながら待つのに飽きた。その為、別の噂に狙いをつけたのだ。

 「しかし暑い。」

 老人ホームは入居者に気を遣ってからか日陰に建てられていた。当然私の側が日向に当たるわけで。ここで待つは苦痛だが致し方ない。改めて覚悟を決め、その時を待った。

 私は待った。待ち続けた。しかし来ない。驚く程に来ない。昨日が幸運だったのだと思い知りつつ私は粘った。もう仕方ないと別の場所に移ろうとしたその時である。

「あれっっ…??」

 身体が地面に叩きつけられた。視界が霞む。頭が重く感じる。身体中が熱い。ダメだ、ぼんやりする。考えてみれば当然だった。睡眠も取らず食事もしていない小学6年生が、真っ昼間から何時間も日向にいたのだ。体調を崩さない訳がない。

「お前さん大丈夫か!?!?熱すぎる、熱中症かい!?!?すぐに中に運ぶぞ、水分を取らせるんだ!!」

 遠くから男の声が聞こえる。何を言ってるのかは分からない。ゲームでもして遊んでいるのだろうか。ダメだ、思考がまとまらない。

「いやっっっ…くぅ……あぁ」

 酷く後悔しながら意識を失った。


 「……!!……ねぇ!!!…ねぇ!!聞こえる!?!?大丈夫っすか!?!?」

 次に目覚めた時私の目の前には駆橋未来の顔があった。ドクンっっと脈打ち更に熱く感じる。首元に柔らかいものを感じる。まさか。私は。駆橋未来に膝枕をされているのか。

「っっっ!?!?すいません大丈夫です!!!」

 慌てて飛び起きようとして首を上げる。頭を下げて呼び起こそうとした彼女の顔と一気に距離が近くなる。お互いの吐息がかかり少しでも上に動かせば頬に当たってしまうか程の距離だ。私は、そのまま、頭を上にっ。


 『分かった。待ってるね』

 突如頭の中に最後に聞いた声が響いてきた。そうだ、親友は。

「すいません!!近かったですよね!!気にしないでください!!」

 顔を横に逸らし、しかし勢いは消せないまま無理に上に起きる。と腰に衝撃が走る。当然だ。

「私こそすいません!!びっくりしたっすよね!!!!気をつけるっす!!!」

 彼女も飛び起き私達は距離を置く。頭から滑り落ちた冷やしタオルが足に当たり冷たい。冷たさが漸く私の頭を整理させてくれた。今私が居るのはつい先程まで粘っていた老人ホームだ。あの時の男の声達は私を助けてくれた声だったのだ。

「ありがとうございます!お陰で助かりました!!」

「いえいえ、困った時はお互いさまですよ」

 と優しげに男性のスタッフが頭を下げてくれる。良識のある人達に助けて貰えて幸運だった。

「あのーっちょっと良いっすかね??」

 トントンと肩を叩かれる。彼女が、私のカメラを持っていた。という事は

「あの、もしかしてっすけど、君も私の事を撮っていたんすか??」

 初めて不審げな、不服そうな顔を彼女にされた。途端に一気に青ざめていく。どうしよう。これはちょっと。いやかなり不味い。

「そっっそうです、すいません……」

 素直に謝るしかない。

「いや、良いっすよ。私も色々と噂になってると聞いてるし、これくらい平気っす」

 と困り顔で頬を掻きながら彼女は告げる。

「でも、これって盗撮に入るんすよ???子供だから良かったけれどこれっていけない事っすからね???君の教師達にも言ってて欲しいっす。」

「あっ!!!はい!!勿論です!!!」

 やっぱりバレたら不味い事だったんだ。悪い事だったんだ。すいません。

「まぁ!この話題はここまでにして!!!!折角人が揃ってるんだし何かして遊ぶっすか!?!?」

「おお、いいね、そうしよう!!」

「今日も未来ちゃんがまた遊んでくれるのかい!?助かるねぇ!」

 男性スタッフが大喜びで遊びの準備を始める。お爺さんおばぁさん達の様子を見るに初めてではない様だ。彼女の人脈はどこまで広いのだろうか。ドタバタと足音がする中、こっそり近づかれ耳打ちされる。

「体調は良いっすか??無理そうなら休んでいてもいいっよ」

 吐息が耳にかかる。真っ赤な耳を見られてはいないだろうか。

「いやっっっ好調ですから私も遊びます!!」

 ここにきて嫌だと言える人は居るだろうか。

「なら良かったす!!それじゃあ楽しむっすよ!!!」

「あっそうだ、遊んでる私を撮るのはどうっすか!?」

「あ、良いんですか!?」

「当然っすよ!!だってもう友達っすからね!!」

 彼女は微笑した。私と、彼女が友達。こんなにも艶やかな人と友達。不思議な気持ちだった。嬉しい様な、どこか寂しい様な。自分でも分からない感情に再び襲われた。太陽の様な駆橋未来と私は、私の様な子供が友達になって良いのだろうか。

「まぁ…今回は許可を取ってくれたから良かったすけど、許可がなければ警察行きっすからね!!」

 そんな事をぼんやり考えてるうちにとある疑問に辿り着いた。おかしい。だって、私は。

「あの…すいません。記憶違いなら良いんですけど、いつ許可取りましたっけ……??」

「えっっ??昨日君が猫の写真撮る前に少女が訪ねてきて頼んできたんすけど…えっっ知り合いじゃないの??」

 写真を撮る前に少女が訪ねてきた??。まさか、いや、そんな。


 突然バタン!!とドアが開き。彼女は、唐突に、現れた。息も絶え絶えで汗もかいている。その姿は間違いない。私がずっと隣で見てきた。共に歩んできた。親友だ。

「やっっと出会えましたね未来さん」

「おっそうそう彼女っすよ。友達じゃないんすか??」

 友達じゃない。そうだ、私は、まだ何も言えていない。あれから私は、何も出来てないじゃないか。

「ごめ」

「ちょっと二人きりにさせて貰えませんか??」

 親友は私の声に被せる様に告げた。

「良いっすよ!!待ってるっす!!」軽快に喋る彼女。今の思い詰めた親友とは真逆だ。

 ぎゅっと手を引かれながら、親友は私を連れて老人ホームを後にした。

「ね…ねぇ」

「怒って……る???」

 恐る恐る私は尋ねた。さっきからこちらに顔を見せてくれない。何を言おうか悩んでいるのだろうか。…絶交と言われるのだろうか。言われても仕方ない。

 くるっと身体をこちらに向け彼女に告げられた。

「ちょっと嫉妬してるかな」

「えっっ??」嫉妬??何故だ??私は二日前以外に機嫌を損ねる言葉を吐いただろうか。

「ねぇ」

「あっはい」視線が怖い。こんな親友は初めてだった。何を考えてるか分からない。優しい親友がこんな。

「私ね、あの日職員室で写真撮影委員に志願したんだ」

 獣の様な目をしてくるなんて。

「そうすれば、気持ちが分かるかなって」

 怖い目をしてくるなんて。

「でもすれ違ったのか一緒に帰れなかったよね」

 ダメだ。怖い。その瞳でこっちを見ないで

「その事が気がかりでさ、出来れば会えたら良いなって思ったんだ。でも…」

「未来さんと楽しそうで羨ましかった。」

「ご、ごめんなさい…許して…」

 泣きたい。今の私は不細工だろう。もう怖くて怖くて仕方なかった。


 「…ならさ、キスしようよ」

「…えっっっっ」

「そしたら、また仲良くしよう??」

 なんでキス???と思ったけど、親友を失いたくなかった。それで優しい親友に戻ってくれるなら…

「分かった………!?」

 返事をした途端親友は熱烈なキスをしてきた。頭がパニックになり思わず離れようとする。も、頭を押さえられたのか動かない。親友の舌が入ってくる。初めての感覚に、快感にさっき冷えたはずの頭が熱くなる。永遠と思える時間の中キスは終わった。また頭がクラクラしだす。

「いっいや…ファーストキスだったのに…」

「嫌だった??」

 微笑みかけてくる、目が据わっている親友に問いかけられる。

「いや……じゃな……いけど」

 驚きはした。驚きはしたが、親友の舌と自分の舌が交わる時どこか嬉しく感じる自分も居た。と同時にさっきの未来さんとの事を思い出す。あと少しでキスする所だった。あの時と今じゃやっぱり違ったのだろうか。

「また彼女の事考えてるの??」

 図星だった。怖いけど、その観察眼は間違いなく親友だった。

「ごめん。でもあの日から親友の事だって考えてたんだよ」

 言い訳っぽくなるが心からの本心だった。親友の事を考えてなければあの時声はしなかっただろう。親友が居たから今の私が居るんだ。

「ふふっ良かった。」

 笑いかける親友は漸く私の知る親友だった。いつも助けてくれて、気遣ってくれて、助けてくれる。一緒に居てくれる親友。

「ほんとぅに………よかっった」

 とへたりこむ親友。緊張の糸が切れたのか脱力したのか、彼女は、

「ちょっどうしたの??大丈夫??」

「ごめん、ちょっと……無理」


 泣き出してしまった。さっきから訳が分からない。怖い目をしたかと思えば優しくなり泣き出す。親友ってここまで表情豊かだっただろうか。私が駆橋未来と一緒に居ると鼓動が早くなる様に、親友も駆橋未来と居ると感情豊かになるのだろうか。ここまで振り回されたのは初めてだった。から、やり返したくなった。親友の前に立ち中腰になる。そして、

「ほら、痛いの痛いの飛んでいけーってね」

 親友の頭をさすりながら私も真似をしてみた。髪の毛は手入れしている様でサラサラとしている。とても、綺麗だ。

「うぅん……そんなのどこで覚えたの……??」

 本当に親友は私の気持ちに鋭い。

「それは、その」

 今度は何も言わずに足に抱きついてきた。ぎゅっと締め付けられる。どこにも行かせない様にしているのだろうか。

「ねぇ」

「なに……??」頭を撫でたというのに明らかに不機嫌だ。あぁ、失敗したんだな。ならば。

「足だけじゃなくて身体中抱きしめ合わない??」

 親友はやけに駆橋未来の話題や仕草をして欲しくなさそうだった。だから、今度はやり返してみる。これならどうだろうか。

「分かった…!!!」

 ぴょこんと跳ね上がり、親友の表情が見える。泣き跡があり目元があかくなっている。耳まで真っ赤だ。けれど、嬉しそうに笑っている。その姿に私は、射止められていた。私は、考えてるうちにぎゅーっっと抱き締められた。

「もうさ、二人だけで帰っちゃおうか??」と提案してくる。選択肢はないのだろう。正直、私もそこまで抱きしめられて嬉しい。

「うん、急用が出来たからと帰っちゃおうね」

「うんうん、そうしよう、ね」

 抱き締められながら、今度は私が頭を撫でられる。私とは比べられない強い力だ。親友の匂いがする。汗をかいているにも関わらず良い匂いがした。ますます鼓動が早くなる。私の匂いはキツくないだろうか。親友に尋ねる勇気はわたしにはなかった。

「名残惜しいけど、一旦離れるね」

 親友って、こんなに素直だっただろうか。

「私、ちょっと未来さん達に急用が出来たと伝えてくる!!!すぐ戻ってくるから!!」と駆け出した。

 こんなに楽しそうな親友を見るのは初めてだ。私は…親友の事を何も知らなかった。もし、もし、読書を一緒にするだけの関係だったとしたら、写真撮影委員に選ばれて無かったら、どうなっていただろうか。親友は私を求めず、ただ何もしない関係だったのだろうか。分からない。けど、心が満たされていた。

 「言ってきた!!!!一緒に帰ろう!!!」

「うん!!」


 老人ホームは学校の正反対の位置にあった。一緒に歩いて帰るのも久々に感じた。同じ歩幅で歩いてる筈なのに、普段以上にゆっくりになってしまう。それもいつも以上に饒舌な親友のせい、いやお陰だった。一日会ってなかっただけで気持ちが落ちるのだなと思い知った二日間だった。

「ねぇ、まだ今日は終わってないんだけど」

 と歩きながらも口を尖らせてくる親友。気遣いが上手いという事は人の本心に気付くのも上手いという事なんだな。勉強になった。

「ごめんごめん、ちょっと疲れててさ」

「ふーん…」

 二日前は逆に私が振り回してた筈なのに、今では親友のペースに乗せられている。私の方が気遣うべきなのに、負担を感じるのも私の筈なのに、何か心地良かった。何か不満げなのもきっと要望があるのだろう。だが、さっきあれほど激しいスキンシップをしたというのにまだ羞恥心が心に残っていた。私からすべき事がよく分からない。心の準備が済んでいない。

「そうだ、いつものパン屋さん行こうよ」

 親友が切り出し、断る理由もなく。パン屋さんに向かった。

「いらっしゃい!!おや、もう仲直りしたのかい!?」

「あっはい」

 出来れば今日パン屋さんに来たくはなかった。気まずいのもあるが、昨日の事を言われてしまったらまたも不機嫌になってしまうと思ったからだ。

「いやー、昨日はどうなるかと思ったわよ!!まさか未来ちゃんと一緒に正面から倒れ込んじゃうとはねぇ!機嫌も悪かったし何がどうなるかハラハラして仕方なかったわよ!!良かった良かった。」

「そうなんだ」

 横目でこちらを見てくる。怖い。やっぱりパン屋さんに行くのを防げば良かった。

「結局昨日のチョコパンは食べたのかい?やけに未来さんと仲が良かったじゃないか!何かあったのかい??」

「いや、待って、その」

「仲よかったんですね」絶対零度の声が響く。今の親友は幽霊よりも恐ろしかった。

「あらやだ、まだ喧嘩中なのかい??何か食べる??」

「食べなくて良いです」

「私も食べなくて良いです」

 もうやだ、なんでそんなに脚色して話すのだろうか。昨日の私はそんなに仲良さげに見えたのだろうか。ますます親友に申し訳なくなる。これは、もう、絶交と言われても仕方ない。不機嫌すぎる。

「でもまぁ、喧嘩もあって何か考え込んでだだろ??ぶつかるのも仕方ないよ、」

 雰囲気を察してかフォローしてくるがもう、遅い。今更親友にその言葉が届くとは思えない。

 「ねぇ、何を考えてたの??」人前だと言うのにも関わらず彼女は問いかけた。恥ずかしさから口にするのも憚る。けれど、言うしかない。

「どうやって…仲直りしようか考えていた。」

 時が止まる。何も聞こえなくなる。無反応だった親友の顔が一瞬で真っ赤に染まった。意外だった様だ。

「うっ嘘じゃないよね」

「そりゃそうだよ!!!アタシが聞いた瞬間から不機嫌になってたからねぇ。パン勧めても食べない程思い詰めてじゃないか」

「うん…」

 下を見るしかない。全身が熱くなるのを感じた。もう今すぐ抜け出したい。ふと横を見る。親友は真っ赤の前硬直していた。

「えっっと、二人ともパン食べるかい??」

 改めて問いかけられる。

「「食べます」」

 パンを食べて気を紛らわせないと正気を失いそうな程恥ずかしかった。

 帰り道。私達は一言も話さなかった。話せなかった。早足で帰ろうとする親友に一生懸命付いていく、そんな帰り道だった。

「ね、ねぇ、どうしたの??」

「なんでもないよ」

 と言いながらもどんどん足は早くなる。

「ちょっちょっと!!!もう少し遅く歩いてよ」

 離れそうになる腕を掴み後ろに引っ張る。

「うわぁ!!」

 体勢を崩した親友は私の肩に倒れ込む。先程抱き合っていた時と同じ距離感だ。にも関わらず親友は何もしてこようとしない。ばっと押しのけ、身体が離れる。どこか、寂しいと感じた。

「お願い、ちょっと時間を欲しいな」

「わ、分かった。私も一人で考えさせて」

 夕暮れの中私達は景色に溶けてしまいそうだった。


 その日の夜、私はぼんやりと眠れずにいた。親友との出来事が忘れられない。いきなりキスをされた事や抱きしめられた事も勿論ある。しかし、親友が自分の感情を曝け出して、自由に生きていた、楽しそうな姿が何より心に刻み込まれていた。ぎゅっと布団を抱き抱える。ハグを思い出し赤くなる。とても熱かった。親友もきっと恥ずかしかった筈だ。それなのに、何も言わずに抱き抱えてくれた。

 私は、そんな親友に、優しく出来ていただろうか。今迄の事を思い出してしまう。給食の時に助けてくれた事。体育の時間に庇ってくれた事。宿題を一緒に解いてくれた事。一緒に登校してくれた事。そして、写真撮影委員に志願してくれた事。

 私は、彼女に、何をしてあげられるだろうか。


 次の日、私と親友は職員室に呼び出された。

『二人とも、良くやってくれたな。美麗な風景が撮れてるじゃないか。これなら配布のしがいも、学級報告書にも載せられる。ありがとう。』

 そちらが勝手に決めて勝手に頼んできたんだろう。という苦言を押さえ込み、愛想笑いをする。

『折角だし、二人も駆橋未来と一緒の中学校に進学してみてはどうだろう?あの学校にも撮影部は存在しているからな。推薦文なら任せてくれ。』

 推薦。今迄の私とは無縁だった言葉だ。中学校の目処はついていない。選択の一つに加えても良いかもしれない。なにより

「二人?私達一緒に推薦してくれるんですか!?」

 と親友が高揚した声できらきらと質問する。

『当然だろう。二人一緒の方が負担も少ないだろう??それに一人で頑張りすぎて途中で倒れたとも聞いたからな。負担を考慮していなかった私の責任だ。申し訳ない。』

 教師の重い謝罪。しかし謝罪を脇に置いたまま、親友ははしゃぎ出す。

「ねぇ!今の聞いた!?」

「聞いたよ、推薦は二人一緒だってね」

「私達一緒に進学するんだよ!!やったぁ!!!」

 ガッツポーズをしながら、親友は叫ぶ。昨日以来、親友のストッパーが外れたのか、実に感情豊かだ。私も心躍ってはいるが、ここまで表には出せない。

「これからも宜しくね!!」

 幸せの絶頂なのだろう、明るく勢いよく私を揺さぶってくる。正直ちょっと引く。が、

「うん、これからもよろしく。」

 こんな親友も、良いな。一緒に居て楽しそうだ。

『よし!!それじゃあ決定だな!!!!これからも宜しく頼むぞ!二人とも!!』

「「はい!!」」


 その日から私の新たな日常が始まった。朝早くから一緒に登校し、汗をかいても良い様に体操着や別の服に着替える。そして一緒に朝早くから校門で友人達を待つのだ。苦痛には思わなかった。待ち時間も親友と一緒なら幾らでも待てた。お互いの服装を写真に収めたり、共に先生に絡んだりと読書時間は減ったものの楽しい日々だった。

 そんなある日、学校にとてつもない風が吹き荒れる。その一報は給食中に伝えられた。

「ねぇ知ってる!?あの走り屋が体調を崩して入院したんだって!!!!」

「えっっ???」

 普段は聞き流す所なのだが、思わず口が出る。あの、太陽の様に明るい彼女が、駆橋未来が入院した??確かにあの日の彼女は何時も走り回っていた。身体を壊すのも仕方ないのかも知れない。彼女の事を考えながら、私は図書室に向かう。私達の定番の場所。何時も約束している集合場所。それが図書室だった。

「ねぇ、今日の放課後さ、未来さんの家を訪ねてみない??」

 先に切り出してきたのは意外にも親友の方だった。いや、それよりも、

「彼女の家知ってたの???」

「うん?、うん、前に教えて貰ってたから。」

 そうなんだ、と納得する。そういえば、親友は私とは違って、正面から彼女に許可を取っていた。その時に教えて貰ったんだろうか。

「…なら、行ってみようか、心配だし。」

 私から何か感じ取ったのか、親友の目の色が少し変わる。怖い目ではないけど。疑問が残る。

「よし、決定だね。行ってみよう」

 私達は席を立ち片付けを始める。

「あ、そうだ。折角だし私が返しとくよ。」

「うん、ありがと。」

 自分が借りた本を受付に返却するついでに親友の本も持っていく。親友にはいつも助けられてばっかりだった。気まぐれになった今の親友に、これ以上負担はかけたくない。私は一人考える。考え込んでしまう。私は、親友には先日の様に一人で『私の為に』行動して欲しくなかった。

 

 職員室に向かい志願した日。独りで帰っただろうあの日。その次の日も、親友はどんな想いで駆橋未来を探し回っていたのだろうか。許可を取ったのだろうか。老人ホームのドアを叩いて私に出会ったあの時、どれだけ心が乱されたのだろうか。考えれば考える程心が痛んで仕方なかった。親友が変わったのも心の擦り減りが原因だったのかも知れない。私の勝手な妄想とはいえもし当たっていたと思うと泣きたくなる。少しでも、気を遣わせたくない。どうすれば、親友みたいな優しい人になれるのだろう。

「えいっ」

「えっっ???」

 と突然親友が近づき私の頬をつねった。

「また何か考えてたでしょ??」

 痛い。普段自分でつねる以上の力でつねられる。顔が半分取れてしまいそうだ。

「いや、うん、気にしないで」

 親友の事を考えていた。なんて恥ずかしくて言える筈がない。それに、不甲斐なさを嘆いていたと伝えたら不機嫌になるだろう。私も少しは親友の事を理解してきた気がする。

「それなら、早く行こう。日も暮れちゃうよ」

 親友に連れられる形で図書室を後にする。いつの間にか親友主体で動く事が多くなったなと最近強く感じる。今の元気一杯で表情豊かな親友の方が楽しく生きているのだろう。本心を伝えてくれる様になったのかもしれない。あの日心を溶かしてくれたのだろうか。やはり駆橋未来には謎の求心力があるのかも知れない。ふと、親友を見るとまたも不機嫌そうだった。彼女の気持ちは分からない。

 校門を通り私達は駆橋未来の家に向かっていた。足早に走る親友と手を引かれる私。前迄は別の立場だったのに今では親友のペースで過ごしていた。


 手を引かれながら私は頭を回す。

 まだ気まぐれな親友と居る時間は短いが最近不機嫌な顔を見る事が増えた。私はそんなに不愉快な人間なのだろうか。親友と一緒に居て良いのだろうか、私の方が我が儘で隣に居るだけなのかも……。

 ふと、親友の足が止まった。いきなり止まり思わず背中に激突する。丁度治りかけたたんこぶが刺激され、またも痛む。

「ねぇ、ねぇ」

「どうしたの??」

 とこちらを見てくる。その瞳には少し怒りが見て取れた。

「気にしないで」

「気にするよ」

「だって、涙目だもん」

 そこで私は漸く自分が泣きそうになっているのに気が付いた。おかしい、私はここまで泣く人間ではない筈だ。

「ちゃんとこっちを見て、話してよ」

 こちらをじっと観察する親友。あの日と同じ、怖い瞳だ。

「私、、は」

「うん」

「ごめん」

 感情が抑えきれない。頭がぐしゃぐしゃする。

「うん、」

「振り回して、、沢山、迷惑かけてごめん」

 ずっと、言いたかった。親友が今自由に生きていると知れば知る程今迄の自分が恥ずかしくて、嫌で、最低だと思わずにはいられなかった。親友だって人間だ。何時も優しい訳がない。それでも私の前で優しい人だったのは、気遣いをしてくれていたからだ。

「良いよ、大丈夫だから、ね??」

 また頭を撫でられる。今度は優しく、優しく撫でられた。髪と暖かい手が触れ合う。親友の手が頭から顔に近づいてくる。上から眉毛を通り、まつ毛をすり抜け、そのまま唇へと移る。ぷにゅっとした感触が唇に触れた。何故か、心地良い。何故か、心から安心していた。空いた右手同士が繋がれる。指の間同士に絡みがあうかのようにぎゅっっと結ばれる。固く、固く握りしめ合う。親友の綺麗な手から熱が、伝わってくる。お互いの体温が混ざり溶け合う。身体を寄せ合った私達は、親友はそのまま私の頬に唇を近づけた。心臓が跳ね、身体に痺れが走る。唇を重ねた以前とは違う快感に襲われる。優しく痺れていた。

 「そう、大丈夫、側にいるから、ね」

「あぁ、良かった…」

 それしか言えず、私は惚けていた。ぎゅっと手を重ね合わされたまま、私達は駆け出した。


「ここが未来さんの家だよ」

 親友が告げる。一戸建てで裕福そうな庭付きの家屋だった。どうやら犬を飼っているらしく威嚇をしてくる。思わず親友の裏に隠れてしまった。一部始終を見ていた親友の瞳が何処か優しげに見えたのは恐らく気のせいだ。

 コンコンッ

「すいませーん!!!未来さんの友達です!!友達が心配で来ました!!」

 嘘は言ってはいないが、友達と言う程絡んだ訳ではない気がする。いや、本人はもう友達認定していたからこの場合は許されるのだろうか。

「あら、いらっしゃい!!」

 元気そうな母親が玄関から現れた。駆橋未来に似た美形な人だ。

「可愛いらしい二人組な事!!折角来てくれたんだし上がってちょうだい!今は未来も弟も居ないけど

 お菓子ぐらいなら渡させるわよ!!」

「あ、ありがとうございます!!私達も先生から預かってる差し入れがあります!!受け取って下さい!!」

 初耳だった。いつの間に果物や缶詰を預かって居たのだろうか。という事は、重い荷物を何も言わずに持っていたのか。申し訳なく感じてしまう。

「いやいや、良いのかい??助かるわねぇ、あの子何時もご飯を早食いしてしまう子でねぇ、果物もあまり食べないのよ、本当助かるわぁ」

 そんな会話をしながら私達は駆橋未来の実家に転がり込んだ。

 駆橋未来の家は雑多としていた。服の量も多い様で庭に干すだけでなく室内干しもしている。本棚もあり、本も幾つか買ってはいるが積んでいる様に見える。洗面台も歯ブラシだらけで普段使いしづらくないのだろうか。食洗機もありはするが洗い物が多すぎて手が回っていない様だ。地面には少しだけ服が散乱している。筋トレ道具もある様だが埃かぶっている。赤の他人な私が評価するのもどうかと思うが、走り屋と呼ばれる彼女は、彼女の家庭は少々ズボラな様だ。

「うわぁ」

 と思わず口に出す。幸い小声だった為聞こえてはない様だ。

「悪いねぇ、ちょっと待っておくれよ。机を整理するからねぇ」

 机の上にあるコップや参考書を取り上げ、布巾で水拭きする。とりあえずは用意ができた様だ。

「これからどうする?」

 と親友に耳打ちする。本来の目的はお見舞い品を届けるだけだ。出来れば彼女にも空いたかったが仕方ない。

「お母さん、すいません」

 親友が返事をする間もなく提案する

「この部屋、出来る範囲で掃除しましょうか??」「えっっ」

「病院から帰宅した時に綺麗だと嬉しがると思うんです」

 思わず親友の顔を見る。そして安心した。私が昔から知っている、優しくてお人好しな瞳をしていたからだ。親友ならきっとなんとかしてくれるし、今度は私も全力で加勢する。

「私も賛成です、私達で部屋を片付けましょう!!」

「あっはっはっ!!いつかは掃除しなきゃと思ってたんだけどね、人手が足りなくて後回ししてたんだよ!!こんな可愛らしい二人組が手伝ってくれるなら万々歳さ!!後でアイスもあげるから今から頼んだよ!!一緒に頑張ろうね!!!」

 こうして、成り行きとはいえ私達三人は駆橋未来の実家の掃除をする事になった。

 彼女の家を掃除中に私はとある本を見つけた。私が昔から大好きなシリーズ本の一つだ。

「ねぇ、これ見てよ!!うちの学校にはない最新シリーズの本じゃないかな??」

 思わず嬉しがり親友に報告する

「そうみたいだね、『夜の怪談 黙読の書』と似ているし多分シリーズ本だね」

 と素っ気なく親友は返事をする。どうやら興味がなかった様だ。けれど、どんな時も優しくしてくれるよりも、気まぐれな今の方が話し易い。何より、相手に依存しないで済む。と、私はまたも発見した。

「これは!!ねぇ!!猫ちゃんの写真集があるよ!!!!」

「えっ本当!?!?ちょっと貸して!!」

 さっきとは大違いで、釘付けになる。私から本を貰い読み進める親友。心の底から楽しんでいる様だ。

「ふふっ大違いだね」

 心の声が漏れる。時々怖い一面もあるけれど、本人が楽しそうで、駆橋未来と会った時のように胸が跳ねる音がした。今の親友を見ていると普段以上に胸が高鳴る。思わず胸を押さえる。感情が止まらなくなりそうだ。私は、どうしてしまったんだろう。

「ねぇねぇ、この本未来さんのお母さんに聞いて貰えないかな!?…どうしたの??」

 キョトンとした目でこちらに視線を向ける。自分が誰よりもはしゃいでいたと思ってもいなそうだ。

「なんでもないよ…!!」

 にやけそうになってしまう。口元を押さえ、横を向く。親友の笑顔ではしゃぐ姿に何か止まらなくなってしまう。ゆっくり深呼吸をし、平静になろうと心がけた。

 その後も私達の片付けは続いた。本を元の場所に戻したり掃除機をかけたり、洗濯物を畳んだり。休憩を挟みながら動き続けた。


「ありがとう二人とも!!お陰で綺麗になったよ!!こりゃ未来も喜ぶだろうね!!」

 と駆橋未来のお母さんに褒められ、私達は一息ついた。お母さんから麦茶を出され同時に飲み干し、「「ふーっっ…」」

 という言葉も二人揃っていた。思わずお母さんと私達は笑いあった。そんな時である。

 「ただいまー!!!ひとまず様子見の通院は終わったっすよー!!!元気いっぱいっす!!!」

 走り屋が、元気そうな駆橋未来が帰ってきた。

「あれ、二人ともまた会ったっすね!!なんで家に居るんすか??」

「この子達はね、あんたのお見舞いに来てくれたのよ!!!果物貰った上に掃除までしてくれたんだよ!!お礼言いなさい!!」

「そうなんすか!?二人ともありがとうっす!!確かに部屋が綺麗になってる…乱雑な本も収まってるし部屋干しも片付けられてるっすね!!助かりました!!」

 ペコリと頭を下げる駆橋未来。

「いえいえ、こちらこそあの日は振り回してしまってすいませんでした!」と私も謝罪する。

 謝罪が終わった事を確認した後親友は聞き出した。

「あ、あの…未来さんすいません」

「んっっ?どうしたんすか??」

「この本…猫ちゃんの本貰っていいですか??」

「勿論良いっすよ!!!!あ、そうだちょっと待ってて欲しいっす!!」

「ジャジャーン!!!あったっす!!私の秘蔵の猫ちゃんスクラップブックっすよ!!!」

「これを二人にプレゼントするっす!!」

「「「おお〜…」」」

 走り屋の名に恥じない勢いに思わず関心するしかない。

「えっ本当にくれるんですか!?」

 まさか猫ちゃんの本だけでなく駆橋未来特製のスクラップブックを貰えるとは思っていなかった様だ。

「当然っす!ここで会ったのも何かの縁だろうし!!大切にして欲しいっす!」

 今日一番の笑顔を見せる親友。輝いて見える。嬉しいけれど、何処か納得がいかない。いや、そもそもなんで私はモヤモヤしているんだろう。

「あれ、待って下さい。二人って事は私にも…??」

「当然っすよ!!」

 まさか親友だけでなく私も貰えるとは思っていなかった。私も猫ちゃんは好きだから嬉しくて嬉しくて仕方ない。

 とここで、18時のサイレンが鳴った。

「あー、もうこんな時間なんすね…仕方ない、二人ともまた遊びに来て欲しいっす。その時はまた猫ちゃんのスクラップブック見せますから!!」

「二人ともうちの未来と仲良くしてくれてありがとうねー!!!本当に今日はありがとう!!次会う時までに美味しい果物買って用意しとくわよ!!!」

 怒涛の勢いのまま私達はスクラップブックを持たされ玄関から飛び出した。

「なんか、凄い人達だったね」

「そうだね…帰ろっか」

「うん、もう暗いしね」

 私達は再び手を強く握り、帰路に着いた。


 駆橋未来の事を思い出していた筈が、親友とのあの日の事を思い出してしまっていた。私はいつもこうだ。気がつくといつも彼女の話をしてしまう。

「ねぇ、写真上手く撮れそう??」

「うん、撮れてるよ」

 気が付いた時には隣にいた親友が話しかけてくる。何時ごろから側に居たのだろうか。感慨に浸り、気付くことが出来なかった。何か聞き逃しがなければ良いんだけど。あの日から親友の態度は良くも悪くも変わった。優しさはそのままに気分屋になった。でも、

「振り回されるのも悪くないよね」

「うん??なーに??何言ってるの??」

「いや別に」

「お、二人ともおはようっす!!今日も綺麗に撮れたっすか!?!?」

 話をすれば、だ。いつ見ても変わらない、美しくも眩しい太陽だ。

「おはようございます。今日もよろしくお願いします!!」

「よろしくお願いします。」

 ほんの少し親友の声が低くなる。

「それじゃ、教室行くっすね!!お疲れ様っす!!」

 いつもの如く駆橋未来の写真を撮り私達は彼女と別れる。親友が、彼女に出会う度に不機嫌になるのもいつも通りだ。何か気に食わないのだろうか。


 そんな時はぎゅっと親友の手を取る、周りにバレない様に指を絡める。焦らしたのち、手を重ねる。そうすると、親友の目の色が戻る。いつもの親友に戻ってくれる。親友の気紛れに振り回らされうちにほんの少しだけ私も、親友の事を理解し始めていた。大丈夫、私達ならずっと仲良く居られる。伝わる様に普段以上に熱く握った。雑音は消え去り、手から伝わる、互いの鼓動だけが聞こえた。


 今日も私達は写真を撮る。駆橋未来の日常を切り取る。太陽を追いかける。手を握る。それが、私達の、撮影部の日常だ。

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